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某TV CFに出演し、一躍時の人になったAFRA。だが、それほどまであのCFで披露したヒューマン・ビートボックスは威力を持っていただろうか? 彼の本当の実力はあんなモンじゃない。まず言いたいのは、AFRAがあのCFで見せたヒューマン・ビートボックス(以下ビートボックス)はイロモノではない、ということ。少し前に話題となったヴォイス・パーカッション(ボイパ)とは似て非なるものなのだ。というのも、ビートボックスは歴然たるヒップホップの要素なのだから。口を使って楽器を真似た音を出す、という一連の作業は、ヒップホップが世界的カルチャーとして機能せずに、極限られたマイノリティによるライフ・スタイルそのものだった頃——70年代後期〜80年代初期あたりか——ビートボックスは産声を上げた。その発端はサウンド・メイクをして金を稼ぎたいがトラック制作に必要なドラム・マシン(ビートボックス)を購入できなかったので、ドラム・ビートを口で模したことが始まりだった、という説が一般的である。まあ、ドゥ・ワップよろしく街角で組まれたサイファーのなかでフリースタイル(・バトル)を行う時頻繁にビートボックスが用いられているわけであり、それが広まっただけなのかもしれないが。で、その始祖としてはファット・ボーイズのバフやダギー・フレッシュ、ビズ・マーキーなどが挙げられる。といっても、「スクラッチの始祖=グランド・ウィザード・セオドア」のようにはハッキリと分からないようである。最初の大ヒット曲がダギー・フレッシュ&スリック・リックの「La Di Da Di」なのは間違いない事実のわけだが。アレ、なぜここまで話がこじれたのだろう? そう、AFRAだ。高校2年生の夏、N.Y.のセントラルパークで元ザ・ルーツのラゼールによるビートボックスを目撃したAFRAは、すぐにこの技の虜になってしまったそうだ。ちなみにAFRAが師匠と仰ぐこのラゼールも、生粋のN.Y.オールドスクーラーである。ラゼールは同時に8種類もの音を口から……と、また話がこじれてしまうからムリヤリ軌道修正。その後、ビートボックスの鍛錬を重ねて人に聴かせられるほどの腕前(口前)になったAFRAは、99年に渡米。そこでラゼールやハイエログリフィクス、ダギー・フレッシュ、エクスエキューショナーズ、Q・バート、DJスプーキーらと共演を果たす(<WARP>所属のテスとも友達らしい)。さらに 、02年にはブルックリンで開催されたビートボックス・コンテストで優勝し、その名前をアメリカ国内で確実に響かせたそうだ。で、その渡米時の一端はヒップホップにフォーカスした映画『SCRATCH』やビートボックスに焦点を当てた『BREATH CONTROL』などで見ることができるので、ぜひ。でもって、近年筆者は、その『SCRATCH』やその日本ツアー・ライヴ、『BREATH CONTROL』、ラゼールとAFRAのジョイント・ライヴなどで彼の口技を目撃したわけだが、それはあのTV CFなんか目ではないほど凄まじいものだった。百聞は一見にしかず、そのほどを実際に観るにこしたことはない。が、『Always Fresh Rhythm Attack(AFRA)』(03年)とプレフューズ73を呼んだ異種格闘技的ハイブリッド作『DIGITAL BREATH』(05年)という2枚のCDでも彼の妙技を味わうことができるので、手に取ってみてはいかがだろうか。そうすれば、あのTV CFで見せたパフォーマンスが、彼のスキルの極々一部でしかないことが分かるはず。