K-POP、日本での受け入れられ方の変化 J-POPシーンに刺激を与えてきた韓国アーティストたち
BTSが今年のビルボードミュージックアワードで4冠を達成し、新曲「Butter」のMV再生数があっという間に3億回を超え、毎日のようにBTSのニュースが飛び込んでくる。今や彼らが広めた「K-POP」は世界中で知られる音楽ジャンルとして確立しつつある。
日本では一足早くK-POPというジャンルが音楽シーンに根付いてきたが、日本でもニッチなジャンルから、大衆が知るメジャーなジャンルへと進化しつつあるように思える。BoAから始まったと言われる日本におけるK-POPは、当初はJ-POPとして受け入れられてきたが、これからどうなっていくのか? J-POPシーンで活躍する韓国アーティストの音楽変遷で紐解いていきたい。
「K-POPではなくJ-POP」から生まれた“日本のK-POP”
日本におけるK-POPをスタートさせたのはBoAだと言われている。彼女が日本デビューをしたのは、韓国デビューから1年後の2001年のことだった。デビューシングルは、韓国でリリースされたデビューアルバム『ID; Peace B』の表題曲、「ID; Peace B」の日本語バージョンで、オリコン週間20位という成績だった。
BoAがブレイクしたのは、4枚目のシングル『LISTEN TO MY HEART』だ。〈Listen to my heart Looking for your dream〉というサビが耳に残るこの曲は、オリコンでは初登場5位、第44回日本レコード大賞金賞を受賞という、BoAにとっての代表的な曲となった。作詞作曲ともに日本人が手掛け、サビで盛り上げていく典型的なJ-POPに仕上がっている。この曲は、その後、逆輸出的な形で韓国語バージョンが韓国のアルバムに収録された。彼女の成功が韓国出身のアイドルがJ-POP化され浸透していくきっかけの一つになったと思われる。
実際、韓国のアーティストたちの作品は、韓国語の作品の日本語バージョンを出すこと以外に、日本オリジナル楽曲を発表することがあるが、そのオリジナル作品のほとんどは「J-POP化」された作品が多かった。それは、日本人好みに作り上げることで、親しみやすさを高めるためだったのだろう。それが、いわゆる「現地化」というものだったのだ。実際、それはうまくいき、日本の音楽シーンの中で、「韓国人がパフォーマンスするJ-POP」は本来のK-POPとは違う形で浸透していった。実際、日本でリリースされたBoAや東方神起などの作品は、K-POPではなくJ-POPとしてカテゴライズされてきた印象がある。
2011年あたりから、2PM、SHINee、INFINITEなどのグループが次々と日本デビューをする。多くのグループは、デビューでは韓国でリリースした曲の日本語バージョンをリリースすることが多かったが、2PMはデビュー曲から日本オリジナル曲で勝負をかけた。つまり、最初から日本をターゲットにした戦略で来たのだ。実際、デビュー曲である「Take off」は韓国でヒットさせた曲よりもずっとポップで爽やかな、いわゆるJ-POP路線だった。その後にリリースされる作品もほぼ日本オリジナル楽曲で行った彼らは、日本では早々に成功を収めることになる。日本のリスナーに合わせた日本ローカライズが間違いなく成功したのだ。
音楽性だけではない日本ローカライズ
そして2014年にBTS(当時は防弾少年団)も日本進出をする。彼らの場合は韓国でリリースした楽曲の日本語バージョンのリリースがほとんどだったが、日本のマーケットに合わせてリリースイベントなどを細かく開催するプロモーション戦略を行ってきた。BTSは韓国での爆発的な人気が出る前は、日本での人気の方が高かったのはよく知られた話だが、彼らは日本の音楽マーケットを知り尽くし、音楽性やビジュアルだけでなく、こまめなプロモーションや全国ツアーなどを行い、現地化したことで成功していった例だろう。
日本ローカライズ、つまり現地化は音楽性だけではない。BTSの例のようにプロモーションを兼ねた細かなリリースイベントや全国を駆け巡るコンサートツアーもその一つだろう。日本は韓国と比べると公演数が圧倒的に多く、コンサートツアーでファンを増やす機会に恵まれたコンサート大国とも言える。日本のアイドルやアーティストたちは、一年の半分くらいはコンサートに費やしているというくらい、頻繁に公演を行なっているが、K-POPアーティストたちも同様に公演を頻繁に行なってきた。実際に接する機会を増やすことでファンを増やしてきたのだ。