ディスクロージャーが体現する、ポストコロナ時代にふさわしい音楽のあり方 踊れない世界で聴く、ダンスミュージックの魅力とは
私は先に「本来であればこのアルバムを引っさげ、世界中のフェスに多数出演しオーディエンスを踊らせ、ケミカル・ブラザーズのような存在になっていたかもしれない」と書いた。だが、ディスクロージャーはケミカル・ブラザーズにはなれないし、なる必要もなく、またなる気もないだろう。ケミカル・ブラザーズは、巨大フェスティバルでのエンターテインメントとはいったいどうあるべきなのか、完全に熟知しているプロフェッショナル中のプロフェッショナルだが(2011年の『FUJI ROCK FESTIVAL’11』でのパフォーマンスは、日本のフェス史に刻まれるような壮絶なものとして忘れがたい)、ディスククロージャーの音楽にはケミカル・ブラザーズの持つ、ロック的なアンセム性、あるいは(言葉を選ばずに言えば)ファシズム性は希薄である。もっとクールでソフィスティケイトされていて、さりげなく、抑制が効いていて、優美かつ知的で品がよく、決して押しつけがましくもなく過剰なドラマ主義に陥ることもない。そして大音量のダイナミズムで圧倒するのでもなく、クリアで分離がよく、重低音だけではない、全ての帯域が気持ち良く鳴るような、周到な音響デザインは、音のいい小規模な会場や、むしろ自宅でじっくり鑑賞してこそ、という気さえする。
もしいつの日か巨大フェスやレイヴが再開される日がきても、ライブハウスやクラブに人が溢れかえる日常が戻っても、ロックやダンスの熱い連帯や歓喜の声、愛や自由を謳歌する熱狂が、いともたやすくコロナ禍の自粛要請や同調圧力に屈してしまったことを忘れるわけにはいかない。その時、鳴るにふさわしい音楽とはなにか。もう大げさな身振りや過剰にドラマティックな物語は必要ない。自由にダンスできない時代に紛う方なきダンスアルバムを、それもさまざまな地域のさまざまな音楽性を、アメリカ、イギリス、カメルーン、マリと、民族的、国籍的、言語的にも地域性と多様性を象徴するゲストボーカリストたちとともに打ち出し、分断と孤立の時代に決して野暮ったくなることなく、さりげなくメッセージを発信している、ディスクロージャーの『エネジー』のようなアルバムなのかもしれない。
■小野島大
音楽評論家。 『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『ロッキング・オン・ジャパン』『MUSICA』『ナタリー』『週刊SPA』『CDジャーナル』などに執筆。Real Soundにて新譜キュレーション記事を連載中。facebook/Twitter
■リリース情報
ディスクロージャー
ニュー・アルバム 『エナジー』
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