ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察(2)シーンを席巻したwowakaとハチ

 さて、この「サビでの転調」という語から連想されるのはやはり小室哲哉だろう。ここで再びimdkm『リズムから考えるJ-POP史』から引用しよう。「かつて小室哲哉は、矢継ぎ早な展開や唐突な転調に特徴づけられる自身の作風について、その原動力となる「恐怖」の源泉を次のように語ったことがある。「それは、日本人の声質の問題があるんです。外国人のように特徴的な声ならシンプルな曲でももつけど、日本人で、声だけで飽きさせないような個性を持つ人は少ないし。」」。この発言の本質的な言及部分は示唆に富む。何故ならVOCALOIDに対しても全く同じ考察が可能だからだ。柴那典も『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』で「ボーカロイドの歌声は、人間の声に近づける「調教」のテクニックはあれど、基本的にはフラットな声色になっている。音程のズレも少ないし、そもそも歌唱力という観点もない。声の情報量をスルーすることが前提になっているがゆえに、アレンジや音色に情報量を込めたものがヒットするようになったという見方もできる」と指摘する(imdkmと柴那典の議論のどちらもがR&Bディーヴァと対比させているところも興味深い)。

DECO*27 - モザイクロール feat. GUMI

 これに加えるならば、それまでの作曲では必ず制作段階でメロディを歌って確かめる工程があったと思うが、VOCALOIDは打ち込んだメロディがそのまま歌われるので身体性が欠如しがちなことも挙げられる。これによって、人間ではなかなか歌うのが難しい急な跳躍や、逆に半音単位の細かい動きなどを用いたメロディが作られる訳である(厳密に区分するのは難しいが、これは意識的な「ボカロならでは」とはまた別の話だ)。音高の動きだけではなく「歌っていて気持ちの良い」リズムの欠如も挙げられるかもしれない。そしてこれは早口歌唱や高音に取って代わったとも言える。歌ってみた文化にはギターの速弾きよろしく早口歌唱ができるほど、高音を出せるほど歌が上手いという価値観がかなり根付いており、カラオケなどとも連動してその手の楽曲が人気になり「ボカロっぽい」になっていった経緯はあるだろう。また、この「身体性の欠如」はメロディに限らずバックの楽器群にも適用できる話だ。もちろんその場合はボカロではなくDTM全体に適用されるのだが、先述のヒッキーPの指摘通り、(楽器演奏のできない)アマチュアの音楽がここまで広く聴かれることはボカロ以前はほとんどなかったのである。よって、打ち込み感のある楽曲=「ボカロっぽい」と言われる――という見方もできるのだ(参照:YouTube DOON. workチャンネル)。

 wowakaとハチが影響を受けた音楽についても軽く触れよう。wowakaの影響元はNUMBER GIRLやSPARTA LOCALSなどのポストパンクバンドだ。特にSPARTA LOCALS「ピース」には最後の1.5拍が「16分音符+16分休符+16分+付点8分休符」というリズムのリフが登場するし、ビートも16ビートの4つ打ちでかなりwowakaの楽曲と通ずる印象を抱く。一方のハチの影響元はBUMP OF CHICKENやRADWIMPSなどのロックバンドだ。両者の打ち出した「ボカロっぽい」の源流には90~00年代の邦ロックがあることがわかる(ただしハチに関してはニコニコ動画を経由した平沢進などからの影響も公言している(参照:J-WAVE))。音楽的にこの2人に共通する要素は「高速ロック」という点だが、「イラストも自身で手掛ける」という点も後続への影響としては大きい。彼らが現在までに繋がる「アーティストとしてセルフプロデュースするボカロP」という像を打ち出したと言ってもいいだろう。

 ここまで提示してきたwowakaとハチの打ち出した音楽性は、これ以降のボカロ曲を語る上で決して欠かせない要素だ。次回は彼らの音楽性がどのように次世代のボカロPに受け継がれ、どのように「ボカロっぽい」音楽へとなっていくのかを追っていこうと思う。

■Flat
2001年生まれ。音楽を聴く。たまに作る。2020年よりnoteにてボカロを中心とした記事の執筆を行う。noteTwitter

ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察

・(1)初音ミク主体の黎明期からクリエイター主体のVOCAROCKへ
・(2)シーンを席巻したwowakaとハチ
・(3)kemuとトーマ、じんが後続に与えた影響
・(4)n-bunaとOrangestarの登場がもたらした新たな感覚

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