LOUDNESS二井原・山下が語る、『THUNDER IN THE EAST』とメタルシーンの現在

LOUDNESS二井原・山下のメタル談義

 LOUDNESSが、来年2016年にデビュー35周年を迎える。これを記念した企画として、1985年に発表した全米進出第1弾アルバム『THUNDER IN THE EAST』の30周年記念盤『THUNDER IN THE EAST 30th Anniversary Edition』が11月25日にリリースされる。アメリカの名門メジャーレーベル、Atlantic Recordsと破格の7年契約を果たしたLOUDNESSは、オジー・オズボーンやMEGADETHとの仕事で知られるマックス・ノーマンと『THUNDER IN THE EAST』を完成させ、日本人ロックバンド初のBillboardトップ100入り(最高74位)という歴史的快挙を成し遂げた。さらにマディソン・スクエア・ガーデンでの日本人初のライブパフォーマンスが実現するなど、LOUDNESSが数々の偉業を達成するきっかけを作った歴史的名作だ。

 今回の30周年記念盤には、新たにリマスタリングされたアルバムのみならず、本邦初公開となるリハーサル音源や当時の未発表テイク、さらには秘蔵映像の数々をたっぷり収録。今回リアルサウンドでは連載企画「日本ヘヴィメタル/ラウドロック今昔物語」の番外編として、LOUDNESSの二井原実(Vo)、山下昌良(B)にインタビューを実施し、『THUNDER IN THE EAST』に関する貴重な話や当時のアメリカ音楽シーン、そして昨今の国内外メタルシーンについてじっくり話を聞いた。(西廣智一)

アメリカではMötley CrüeやRATTと同期

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──LOUDNESSは結成時点で海外での活動を視野に入れていたんですよね?

二井原実(以下、二井原):そもそもバンドを立ち上げた張本人のタッカン(高崎晃/G)の中で、世界に通用するロックバンドを作りたいという思いがあって僕らが集められたって感じでしたから。僕は当時そういう考えはなかったんですよ、京都のしがないアマチュアバンドの一員だったんで。

──そして1981年11月にアルバム『THE BIRTHDAY EVE ~誕生前夜~』にデビュー。最初の海外ライブは1983年でした。

山下昌良(以下、山下):そうです、アメリカのカリフォルニアでしたね。

二井原:そもそも2枚目(1982年7月発売のアルバム『DEVIL SOLDIER ~戦慄の奇蹟~』)のエンジニアをやってくれたダニエル・マクレンドンという、サンフランシスコのエンジニアが「アメリカにおいでよ。来たら絶対に評判になるよ」と言ってくれて、それでやってみるかっていう話だったんです。

山下:サンフランシスコのレコード屋のおっさんがイベンターみたいなのをやっていて、そこが呼んでくれて。

二井原:当時はベイエリアのあたりでまだブレイク前のMETALLICAの連中とか、あの世代のバンドのメンバーがNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal。1970年代末にイギリスで勃発した新たなヘヴィメタルムーブメント。IRON MAIDEN、DEF LEPPARDなどが登場した)のムーブメントですごい盛り上がっていて。僕らは当時、現地ではアルバムが出てないんだけども、そういう流れもあってアンダーグラウンドシーンでは結構な感じでもう名前が通ってたんですよ。だからライブをやったらお客さんがいっぱいで、「『BURNING LOVE』やれー!」とかアメリカで出てないはずの曲のタイトルを叫ばれたりしてね(笑)。逆にビックリでしたよ。

──今みたいにインターネットがあったわけじゃないですしね。

二井原:そうですね。だから向こうの子供たちが、それこそ1枚1万円くらいするような輸入盤を買ってくれたりして、すごい熱心でしたよ。

──当時の楽曲は日本語詞が中心でしたが、そういった楽曲でも現地のお客さんは盛り上がるわけですか?

二井原:そうなんです。もちろん英語で歌えたほうがいいだろうけど、向こうも日本のバンドだってわかってるから、そこは別に気にしてなかったのかな。こっちもどうせ通じひんやろうと思ってたから。

山下:逆に新鮮やったかもしれんし(笑)。あと、半分ぐらい楽器の一部と化してたからね、シャウトと高音で。ギター、ベース、ドラムにボーカルも楽器の一部みたいな。

二井原:それでもすごい楽しんでくれたし、盛り上がりましたよ。

──そういった流れが1984年にAtlantic Recordsとの契約につながっていくわけですね。

山下:サンフランシスコでやったときに、1回だけロサンゼルスに遠征して。そこでやったライブに、当時Atlanticにいたニック・ロフトって奴が観に来ていて、えらい感動したらしく。

二井原:スカウトマンみたいな奴で、彼が契約しようと動いてくれたの。

──当時アメリカではハードロックやヘヴィメタルがようやく盛り上がり始めた時期だったかと思いますが。

二井原:僕らがLAに最初行ったときはまだ前夜かな。

山下:3回目ぐらいに行ったとき、LAのレコード屋でニッキー・シックス(Mötley Crüeのベーシスト)と並んでサイン会したのを覚えてる。ジージャンにジーパンだったもんね、彼(笑)。で、Mötley Crüeの1stアルバム(『TOO FAST FOR LOVE』)のジャケットを見せてもらって「ROLLING STONESみたいやな」と思って。当時はどっちかっていうと、METALLICAとかスラッシュメタルが流行りだしたぐらいやな。QUIET RIOTが1位を獲る前ぐらいですね。

二井原:そういう意味ではLAメタルと呼ばれるような人たちと同期ですね、アメリカでのLOUDNESSは。Mötley CrüeとかRATTとか、ああいう人たちと。

山下:RATTなんて僕、全然知らなかったもんね。たまたまAtlanticで貰ったんだよね、同じレコード会社だったから。「こんなバンドあんねん。ええやない」とか言ってたら、あっという間にボーンと売れたからビックリしたけど(笑)。

二井原:BON JOVIなんかもよくキャンペーンで一緒になったけど、まだ彼もそんなに売れる前で。「Runaway」が日本でちょっと評判になったけど、アメリカでは全然やったし。若かったですよ、みんな。まだ20代そこそこで。

山下:だから後輩となるとPANTERAとかあのへんですね。Atlanticと契約してた最後の頃、取材でレコード会社に行ったときに新しいバンドのCDとしてPANTERAの1st(1990年発売のメジャー1stアルバム『COWBOYS FROM HELL』)を貰って。「ごっついバンドやなあ」と思ったなあ。

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