西廣智一『日本ヘヴィメタル/ラウドロック今昔物語』番外編 LOUDNESSインタビュー
LOUDNESS二井原・山下が語る、『THUNDER IN THE EAST』とメタルシーンの現在
海外での成功を「話盛ってるんやないの?」と言う人もいた
──日本でリハーサルしたデモ音源、アメリカに渡ってから録ったデモ音源、そして完成したアルバムと順を追って聴くと、どういう流れを経て完成にたどり着いたのかが手に取るようにわかりますね。
二井原:僕はね、実は歌メロがこんなに初期からある程度完成されてたとは、ちょっと意外やったの。レコーディング前からメロディはほぼ出来上がってたんだなって。僕の中では英語で苦労した記憶があるから、作りが全然変わってるんやって思いがあったんだけど、そうでもなかったなと。だからこのデモテープは本当に新鮮だし、新たな発見がいっぱいありました。
山下:今は全部データとして残せるし、リハーサルスタジオでそこまで演奏するバンドもあんまりいないかもしれないしね。
二井原:あの当時はアナログだからね。今は曲の長さもいくらでも変えられるじゃないですか。でもあの当時は実際に演奏しないとダメだったからね。
山下:だからミックスのときに、ちょっと短くしたくなったらマスターテープを切ってつなげる作業をしてたよね(笑)。
二井原:そうね。ポイントを見つけて、一か八かハサミで切ってたし。
──(笑)。そんな貴重音源のみならず、今回は貴重な映像もたくさん発掘されましたね。
山下:やっぱり映像が出てきたのは驚きやね。しかも見せてもらった瞬間、若すぎてショックやったから(笑)。音は30年前のやつでも自分のプレイやからさ、ある程度変わらんなってイメージがあるやないですか。でも映像はさすがに変わりすぎてて「誰これ?」って(笑)。家で観てたら恥ずかしいもんね。
──映像にはドキュメンタリー作品とアメリカでのライブがありますが、そもそもドキュメンタリー映像は当時なんらかの形で発表しようとして制作していたものなんですよね?
山下:そうです。確か10時間ぐらい撮ったんですよ。
二井原:今の北野武さんの事務所(オフィス北野)の森(昌行)社長が、その頃スタッフを連れてアメリカに同行して。
山下:ほんまのプロが使うようなデカいカメラをアメリカに持ってきて。で、ツアーバスに乗ったら失礼やからって、ずっと後ろについてきてたんですよ。
二井原:でもその企画がお蔵入りになったかなんかして、挙げ句の果てにフィルムが行方不明になってたんです。だから僕らも観たのはこれが初めてなんですよ。
山下:当時武道館ライブのときに流した、ちょっと編集した15分ぐらいのやつは観たことあるんだけど。ステージが始まる前に緊張しながら袖で4人が待機してる姿から、ライブが終わって達成感ある顔でそのままバスの中でインタビューしてる姿まで、すべて入ってるからね。
二井原:今までそういう80年代の映像がなかったから、「ほんまLOUDNESSって(アメリカで人気があったというのは)話盛ってるんやないの?」という人も結構いたのよ。今はYouTubeとかあるからリアルタイムで知ることができるけど、チャートの話にしても「あんなのどうせ、お金で操作してるんやろ?」とまで言われたし。でも30年経って、今回晴れて映像が公開されて「ね、本当にやってたでしょ?」と証明できるわけです。
30年経ってもツアーのやり方は変わってない
──それにしても30年って歴史を感じさせますよね。
山下:当時はまず、携帯電話がないから(笑)。そこが一番大変でしたよね。とりあえずホテルにチェックインしたらまず、ルームリストが必要やもんね。携帯がないから、例えばニィちゃん(二井原)とメシ行くんやったら、ニィちゃんの部屋は何番やろって。でも、30年前と比べていろいろ進化してるけど、アメリカツアーのやり方は変わってないね。バスに乗って、バスで寝て。頼むわ、ほんま(笑)。
二井原:サンディエゴでライブをやった次の次の次のライブがノースキャロライナっていうね。西海岸から東海岸へ、そのままバスで移動するのも初めてだし。
山下:1000km以上あるから。なんや、今回は3日くらい休みがあるからえらい楽なスケジュールやなと思ってたら、全部移動の時間だっていう。
──そこだけは当時からまったく変わってないんですね。
山下:全然変わってないです。たぶんスケジュール的にここの小屋が空いてます、ここが空いてますってことでブッキングした結果、こんなことになってしまうんやろうけど。エグいよね、移動が。
二井原:1日移動しても景色変わらへんねんもん。
山下:基本的に、Tシャツで大丈夫な場所からダウンジャケットがないとダメな場所へ行くからね。そこで風邪ひくんですよ、だいたい(笑)。だからやることはまったく変わってないです、30年前と。食べるものも変わってないよね。ライブが終わってバスに乗ってもピザが3種類ぐらい置いてあるだけで。
二井原:エサですよ(笑)。で、ビールとコーラが置いてあって。
──以前、二井原さんがラジオで話していた内容で、当時POISONとCINDERELLAが自分たちの前座だったのに、しばらくしたらその2組がバカ売れして立場が逆転したという話がありましたが。
二井原:そうそう、『LIGHTNING STRIKES』のツアーで一緒に回ってる間にあれよあれよで。
山下:どっちも全米チャートのトップ3に入ってたよね。なのに僕らは100位内から1週間ぐらいで消えてたから。
二井原:ベスト10に入ってるバンドを従えてツアーを回るんやけど、あれは変な話やったな。
山下:あの頃、CINDERELLAのベース(エリック・ブリッティンガム)はまだ全然お金を持ってなくて、毎晩俺がビールを奢ってたな。で、「お前売れてんねんから、次会ったら奢れよ?」って言ったけど、まだ奢ってもらってないわ(笑)。まあ曲が覚えやすかったもんね、CINDERELLAもPOISONも。
二井原:カッコ良かったし、いいライブしてたからね。