実写版『白雪姫』はなぜ批判を受けたのか? レイチェル・ゼグラーの発言を巡る議論を解説

実写版『白雪姫』はなぜ批判を受けたのか?

 ひょっとしたら実写リメイク版『白雪姫』ほど、公開される前から、そして公開された後からも、酷評の嵐に晒され続けた作品はないかもしれない。

 かつての名作をリメイクすることは……しかも今から88年前に作られた、1937年制作の偉大なアニメーション映画を実写化することは……非常にチャレンジングであり、同時にリスクの高い仕事といえる。世界中にいる古参ファンの期待を損なうことなく、初めて『白雪姫』を鑑賞する新規層にも、感動を与えなければならないのだから。

 白雪姫役にレイチェル・ゼグラーが抜擢されたときから、「雪のように白い肌を持つ白雪姫のイメージとはそぐわない」と、保守的なファンからは戸惑いの声が上がった。スティーヴン・スピルバーグ監督の『ウエスト・サイド・ストーリー』で銀幕デビューを飾った彼女は、南米コロンビアの血をひくラテン系。アフリカ系のハリー・ベイリーがアリエルを演じた『リトル・マーメイド』のときと、同様の議論が巻き起こったのである。

 オリジナル版を否定するようなレイチェル・ゼグラーの発言にも批判が集まった。

「私が言いたいのは、今はもう1937年ではないということです。私たちは間違いなく、王子に救われることも、真実の愛を夢見ることもない『白雪姫』を描きました。彼女は、自分がなれると知っているリーダーになることを夢見ています」(※1)

「オリジナルのアニメは1937年に公開されましたが、彼女のラブストーリーに大きな焦点が当てられています。文字通り、彼女をストーカーする男とのラブストーリーです。奇妙ですよね」(※2)

 『眠れぬ森の美女』のオーロラ、『美女と野獣』のベル、『アラジン』のジャスミンなど、ディズニー映画には“ディズニープリンセス”と呼ばれる系譜がある。その時代の女性像が投影され、時代の変遷と共に性格・行動・価値観も更新されてきた。初代プリンセスの白雪姫は、「いつか王子様が」(Someday My Prince Will Come)を歌い、白馬の王子様を待ち続ける古典的お姫様像。おそらくレイチェル・ゼグラーは、時代の変化に対応した白雪姫にするべきだと訴えたかったのだろうが、オリジナル映画批判として受け止められ、集中砲火を浴びてしまったのである。

 政治的な発言も槍玉に上がった。レイチェル・ゼグラーは、かねてよりパレスチナ支持を表明。『白雪姫』の予告編が公開されたタイミングでは、X(旧Twitter)で感謝を伝えると共に、「パレスチナを解放することを忘れずに」というメッセージを投稿した。過度に政治性を帯びてしまうことをディズニー側は懸念し、プロデューサーを通じて削除を要請したが、ゼグラーはこれを拒否。親イスラエル派を中心にバッシングが広がってしまう。邪悪な女王を演じたガル・ガドットがイスラエル出身であることから、主演俳優2人の政治的対立を書き立てる記事もあった。

 騒動はこれだけに収まらない。『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオン役などで知られるピーター・ディンクレイジは、別の角度から『白雪姫』を批判した。

「ディズニーがラテン系の女優を白雪姫役に起用したことに誇りを感じていたのに、『白雪姫』のストーリーをそのまま伝えていることに、少し驚いた。一歩引いて、そこで何をしているのか見てほしい。私には意味がわからない。ある意味では進歩的なのに、7人のこびとたちが洞窟で一緒に暮らすという、あの時代遅れなストーリーをまだ作っているのか」(※3)

 今回7人のこびとたちはCGで作られているが、それは低身長症の俳優たちが活躍する場を奪うものだという批判も起きている。『白雪姫』はあまりにも多くの批判に晒されながら、公開日を迎えたのだ。

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