『ロミオとジュリエット』の現代解釈版 ユニークなコメディ映画『ロザライン』の理念

ユニークなコメディ映画『ロザライン』の理念

 誰もが知る、ウィリアム・シェイクスピアの筆による演劇『ロミオとジュリエット』。そのなかに「ロザライン」という名前が出てくるのをご存知だろうか。主人公ロミオが、敵対する家の娘ジュリエットと運命の出会いをする瞬間まで、彼の憧れの的として、その心をとらえていた女性である。しかしロザラインは、ロミオがジュリエットを一目見た後は、きれいに忘れ去られてしまった存在でもあるのだ。

 シェイクスピア劇では、セリフのなかで語られ、登場人物としては一切現れない。そんなロザラインとは、いったいどのような人物だったのか。本作『ロザライン』は、彼女を主人公に、『ロミオとジュリエット』の物語のなかで翻弄され、暗躍し、奔走するはめになる、“陰の存在”としての知られざる活躍を、オリジナルストーリーとして描く、ユニークなコメディ映画である。

ロザライン

 ロザラインを演じるのは、女子同士の友情を描いた『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019年)で、これまでの型を破る魅力的なインテリ女子像を提示して、人気を勝ち取ったケイトリン・デヴァーだ。主人公ロザラインもまた、舞台である14世紀イタリアに生きる女性でありながら、封建的、家父長的な社会に中指を突き立て、自分のパートナーは自分で決めると主張する、進歩的な性格。彼女はそういった状況のなかでロミオに出会い、言い寄られることとなるのだ。

 演劇『ロミオとジュリエット』では、ロザラインはロミオの愛情を拒否しているが、本作では従姉妹のジュリエットにロミオが惹かれることに、複雑な感情を覚え、二人の仲を邪魔しようと画策する。だが、その努力虚しく、物語は『ロミオとジュリエット』の通りに進行していく……。物語の流れを邪魔しようとするロザラインが、やがて悲劇の結末を回避するように行動しているのも、本作の面白いところだ。

ロザライン

 笑えるのは、ジュリエットが薬で仮死状態になって周囲の目をくらませることでロミオと逃げようとするという、物語通りの計画を聞いて、ロザラインが「そんなバカな計画聞いたことない!」と、ジュリエットに文句を言う場面だ。確かに、『ロミオとジュリエット』の物語が悲劇で終わるのは、そんな無茶苦茶な計画を立てたせいなのである。「副作用があったらどうするの? ロミオが本当に死んだと勘違いしたらどうするの?」と、ロザラインが至極真っ当な指摘をして、たたみかけるのは、われわれのもともとの疑問の代弁であり、非常に痛快なのだ。

 そして、まだ若い恋人たちが、“一目惚れ”というロマンティックな欲動にかられ、将来をともに過ごすパートナーを早々に決めてしまうことに対しても、本作は疑問を投げかける。これは、『アナと雪の女王』(2013年)のなかで、会ったばかりの王子との結婚をすぐに決めてしまうアナの顛末を描くことで、幸せなおとぎ話への懐疑を、そのようなプリンセス・ストーリーに沿って作品を作ってきたディズニー・アニメーション自らが批評性を持って指摘したことに似ているといえる。

ロザライン

 とはいえ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に、そのような批評性がなかったわけではないだろう。戯曲のなかでは、若さゆえの未熟さや思い込み、そして情熱が悲劇へと至る要因となったことは、登場人物の修道士のセリフなどで、すでに示唆されているからである。本作は、その部分をさらにロザラインという、二人の恋愛を冷めた目で見る人物の視点によって、より顕在化させているのだ。

 とくに若いうちは視野が狭く、パートナーの良いところ、悪いところを冷静に判断することは難しい。世間の価値観や表面的な魅力に振り回され、後々後悔する場合も少なくない。何しろ、ジュリエットはまだ14歳なのだ。だからこそ、自分自身のために、よく相手を見定め、自身も視野を広げ成長するべきなのではないか。そんな普遍的な知恵は、そのような慎重さに欠けた“若さ”の暴走を魅力的に描いたシェイクスピア劇のなかにも含まれていたと思われる。

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