有村架純、『海のはじまり』で極まる柔軟な芝居 弥生の“生きている”という感触を体現
放送中の月9ドラマ『海のはじまり』(フジテレビ系)は、観ているうちに一人ひとりの登場人物の心に触れ、そのたびに胸を締め付けられる作品だ。第9話「夏くんの恋人へ」では物語がこれまで以上に大きく展開し、最終回でどのような着地の仕方をするのか読めないでいるのは私だけではないだろう。
そんな本作も残すところあと2話。それぞれの俳優が名演を生み出す中、とくに有村架純に魅せられてきた。彼女の役の体現ぶりが、回を重ねるごとに極まっていると感じているからである。
目黒蓮が主演を務める本作で有村が演じているのは、化粧品メーカーの開発部で働くヒロイン・百瀬弥生。真面目で几帳面な性格の持ち主で仕事もできる彼女は、恋人の月岡夏(目黒蓮)との交際も順調だった。しかし、南雲海(泉谷星奈)の登場によってすべてが一変。この海という少女は、夏のかつての恋人である南雲水季(古川琴音)と彼の間にできた子どもで、水季はすでにこの世を去っている。弥生は過去に望まない妊娠をし、中絶した経験がある。弥生は何に拠って立てばいいのだろうか。その心の内を思うと、とても胸が痛んだものだ。
しかし彼女は、持ち前の明るさと気立ての良さで周囲の人々との友好な関係を築き、停滞や後退することなく前進し続けてきた。それでも私たち視聴者は、彼女が独りで悩み、苦しんでいたのを知っている。だから何事もなかったかのように夏と海の“父娘”と交流しているのを見るにつけ、どうにも複雑な気持ちになったものだ。
このあたりの有村の表現は、ほとんど完璧だといえるものだった。もちろん、演技に“唯一解”というものは存在しないだろう。けれども、弥生がその一挙一動によって独りで本音を吐露する姿と夏たちの前で気丈に振る舞う姿を比較したとき、微妙だが、何か決定的な違いがあった。そこには変化が認められた。そしてこの“違い=変化”はドラマが進展するにつれ、膨らんだり縮んだりしていた。