嵐 櫻井翔 “夢の場所”で在り続ける国立競技場などを訪れてーー建築を巡る旅を通して学んだ、その先に広がる世界の見方

 そして国立競技場に続き櫻井が訪れたのが、丹下健三の代表作にして、東京、いや日本を代表するモダニズム建築の一つ、国立代々木競技場。1964年の東京オリンピックにて、水泳競技場として建設された建物だ。そのビジュアルのとおり、当時は最先端技術でもあった吊り屋根構造を大きな特徴に、内観ではその天井を支える支柱が存在しない、無柱の巨大な空間を生み出すことに成功している。そんな同会場は、嵐がデビュー時に握手会を行った会場であり、ハワイ同様、まさにグループのはじまりの地として称することができる場所なのだ。

 「握手会の日は、まだ薄暗い時間にここに到着したんですけど、すでにたくさんのファンの方が集まっていてくれて。そこから先は初めて尽くしで記憶が曖昧(笑)」と、当時の感想を述べる櫻井。21年の時を経て、まさか建築をテーマにした連載で訪れるとは思ってもみなかったはず。だが、現実に成長した姿で、今も変わらない国立代々木競技場にて当時の自分たちを振り返ることは、まさにケンチクを巡る旅と言っていいだろう。

 ちなみに、この特集をビジュアルとして眺めた印象では、国立競技場と国立代々木競技場を嵐の櫻井翔がつないでいるように見える。だが、新たな国立競技場をデザインした隈研吾がそもそも建築家を目指したきっかけが、子ども時代に国立代々木競技場のプールを使用した時の思い出に由来すること(参照)、国立代々木競技場をデザインした丹下健三もまた、かつて東京オリンピックに大きく運命を動かされた人物であり、そもそも2つの建築をつなぐ要素は多く存在する。ここでは割愛するが、国立代々木競技場に吊り屋根構造を採用した理由にも、歴史や人の思いが関与しているので、ぜひ調べてみてもらいたい。櫻井同じく、我々にもケンチクを巡る旅の道のりは無限に広がっているのだ。

建築という、自分になかった視点を持たせてもらったことが嬉しい。海外に行く時も、その国の有名建築を訪ねるようになったし、建築を通して知れた歴史もたくさんある。世界が広がりました。

 今回の特集を締め括るように、櫻井は上記の言葉を残している。嵐の旅は、2020年を持って一休みを迎えるが、その間もグループの歴史は途絶えることなくそこにり在り続ける。きっと嵐が活動休止中でも、その歴史に触れて新しい世界を広げる人がいるはずだ。櫻井翔がケンチクの旅を続けた先に、きっと“夢の場所”に立つ嵐5人の姿が待っている。

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