ありえない日本描写がクセになる 推しキャラを作って楽しむ『ブレット・トレイン』
伊坂幸太郎の小説『マリアビートル』(角川書店)を原作に実写映画化したブラッド・ピット主演のアクション映画『ブレット・トレイン』。9月1日に公開したばかりのあの話題作が、なんと早くも11月2日からデジタルプレミア配信で視聴できる。こんなに早くも自宅で本作が楽しめるなんて、見逃してしまった人にはもちろんのこと、劇場に足を運んだ人にとっても嬉しい知らせだろう。なぜなら、本作は一度観たらもう一度観たくなるくらい、伏線が見事に回収されていく見ていて爽快感を感じられる作品だから。それと同時に、いつ観ても、誰と観ても、どんなコンディションで観ても楽しめるエンターテインメント作品でもある。
“なんちゃってジャパン”をツッコミながら観る楽しみ
原作に基づき、日本が舞台となる本作。盗みの仕事をメインに請け負う世界一運の悪い殺し屋レディバグ(ブラッド・ピット)が、ブリーフケースを奪う依頼を受けて東京発・京都行きの超高速列車に乗り込む。彼の狙うブリーフケースは同業者の双子の殺し屋コンビ、ミカン(アーロン・テイラー=ジョンソン)とレモン(ブライアン・タイリー・ヘンリー)のものだった。彼らは世界最大の犯罪組織を率いるホワイト・デスの誘拐された息子および彼のために用意した身代金の保護が仕事だったものの、その金の入ったブリーフケースをレディバグに盗まれる。一方で、元殺し屋のキムラ(アンドリュー・小路)は息子を屋上から突き落とした犯人を突き止めに列車に乗り込むも、その犯人であるプリンス(ジョーイ・キング)の思惑に引っかかってしまう。レディバグを中心に、それぞれのキャラクターの目的と因縁が交差していく、文字通りのノンストップアクション映画だ。
登場するたくさんの個性的なキャラクターも、テンポよく進んでいく物語も魅力的だが、やはり本作の“なんちゃってジャパン”を無視することはできない。むしろ、それがこの映画の面白さを倍増させているのだ。映画の冒頭からレディバグが歩く街並みは新宿の歌舞伎町を思わせるような狭い路地に、いくつもの屋台が連なっている。足元は雨が降った後なのか濡れていて、ネオンサインが反射して画面的に映える。リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)を彷彿とさせるこの“日本的な”演出は、近年にかけても『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)や『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』(2021年)などで見受けられる。
正直、日本を知っている側の観客からすれば、その非正確性に腹を立てる人も中にはいるかもしれない。「昔とは違って、インターネットが普及したり、渡航したりしやすいのだから、いい加減ちゃんと描けるだろう」という声も理解できる。しかし、逆に言えば、日本を100%知らないからこそ描ける“日本”は、我々には生み出せないものだ。それと同時に、我々にはデフォルメされたつぎはぎのスナップ写真のようにも感じてしまう日本の様子は、海外からの憧憬そのものを表している。逆に我々では観られない景色として、ハリウッドの作り続ける“なんちゃってジャパン”は存在し続け、それこそ殺し屋コンビのミカンとレモンのセリフのように“伝統芸”としての役割を担っているのかもしれない。むしろ、正確さを求めて歪さが全て取り除かれると、そこに残るのは邦画で観るのと同じ日本の景色であり、何だか少し寂しい気持ちになってしまいそうなのだ。
そんな“なんちゃってジャパン”が、本作は全編を通して見どころ満載な形で展開されていく。これを誰かとツッコんでいくことさえ、映画の楽しみ方の一つになるだろう。例えば、乗客のほとんどがなぜか外国人であることとか、駅のホームにコインロッカーがあることとか(預けて取り出す度に改札を通らなきゃいけない?)、同じくホームに飲み屋の屋台があることとか、最終地点の京都が一昔前のような古民家だらけなこととか、明らかに「日本といえば」というテーマで出されたイメージやアイテムがエキセントリックな形で矢継ぎ早に登場する。加えて、インディ銃を持つミカンとレモンに刀を持ったヤクザが襲い掛かるという、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を彷彿とさせるシーンで、キャラクター自身がそれをナンセンスだと切り捨てる。まるで監督自身が日本イメージを優先させた演出の非合理さを自嘲しているかのようで面白い。こういうのは、むしろ“わかっている”からこそ一緒になって茶化す方が、正確性を重視して全てをノイズに捉えるより映画を楽しめるように感じた。
なぜなら、本作は楽しい映画だからだ。『デッドプール2』のデヴィッド・リーチ監督が手がけただけあって、キャラクターの軽快な会話劇が映画に旨味をもたらしているし、何より推しキャラができてしまうくらい、それぞれ個性的なキャラを際立たせる点でも効果を発揮している。