栗原裕一郎緊急寄稿 過去のアイドル襲撃例から考えるAKB48襲撃事件

こまどり姉妹刺傷事件

 1966年5月5日、鳥取県倉吉市民会館で「こまどり姉妹ショー」が開催された。終演間近、舞台の並木栄子・葉子姉妹(当時26歳)にファンが詰め寄りプレゼントを渡すなか、最前列に座っていた男が花束を手に近づいてきた。男は舞台に駆け上がり花束を捨てた。手には刺身包丁が握られており、葉子の腹を刺した。続けて自分の腹に包丁を突き立てたが、会場警備中だった警官に現行犯逮捕された。葉子は全治2ヶ月の重傷、男は全治10日ほどの怪我だった。

 男は倉吉市に住む18歳の少年で、姉の栄子の大ファンだった。少年は懐に遺書を忍ばせていた。二人で歌っていても姉のほうはいつも寂しそうに見え、自分と結婚して、歌は趣味でやればいいと考えていた。他の土地の公演にも足を運び、手紙を送るうちに、栄子のためなら死んでもいいと思いつめ、あげく無理心中をはかろうと犯行に至ったのだった。

 しかし刺されたのは葉子であり栄子ではなかった。警察は見誤ったのだろうと判断したが(何しろ双子だ)、ノンフィクション作家の朝倉喬司は、少年が「自分の中だけでひたすら醸成した栄子の孤独感、不幸感の根拠をもっぱら妹の葉子に求め、栄子のために、それを抹殺してしまおうとしたのではないか」という解読をしている。「二人でいても、一人ぼっちに見えた」という少年の供述は「ハッとするほど、こまどり姉妹の歌の本質をついており、ファンの熱狂というものの直感に驚かされる」とも書いている(『別冊新評 戦後日本芸能史』)。
まあ、ある世代以上のノンフィクション作家にありがちな深読みの類といってよいと思うが、戦後という世相において、こまどり姉妹という存在と、少年の過剰な思い入れとの間に、現在からは想像するのが難しいその時代ならではの相互作用が働いたということはあったかもしれない。後に藤圭子が体現する時代との共振の、だいぶ小ぶりな先例みたいなものが。

 6年後、鳥取県の山中で白骨死体が発見された。所持品から葉子を刺した少年であることが判明した。首吊り自殺だった。事件後、少年は少年院に収監されたが、69年に出所してからは大工の見習いとして真面目に働いていたという。

 葉子の回復を待ち、その年の12月にこまどり姉妹は活動を再開したが、父母が急死する、葉子が癌に罹る、栄子が未婚の母になる、税理士が横領して莫大な借金を抱えるなどトラブルに立て続けに襲われ(少年の自殺もその一つだったろう)、73年3月に芸能活動を休止した(76年に復帰)。

岡田奈々監禁事件

 1977年7月15日の深夜1時頃、港区の岡田奈々(当時18歳)のマンションに男が侵入した。暑さのため開け放していた窓から入り込んできたのだが、部屋は8階にあった。よじ登ったとも、空室だった隣室からベランダを伝って忍び込んだともいわれたが、犯人は捕まらなかったので真相はわからない。

 男は身長180cmくらいで、覆面を着けていた。目を覚ました岡田を押さえ込み、ナイフを突き付けて顔を殴った。脅された岡田は反射的にナイフを握ってしまい、30針を縫う大怪我を負ったのだが、男はナイフで切り裂いたシーツで手当をしてくれた。水が欲しいというと飲ませてくれ、持参したナイフでトマトなどを切って食べさせたりもしたという。

 ベッドに縛り付けた岡田に向かって、男は、アイドルとしての心構えなどについてアドバイスやら説教やらをし、あげく新曲だった「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」のテープにあわせて歌い踊って見せたりした。

 やがて、男は、血の付いたパジャマを着替えるよう命令した。岡田は男の前で着替えをせざるをえなかった。

 約5時間の籠城の末に迎えた朝、男は、血の付いたシーツとパジャマを手土産に岡田のマンションから立ち去った。去り際に拘束を解かれていた岡田は直ちに110番した。

 事件発覚後、岡田の事務所は、しばらく安静が必要と発表したが収まりがつかず、数日後に、岡田本人が手に包帯を巻いた姿で記者会見に臨むこととなった。

 収拾がつかなかったのは、むろん、清純派の岡田が、果たしてレイプ被害に遭ったのかということに芸能マスコミの興味が集中していたからだ。

 岡田奈々は1975年にアイドル歌手としてデビューしたばかりだった。歌唱力はなかったが、70年代アイドルの中では突出した清楚な美形で、CMやドラマに引っ張りだこ、4枚目のシングル「青春の坂道」もスマッシュヒットして、これからという時期だった。

 岡田は、レイプはもちろん、キスもされなかったし、胸も触られなかったと弁明したが、額面通りに納得した芸能メディアはほとんどなかった。

 先述したように、犯人は結局捕まらないまま時効が成立してしまった。だが逸話があって、作家の安部譲二が塀の中にいたときのこと。ある受刑者が岡田を強姦したと自慢げに吹聴しているのが耳に入った。岡田の熱烈なファンであった安部は、その男を半殺しの目に遭わせて、刑期が2年だか3年だか延びたそうだ。

 清純派アイドル歌手だった岡田にこの事件が影を落とさないはずがなく、その後もレコードのリリースはコンスタントに続いていたが、20歳を機に、歌手を廃業して女優に転身した。以降、傍目には順調に女優のキャリアを積み重ねていったように見えるが、岡田の内心は知りようがないし、70年代アイドル歌手から希有な人材が一人失われてしまったことは間違いない。

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