『どうする家康』は脚本家・古沢良太の大転換に “偉大なる凡庸”として徳川秀忠を描く意義
NHK大河ドラマ『どうする家康』がいよいよ大詰めを迎える。本作は戦国時代を終わらせ、江戸幕府を開いた徳川家康(松本潤)の生涯を描いた物語だ。
脚本を担当するのは、『リーガル・ハイ』(フジテレビ系)や『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)といった連続ドラマを手がけてきた古沢良太。
この2作はバディものの傑作で、『リーガル・ハイ』は、勝つためなら手段を選ばない悪徳弁護士の古美門研介(堺雅人)と上から目線の正義を振りかざすため、「朝ドラヒロインか?」とバカにされる部下の黛真知子(新垣結衣)、『コンフィデンスマンJP』は、天才的な信用詐欺師のダー子(長澤まさみ)と、いつもダー子に騙されて良いように利用される詐欺師仲間のボクちゃん(東出昌大)という、詐術で人を騙して自分の都合の良い方向に物事を誘導して周囲を翻弄するトリックスター的な主人公と、真面目で純粋だが、他人のことを簡単に信じてすぐに騙されてしまう純粋な相棒の掛け合いで、話は進んでいく。
古美門が黛を罵倒する時に「朝ドラヒロイン」と言うのが象徴的だが、既存のフィクションなら主人公になるような善良で純粋な人間を、古沢は主人公として描かず、愚鈍な存在として徹底的に批判してきた。
そもそも、古沢の脚本自体がトリックスター的である。彼の書く物語は敵と味方がコロコロと入れ替わり、騙し騙されの情報戦が延々と続くのだが、視聴者もまた古沢に騙される。劇中で感動的なセリフが登場したとても、それは相手を騙すための詭弁であることがほとんどで「あの時の感動はなんだったのか?」と毎回、唖然とさせられる。つまり、古美門やダー子に騙される黛やボクちゃんのように、視聴者も古沢に翻弄されてしまうのだ。
奇術を見せて感動させた手品師がすぐさま種明かしをするかのように「物語なんていくらでも捏造できる」ということを、テレビドラマでネタばらししてしまうのが古沢脚本の特徴だ。彼の物語に対する冷めた距離感は極めて現代的で、フェイクニュースが蔓延し、何が真実で何が嘘かわからないポスト・トゥルースの時代を象徴する作家だと言えよう。
そんな古沢が大河ドラマを書くと知った時は、古美門やダー子のようなトリックスターが周囲を引っ掻き回すコメディテイストの作品になるかと思っていたのだが、主人公の家康が、黛やボクちゃんのような“愚鈍な善人”だったことは実に意外だった。
当初、家康は「白兎」と呼ばれており、弱くて臆病だが純粋で優しい若君として描かれていた。一方、乱世の英雄として登場する織田信長(岡田准一)や武田信玄(阿部寛)は、一癖も二癖もある非情な策士として描かれており、むしろ彼らの方が、古美門やダー子のようなトリックスター的存在だったと言える。
クセの強い英雄たちに家康は翻弄され、負け続けるのだが、謀反の疑惑がかけられた正室の瀬名(有村架純)と嫡男の松平信康(細田佳央太)が自害に追い込まれたことをきっかけに考えを改め、天下統一を果たすために、「信長を殺す」と決意する。
つまり、はじめは黛やボクちゃんだった家康が闇落ちして、古美門やダー子のような存在に変わっていく姿が描かれるのだ。