栗原裕一郎緊急寄稿 過去のアイドル襲撃例から考えるAKB48襲撃事件
松田聖子殴打事件
1983年3月28日、沖縄市営体育館で皮切られたツアー「松田聖子スプリング・コンサート」が中盤を過ぎた頃、若い男がステージに上がり、30cmくらいのスチール製の金具で松田聖子(当時21歳)に殴りかかった。「渚のバルコニー」を歌う聖子の右斜め後ろあたりから近づいた男は、彼女の頭部を何度も打ちつけ、その場でスタッフに捕り押さえられた。聖子は失神し、救急車で牧港中央病院へ運ばれ入院した。右の手首と中指、頭に傷を負っており、全治1週間だった。
この公演はテレビ番組の公開収録だったため、暴行シーンも録画されており、ワイドショーなどで繰り返し放映された。男も公開録画であることを知った上で犯行に及んだらしく、捕まったとき「有名になりたい」「事件を全国に放送してくれ」などと喚いたという。
男は当時19歳、埼玉県入間市の精神病院に入院中で、聖子の大ファンだった。26日に外出許可を取り、27日に家族と東京へ買い物に出掛けたのだが、そこで行方がわからなくなった。3万5千円ほど小遣いを持たされており、その金で航空券を買い沖縄へ飛んだらしい。警察でも「有名人の松田聖子を殴って自分も有名になろうと思った」と供述したというから、ある程度計画的な犯行だったということになるだろう。
聖子は1週間後に熊本でステージに立ち復帰した。当時連載していた『週刊明星』のコラムに、聖子は、歌手という仕事がファンに夢として広げる「妄想という世界の中で,私が犠牲になったと思うだけ」だと書いた。犯人も、自分と同じように傷ついているのではないかと慮る内容である。
明るく振る舞っていた聖子だったが、事件後2007年まで、実に24年もの間、沖縄でのコンサートを開催しなかった。
倉沢敦美刺傷事件
これが今回のAKB事件には一番似ている。1984年4月8日、倉沢淳美(当時16歳)は、ソロデビュー曲のキャンペーンのため、北海道札幌市でサイン会を行った。終了後、倉沢は、会場出入り口で、一人ずつ握手をしてファンを送り出した。犯人の男は握手の列に並んでおり、自分の順番が来ると、隠し持っていたナイフでいきなり切りつけた。倉沢は右手首を約6cm切られ全治2週間の怪我を負い、男は警備中の警察官に現行犯逮捕された。
男は26歳の会社員で、警察の取り調べに対し、最初「わけがわからないうちにやってしまった」などと話していて発作的な犯行と思われたが、次第に、高部知子のファンであることが判明する。
倉沢と高部、高橋真美の3人は、テレビ朝日系の人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』内で組まれたグループ「わらべ」のメンバーだった。わらべは企画ユニットながら、デビュー曲「めだかの兄弟」が100万枚に迫るヒットになるなどアイドルとして高い人気を獲得したが、その数ヶ月後に、情事の後を思わせる姿でベッドに寝そべりタバコをふかす高部知子の写真が『FOCUS』にすっぱ抜かれた。当時15歳だった高部はこのスクープで芸能人生命をほぼ絶たれた。
以後わらべは倉沢と高橋の二人組として継続することになり、倉沢はこの事件を受け週刊誌に「高部の分まで頑張る」というコメントを出したのだが、これが犯人の癇に障ったのである。
この機に乗じて売り込もうしている、そう受け取った犯人は、痛い目に遭わせてやろうとナイフを用意しサイン会に潜入したのだった。
倉沢はその後3年ほど歌手を続け、10枚のシングルと4枚のアルバムを出したが、わらべ時代のような人気を獲得することはなく、91年頃、芸能界を引退した。
……と書くといかにも落ちぶれてしまったようだけれど、倉沢は芸能人時代から付き合っていたオーストラリア人と結婚し、3人の子供にも恵まれた。現在はドバイに住んでおり、セレブな生活とテレビに取り上げられたりしている。
切りつけた男のその後はわからなかった。
「AKBなら誰でもよかった」の意味
その他にも、18歳当時の吉永小百合が、手製のピストルを手に自宅に潜入していた男に襲われた事件(1963年)や、山口智子(当時28歳)の自宅マンションに宅配業者を装った男二人が乱入した事件(1992年。当時秘密裏に付き合っており山口宅にいた唐沢寿明が撃退した)、西村知美(当時18歳)の姉(当時20歳)が、知美のファンの男に自宅から拉致され車で連れ去られた事件(1989年)などなど、小さなものまで数えると、無数とまでは行かないが二桁くらいは拾い上げることができる。ちなみに、山口の事件は犯人が逃げたのでわからないが、吉永、西村の事件は狂信的なファンによる犯行だった。
取り上げてきた、美空ひばり、こまどり姉妹、岡田奈々、松田聖子、倉沢敦美の事件は、この手の事件のショーケースとして並べられる代表中の代表だが、倉沢の件が捻れているとはいえ、いずれもやはり狂信的ファンが犯人だった。
今回のAKB襲撃事件は、犯人の「AKBなら誰でもよかった。襲ったメンバーの名前は知らなかった」という供述をひとまず鵜呑みにするなら、狙われたのは、AKBという集団あるいはシステムだったということになるだろう。運営側などから「無差別テロ」という言葉が出ているけれど、AKBという集団・システムが狙われたのだとすれば、無差別という評価はやや外れている。「AKBなら誰でもよかった」と「AKBでなくてもよかった」では意味がまるで違う。
個人ではなく、特定の集団・システムに狙いを定めていたのだとすれば、芸能人襲撃事件としてはほぼ例がなく、思い入れのない対象を襲ったという点も含めると、かなり特異な部類になってくると思われる。
もちろん犯人の言葉足らずで、「AKBでなくても誰でもよかった」の可能性もあり、その場合は運営サイドの判断が妥当ということになる。
要するに、これっぱかしの材料では判断がつかないということであり、今後の追究が待たれる……と、結局、最初に書いたことに戻ってしまうのだが。
■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter