「リズムから考えるJ-POP史」連載第7回
リズムから考えるJ-POP史 第7回:KOHHが雛形を生み出した、“トラップ以降”の譜割り
日本語による“うた”をめぐるこの30年でもっとも大きなトピックは、ヒップホップだろう。日本語によるヒップホップの歴史は、1980年代半ばのタイニー・パンクス(高木完、藤原ヒロシ)やいとうせいこう、近田春夫の活動をひとまずの起点と見れば、タームとしてのJ-POPの誕生にいくらか先駆けてスタートしている。
以降、日本語によるヒップホップは、1990年代を通じて楽曲単位、ミュージシャン単位でのヒットを重ねていたが、本格的にメインストリーム化しはじめたのは和製R&Bブームと軌を一にした1990年代末だった。
このブームは大きなうねりを起こし、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEをはじめとしたグループがメジャーデビューを果たすなり続々とヒットチャートの常連入り、ヒップホップは一躍間口を広げることとなった。同時に、ラップという歌唱法がヒップホッププロパーのパフォーマー以外にも浸透しはじめた。
ことリズムの観点から特筆すべきは、2010年代後半の“トラップ以降”なる現象だろう。“ヒップホップ的”あるいは“ラップ”一般という漠然とした形容ではなく、“トラップ”というヒップホップにおける特定のスタイルが、他ジャンルの批評の語彙に参入してきたのだ。
重要なのは、この“トラップ以降”が含意するのがヒップホップとしてのオーセンティシティではなく、他ジャンルへも援用可能な抽象的な型だということだ。
“トラップ以降”とはなにか?
それでは、“トラップ以降”とはなにか。ハイハットの細かな刻みや低域の強調などさまざまな要素を挙げることができるが、とりわけ“うた”に話をしぼれば、特徴的な譜割りを指すものと言える。八分三連や四分三連のかたちで取り入れられる三連符や、一小節の音節数を削減してリズムを強調するアプローチだ。こうしたアプローチを採用した譜割りを指して、しばしばヒップホップ用語を援用しつつ“トラップ以降のフロウ”と呼ぶことも多い。しかし、“フロウ”の概念は非常に定義しがたく、ほぼ“譜割り”の別の呼び方である場合もあれば、ラップを通じて生み出されるグルーヴ感全体や、ラッパーごとに持つ独自のスタイルを指すこともある。そのため、あえて「言葉をメロディやリズムにあてはめる」という意味に限定した“譜割り”を集中的に使うことを断っておく。
さて、サウンドや語彙、押韻へのこだわりといった“ヒップホップらしさ”よりも普遍的な、新しいリズムの型として“トラップ以降”はある。その現状を見てみよう。
ヒット曲の中でこの特徴的な譜割りがみられるものとしては、乃木坂46「帰り道は遠回りしたくなる」のサビ前の一行が挙げられる。この曲ではシンコペーションをいかしたキメのフレーズが冒頭から登場するが(譜例1)、サビ前では三連符の3つ目を休符とした、単語の自然な分節から逸脱したリズミカルな譜割りが登場する(譜例2)。こうした譜割りはMigosを代表とするアメリカのトラップで頻発するものとよく似ていて、インスピレーション源になったことは想像に難くない。
また、日本国内におけるヒップホップの普及のみならず、ヒップホップの取り入れにもともと貪欲な傾向があったK-POPの日本展開が、日本語の“うた”と“トラップ以降”に大きな影響を与えたことも考えられる。たとえばTWICEの楽曲には必ずといっていいほど三連符の“トラップ以降”的な譜割りが忍ばせてあるし、BTSやEXOといったボーイバンドにおいても同様だ。
ただし、注意しておきたいことがひとつある。三連符を用いた譜割りが日本語のポップスで皆無であったわけでは決してないということだ。たとえば佐藤良明は『ニッポンのうたはどう変わったか[増補改訂]J-POP進化論』(2019年・平凡社)の中で日本の歌謡文化における三連符の役割について集中的に論じている。その射程は広く、ここで紹介するのは難しいが、多様な事例の中でも石川さゆり「津軽海峡・冬景色」におけるたたみかけるような三連符の使用はきわめてパーカッシブで、日本語における“トラップ以降”のリズム感を広い歴史的射程におく参照点と言ってよいだろう。
とはいえここであえて“トラップ以降”の特殊さを強調するならば、三連符の譜割りがのるビート自体はスクウェアな8ビートや16ビートであり、ポリリズミックな感覚が上書きされているという点だ。かつ、付点八分や付点四分のつくるグルーヴとの微妙な差異が重要な役割を果たしていることも指摘しておきたい。(図版1)
オリジネーターとしてのKOHHと彼の捉えづらさ
このようにヒップホップから他ジャンルへと浸透していった“トラップ以降”の譜割りの雛形をつくったのがKOHHだ。ポップスにおける“トラップ以降”の展開は、あくまでヒップホップがトラップを通じて開拓したリズムの可能性を抽象化したものであって、ヒップホップのなかではより複雑なリズムの実験が繰り広げられている。
まず、KOHHのスタイルについて簡単にまとめておこう。BPMの遅いトラップビートにのせて、言葉数をつめこまずに平易な語彙でストレートなメッセージを伝える彼のラップは、「思ったことをそのまま歌詞にしているかのような」というキャッチコピーがまさにふさわしい。2012年にリリースした1stミックステープ『YELLOW T△PE 1』ですでにそのスタイルは確立されているが、その後も音節のミニマリズムとでも言うべき言葉を削ぎ落としたラップが徹底されていくことになる。
巧みな比喩や堅い(音節数の多い)韻といった、日本語ラップの評価軸とは一線を画する彼のスタイルをどのように評価するか。トラップのビートにフィットする日本語のラップを確立し、以降のラッパーに大きな影響を与えたという点でその重要性に異論はないだろう。しかしなぜ彼のラップが一聴した身も蓋もなさに対して、これほど人を惹きつけるのかは言語化しづらい。
この点について、「実はよく聴いてみると韻もきちんと踏んでいてテクニカル」とか、「実はもともとは日本語ラップの熱心なファンでスタイルも違った」といった形で既存の評価軸へ適応させようという向きもあるが、たとえば佐藤雄一は『ユリイカ』2016年6月号(青土社)収録の論考「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」でフレーズの反復が語の意味を際立たせる「模様のようなリリック」という概念を提示して、その疑問に応答している。