本多忠勝、森長可、真田信繁、結城秀康ら、“槍の使い手”から『どうする家康』を紐解く

“槍の使い手”から紐解く『どうする家康』

 「いくたびの戦で、かすり傷ひとつ負ったことなし!」という名乗りも雄々しい、山田裕貴演じる「本多平八郎忠勝」をはじめ、大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合)には、「戦国の猛将」として後世に伝えられている勇猛果敢な武将たちが、数多く登場している。

 彼らの得物は、多くの場合「槍」だ。そこで本稿では、このドラマに登場する「槍の名手」たちと、彼らが愛用したとされる「槍」に注目して、これまでの見どころ、そして今後の注目ポイントについて、“刀剣的な観点”から考えてみることにしたい。

 まず最初に紹介するのは、冒頭にも挙げた「徳川四天王」のひとり、本多忠勝だ。鹿の角をあしらった脇立が特徴的な兜、漆黒の当世具足、肩から下げた大数珠など、ついに「完全体」となった忠勝がその手に握りしめているのは、のちに「天下三名槍」のひとつに数えられることになる「蜻蛉切(とんぼきり)」だ。その穂先にとまったトンボが真っ二つになるほど切れ味鋭いとされるこの槍を携え、大小50を超える戦を怪我ひとつないままくぐり抜けたという忠勝は、徳川家康(松本潤)の天下獲りにおいて、まさしく欠くことのできない存在のひとりだったと言えるだろう。彼の本当の見せ場は、まだまだこれからだ。ちなみに「蜻蛉切」は現在、静岡県三島市にある佐野美術館に所蔵されており、年に数回一般公開されている。

 そして、家康自慢の「三河家臣団」の中にはもうひとり、槍の使い手として知られる武将がいる。「徳川十六神将」のひとりに数えられる、渡辺半蔵守綱(木村昴)だ。「槍半蔵」の異名でも知られる守綱は、家康がまだ松平姓を名乗っていた頃、三河一向一揆においては、本多正信(松山ケンイチ)ともども一揆側に与するも、赦免帰参。その後は、旗本足軽頭として、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧長久手の戦いで先鋒を務めるなど、大いに活躍した。

 一方、小牧長久手の戦いで家康と対決した羽柴(豊臣)秀吉(ムロツヨシ)軍の「鬼武蔵」こと「森長可(城田優)」もまた、その通り名のごとく、多くの人に恐れられた猛将だった。「本能寺の変」で織田信長(岡田准一)と共に討死した近習・森乱(大西利空)の兄でもある彼は、13歳で家督を継いで以降、長きにわたって信長に仕え、各地の戦場で活躍しながら、頭角を現すようになった人物だ。そんな彼が愛用したのは、「人間無骨」の銘が彫られた大身の十文字槍だと言われている。しかしながら、今回のドラマでは、残念ながらさしたる見せ場もなく、自身の岳父である池田恒興(徳重聡)と共に長久手の地で討死した。

 そんな小牧長久手の戦いの前年、「本能寺の変」で討たれた信長の後継をめぐる羽柴秀吉と柴田勝家(吉原光夫)の戦い――「賤ヶ岳の戦い」で武勲を上げたのは、のちに「賤ヶ岳の七本槍」と称されるようになる、加藤清正、福島正則、片桐且元、脇坂安治、糟屋武則、加藤嘉明、平野長泰という7人の若手武将たちだった。

 一説によると、「徳川四天王」のような譜代の有力家臣を持たなかった秀吉が、自身の子飼いである若手を広く世に喧伝するために称したものであって、その実力にはバラつきもあったとされる「賤ヶ岳の七本槍」。しかし、その後の活躍――とりわけ、このあと描かれるであろう朝鮮出兵における獅子奮迅の活躍を鑑みるに、すでにドラマの中にもチラリと登場している「加藤清正(淵上泰史)」と「福島正則(深水元基)」の槍の腕前は、相当なものであったようだ(先ごろ、川島潤哉が演じることが発表された「片桐且元」は、「槍の使い手」とは違う形で、今後の物語で大きな役割を担うことになる)。

 現在、東京国立博物館に所属されている「片鎌槍」――十文字槍の片側の枝を短くした大身の槍を好んで用いたという加藤清正。それに対して福島正則は、「天下三名槍」のひとつである「日本号(にほんごう)」の所有者としても知られている。秀吉から賜ったその槍を、酒席の口約束が災いして、不本意ながら黒田孝高の家臣・母里友信に譲り渡すことになってしまったというエピソードも有名な福島正則。ちなみに「日本号」は現在、福岡県福岡市博物館の所蔵品として、常設展示されている。

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