『エブエブ』が席巻した第95回アカデミー賞の特徴を検証 “優しさ”を渇望した社会の反映に
北米時間3月12日に行われた第95回アカデミー賞は、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)が作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞(ミシェル・ヨー)、助演女優賞(ジェイミー・リー・カーティス)、助演男優賞(キー・ホイ・クァン)、編集賞の7部門を受賞し最多受賞作品となった。主演男優賞は『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーが受賞、A24はアカデミー賞95回の歴史で主要6部門を独占した初のスタジオとなった。1作品から3つの俳優賞受賞は、『欲望という名の電車』(1951年)と『ネットワーク』(1976年)以来の快挙。ミシェル・ヨーの主演女優賞はアジア系俳優で初、有色人種ではハル・ベリーが『チョコレート』(2001年)で受賞して以来となった。また、『エブエブ』はいわゆる賞レースシーズンと呼ばれる秋冬に劇場公開された作品ではなく、昨年3月のサウス・バイ・サウスウエスト(テキサス州オースティン)でプレミア、4月に拡大公開された作品。『スイス・アーミー・マン』(2016年)のダニエルズが中国系移民のマルチバースを描いた奇想天外な作品はSNSと口コミで評価を固め、北米で7379万ドル(約98億円)、全世界で1億ドル(約133億円)以上の興行成績を上げ、A24最大のヒット作となった。“史上初”が並んだ今年のアカデミー賞の特徴を検証してみよう。
1. オスカーの国際化と現代アメリカ映画
作品賞以下7部門受賞の『エブエブ』と、技術3部門と国際長編映画賞受賞のドイツ映画『西部戦線異状なし』が席巻した授賞式直後、監督・脚本家のポール・シュレイダーは自身のFacebookに、「オスカーはハリウッドではなくなった。会員の多様化、票集計方法見直しによって、ハリウッドのアカデミー賞は国際アカデミー賞へと変貌を遂げた。(中略)オスカーは年々意味をなさなくなっている。理由は明らかだ。(アカデミー・)ミュージアムの負債と興行収益減によって利益を追求するあまり、Wokeにならざるを得なくなった」と書いている。(※1)『タクシードライバー』(1976年)の脚本家で、『魂のゆくえ』(2017年)でアカデミー賞脚本賞に初ノミネートされたシュレイダーは、ハリウッドの多様化と国際化に苦言を呈した。
シュレイダーの指摘通り、今年のアカデミー賞のノミネーションの半数(米国63、国外62)、受賞の半数(米国11、国外13)が、アメリカ以外の資本作品もしくはアメリカ以外の国籍を持つ人々だった。(※2)撮影賞と実写短編映画賞はすべて米国外の候補である。言わずもがな、『エブエブ』はアメリカ人監督によるアメリカのスタジオ制作作品で、至極現代アメリカ的なテーマを掲げた作品である。キャストの顔ぶれと使用言語(英語、中国語、チングリッシュ=中国語風英語)でアジア系映画と見紛うが、家族や近隣住民との和を重んじるストーリーと、ありのままの自分を認める帰結は、ずっとアメリカ映画が好んで描いてきたテーマだ。ダニエルズの演出・脚本に賞賛が集まったのは、語られ尽くされた感のあるスタンダードなテーマを、漫画、アニメ、ジャンル映画、アクション映画といった多様性溢れるリファレンスを用いて描いたから。
奇しくも、シュレイダー脚本・監督作の『魂のゆくえ』は、『エブエブ』と同じA24配給。ヨーロッパ移民の家系に生まれ、ヨーロッパ映画や日本映画からの影響を自認する偉大なクリエイターが狭量な発言をせざるを得ない背景には、もっと奥深いものが潜んでいるような気がする。
2. カムバックオスカー
今年のアカデミー賞は、「カムバックオスカー」と呼ばれている。ハリウッドの闇によってキャリア中断を余儀なくされたキー・ホイ・クァンとブレンダン・フレイザーが、1992年の『原始のマン』ぶりに再会し、共に演技賞を受賞した。二人のスピーチは、失意の底にいた彼らに手を差し伸べた人々に感謝し、「夢を諦めないで」と苦境にある同僚に向かいメッセージを贈る。
2020年以降低迷し続けた視聴率は3年ぶりにアップし、およそ1880万人(ニールセン調べ)が授賞式を生放送で観た。広告指標となる18歳から49歳の視聴率も5%上がった。パンデミックで劇場公開作が減った3年間を経て、作品賞候補10作品のうち、9作品が劇場公開作品。作品賞には興行成績で顕著な結果を残した作品(からスーパーヒーロー映画を除く)がノミネートされていた。いわゆるブロックバスター映画の『トップガン マーヴェリック』と『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』のノミネートは、ジミー・キンメルがオープニングモノローグで、「あれだけ『映画館へ行け!』と言っていたトム・クルーズとジェームズ・キャメロンが今日は会場に来ていません」とジョークにしていたくらい、大きな意味を持つ。劇場映画の復活は、ハリウッドとアカデミー賞の復活を意味する。
3. いわく付きのキャンペーン
今年のノミネーション発表では、『To Leslie トゥ・レスリー』のアンドレア・ライズボローが全くのノーマークから主演女優賞候補に滑り込んだサプライズの話題で持ちきりだった。監督のマイケル・モリスと妻のメアリー・マコーマックが、ハリウッドの知人・友人に声をかけ手弁当で行ったキャンペーンがひんしゅくを買い、AMPAS(映画芸術科学アカデミー)理事会が調査に乗り出す始末に。彼らのキャンペーンはアカデミー賞の規定に反してはいないが、影響力のあるセレブリティがSNSで一斉にライズボローを誉め称えた異様さに、映画業界誌や賞レース戦略を生業とする広報のプロたちが訝しげた。AMPAS理事会は今後、SNS運用についてガイドラインを示すとしている。
“ライズボローキャンペーン”が問題視されたのは、SNS運用よりもハリウッドのネポティズム(縁故主義)に根付く嫌悪感が大きい。グウィネス・パルトローやジェーン・フォンダといったオピニオンリーダーが推薦することで、ハリウッドの血統書付きを裏づけようとしたからだ。これに対応し、「属性ではなく、戦術の問題」と証明したのが助演女優賞を受賞したジェイミー・リー・カーティス。父がトニー・カーティスで、母がジャネット・リーというハリウッドファミリーに生まれたカーティスは、SAG(全米映画俳優組合賞)で助演女優賞を受賞した際のスピーチで「みんなが私を“ネポベイビー(Nepo Baby=二世)”だから役がもらえるんだと言うのもわかります。でも、私は64歳で(初めて受賞)、これは本当にすばらしいことです!」と叫んだ。
後日、518万人のInstagramフォロワーを持つカーティスは、SAG賞(全米映画俳優組合賞)とオスカー像の間に『エブエブ』の「月間優秀監査官賞」の小道具を並べ、“SNSの女王”の称号にふさわしい投稿をしている。
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