『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』はアニメファンにこそ観てほしい 大奥に蘇る“薬売り”の救済

2007年にシリーズで放送されたアニメ版『モノノ怪』は、謎めいた「薬売り」を主人公に、女性の語り得ない悲哀が託された「モノノ怪」を退魔の剣で斬ることで傷を癒やす物語を描いていた。2024年7月26日に公開された劇場版三部作の第一章『劇場版モノノ怪 唐傘』は、大奥を舞台にしつつ17年越しに物語を鮮やかに、かつ妖しげに蘇らせた。
そして、第二章『劇場版モノノ怪 火鼠』が2025年3月14日より全国ロードショーとなる。第一章に引き続き、舞台は人間の欲望と権力がうごめく大奥。第一章は新人女中の二人が主役だったが、第二章は大奥の選ばれし女性たちである御中臈にフォーカスが当てられる。御中臈たちのきらびやかな生活の描写に、『モノノ怪』独自の絵巻物に息を吹き込むような美術の力が遺憾なく発揮されている。同時に、第二章の「モノノ怪」である「火鼠」が登場するシーンは、2次元的な世界をものともしないカメラワークで緊迫感、そして「薬売り」が身軽に繰り広げるバトルの躍動感を演出していく。
ますます磨きのかかる画面の美しさに息を呑みつつ、それと同時に「薬売り」はきっとこれからも何度も蘇り、それぞれの時代に生きる女性の語り得ない傷を斬ってくれるという確信を改めて持ったのだ。

アニメ版『モノノ怪』で示された「カウンセラー」的薬売り
2007年に放送されたアニメ版の『モノノ怪』は、舞台を変えて次々と登場する傷ついた女性たちを「薬売り」がひたすら救っていく物語だった。
そこに登場する女性たちは、世の理不尽において完全なる被害者であり、いたって無垢な存在だった。たとえば、「海坊主」で兄の代わりに人身御供となった妹のお庸。また、「のっぺらぼう」では家族に虐げられるお蝶、「鵺」では男性たちに同時に求婚される瑠璃姫が登場した。一方で「化猫」では、圧倒的な権力に自分の正義が挫かれる節子も描かれていた。さらに「座敷童子」では、望まれぬ妊娠をした志乃がいかに翻弄されたかが描かれていた。
ただ生きていただけなのに、底なしの溝に偶然はまってしまっただけ。そしてこの不運な“誰でもよかった悲劇”によって口を塞がれた彼女たちは本当に無力だ。
それは彼女たちが「モノノ怪」になったあとでも変わらない。『モノノ怪』の美術の大きな特徴である和紙を重ねたような世界で不気味にうごめき、人を恐怖に陥れる「モノノ怪」になっても、自分ひとりでは助かることができず、助けてくれる誰かを求めて孤独に現世を彷徨っているのだから。
これらの物語の結末として、「薬売り」が「モノノ怪」の名前(形)を得、彼女たちが語ることのできなかった事実(真)と本音(理)を暴いて鎮める。「薬売り」は、口を塞がれてしまった女性たちの語り得ない傷を解消するカウンセラー的な役割を負っている。つまり『モノノ怪』は、いわば「薬売り」による女性たちのカウンセリング的な物語なのだ。
『劇場版モノノ怪』で描かれる、自らの意志で突き進んでいく女性たち

『劇場版モノノ怪』では、アニメ版とは対照的に自らの意志で理不尽をかき分けて突き進んでいく女性が描かれている。
2024年に公開された第一章『劇場版モノノ怪 唐傘』では、大奥に新人女中として入るアサとカメの視点から、大奥に生きる人間の様子が描かれていた。登場する女性たちは理不尽な世界と果敢に交渉し、時には対価を払うことで自分のほしいものを手に入れようとしていた。
たとえば、カメは大奥に入る際、持ってきていた宝物を最終的には己の手で井戸に捨て、同時にそれまでの生き方も捨てていた。さらには、大奥の中でわずかに限られた椅子に座るため、仲間同士で足の引っ張り合いをする女中たちもいる。

彼女たちはまるで、大奥で不気味に信奉されている「御水様」、毎日皆で飲むことになっているあの水をなんとか飲み下すように、大奥で自らの身に起きる理不尽を自分の意志でぐっと飲み込んでいくのだ。すべては大奥における出世のため、自分の思い描く夢を叶えるため――。





















