各ヒロイン編3つのキーワードから読み解く 『カムカムエヴリバディ』100年の物語

『カムカム』3つのキーワードから読み解く

 「ひなたの道」と「暗闇」、人生のすべてを映しながら100年を紡いだ『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)が、ついに終幕を迎えた。切り絵アニメによるオープニング映像と符号するように、登場人物ひとりひとりの残した「軌跡」と「思い」の集積がうねりとなり、ひとつの大きな円に集約されていく。それは「人類の物語」だった。

 番組公式サイトのキービジュアルには「安子編」「るい編」「ひなた編」それぞれにキャッチコピーが添えられていた。これらは各編を言い表しているだけでなく、作品全体に貫かれた「志」でもあった。

「これは、すべての『私』の物語。」(安子編)

 このキャッチコピーに象徴されるように、「安子編」はどこにでもいる「ごく普通の女の子」である安子(上白石萌音)のストーリーから始まる。自転車に乗れるようになることが目下の夢だった14歳の安子が稔(松村北斗)と出会い、英語を学び始めることで新しい世界を見つけていく。やがて戦争の渦に飲み込まれ、波乱の人生を余儀なくされる。安子が必死で生きる姿は、当時の日本中にたくさんいた「私」だった。そして私たちは皆、先達たちが苦しみを乗り越えた先にある「今」を生きている。

 第1話から登場し、安子の祖父・杵太郎(大和田伸也)と父・金太(甲本雅裕)が伝え、安子、るい(深津絵里)、ひなた(川栄李奈)へと受け継がれる「あんこのおまじない」は、物語の源泉だ。「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ」という、誰かの幸せを願う気持ちが、誰かの心を動かす。あるいは、戦争で海に散った稔の祈りと志が3人のヒロインを導く。こうしたプリミティブな行動原理を真正面から見せる潔さは、人間は本来こういう「力」を持っているのだと、今この苦難の時代を生きる私たちに信じさせてくれた。

 『カムカムエヴリバディ』の世界にはスーパーウーマンもスーパーマンも存在しない。3人のヒロインを筆頭に誰しも不完全で人間らしい「ほころび」がある。彼女ら・彼らがそれぞれにつまづきながら「暗闇でしか見えぬもの」に目を凝らし、自分らしい「ひなたの道」を探し出す姿に、自分の人生を重ねていた視聴者は少なくないだろう。

「あなたがいたから私です。」(るい編)

 「るい編」では、「過去から受け継ぎ、自分の中に根を下ろす悲しみや苦しみとどう向き合うか」というテーマが描かれた。るいにとってその答えは「家族や周りの人たちと支え合いながら、今日を生きる」ということだった。

 血のつながらない“家族”である平助(村田雄浩)と和子(濱田マリ)からたくさんの愛情をもらいながら、黙々とシャツのシミ取りを続けること。結婚してからは、錠一郎(オダギリジョー)と支え合いながら、毎日回転焼きを作り続けること。子どもたちを育てること。ひなた(幼少期:新津ちせ)が投げ出したラジオ英語講座を毎日聴き続けること。こうした穏やかで地道な日々の繰り返しによって、るいは少しずつ自分と向き合い、トラウマを氷解させていった。

  「あなたがいたから私です。」の「あなた」は、るいにとっての安子(晩年期:森山良子)を指すが、そこに至るまでにるいが関わってきた全ての人たちをも表している。るいを「ひなたの道」へと導いてくれた錠一郎・ひなた・桃太郎(青木柚)という家族、「心の育ての親」である竹村夫妻、生涯の友となり支えてくれた一子(市川実日子)やトミー(早乙女太一)、「あかね通り商店街」のご近所さんたち。そして彼らがるいにもたらした幸せは、るいが与えたからこそ返ってきたもの。「あなたがいたから私です。」は、双方向の「I love you」だ。

 自らの過去の行いを詫びた雪衣(岡田結実/多岐川裕美)にるいがかけた「みんな、間違うんです」という言葉が胸に迫る。るいも安子も、誰しもが間違える。でも、やり直せる。50歳になる年に岡山に帰郷し、母と向き合う決心をしたるい。あの時閉めた扉を、もう一度開けてみようと思うまでに、40年以上を費やした。

 発病から30年をかけてトランペットと「お別れ」し、50代に入ってからピアニストへの転向を決意した錠一郎の姿にも勇気づけられる。人は何度でも、いくつになってもやり直せる。クリスマスの偕行社での「特別なステージ」には、トミーの粋なはからいによりもたらされた「40年前の自分のトランペットの音」と、今の自分が弾くピアノでセッションする錠一郎がいた。額をすべて見せ、「この傷も私の一部」と胸を張って「On the Sunny Side of the Street」を歌うるいがいた。長い年月、互いに支え合いながら過去の自分と向き合って答えを得た「魂の片割れ」どうしの姿があった。

 錠一郎が安子に言った「るいを産んでくださって、ありがとうございます」という言葉に、安子とるいの悲しみが昇華されてゆく。安子がるいを産まなければ、今のるいの「ひなたの道」も存在しない。「因果」はときに苦いものだが、自分の生き方次第で甘くもなる。

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