宇野維正×森直人が振り返る、ハル・ハートリー監督の功績 愛され続ける独自の存在感

宇野維正×森直人がハル・ハートリーを語る

「ニッチだからこそ珠玉の輝きを獲得している監督」

『フェイ・グリム』(c)Possible Films, LLC

――実際、その後『ブック・オブ・ライフ』(1998年)が2000年に公開されたのを最後に、ハートリーの映画は、しばらく日本で公開されなくなってしまいました。

森:そう。『ヘンリー・フール』の続編である『フェイ・グリム』(2006年)が、ようやく日本で公開されたのって、2018年とかだったじゃないですか。というか、僕は『フェイ・グリム』と『ネッド・ライフル』は、2018年にやった「ハル・ハートリー復活祭」っていう特集上映で観ているんですよね。その2本が、日本初公開だったから。

宇野:ああ、そっか。その頃まで、ずっと観られなかったんだ。

森:そう。ずっと、新作の公開が途切れていた。『はなしかわって』(2011年)という中編が2014年に日本公開されたけど、『ネッド・ライフル』に関しては――そう、ハートリーって、初期の頃、「ネッド・ライフル」名義で、自分の映画の音楽をやっていたじゃないですか。「ヘンリー・フール・トリロジー」の最後を飾る作品でもあるし、そういう意味でも、結構集大成的なものなのかなと思って感慨深く観た記憶があります。

宇野:ただ、今、森さんが言ったように、自分で自分の映画に音楽をつけているっていうところが……当時はそれがDIY的な意味で称揚されてたじゃないですか。まあ実際、そうやって商業映画でありながら自分で音楽をつける監督ってあまりいなかった。クリント・イーストウッドとかジョン・カーペンターとかはいたけれど。

>>「ザ・シネマメンバーズで『ネッド・ライフル』を観る」

『ネッド・ライフル』(c)Possible Films, LLC

――少なくとも、ロック系の音楽を自分でつける監督というか、自分でエレキギターを弾くような監督はいなかったですよね。

宇野:初期の頃はそれで良かったのかもしれないけど、『フェイ・グリム』のように、作品とか話のスケールが大きくなっていっても、その音楽はインディーバンド的なちょっと歪んだギターサウンドみたいな感じで。あのハートリー作品の音楽って、日本の一定のインディー映画に、良くも悪くも影響を与えているような感じがするんだよね。

森:確かに、それはあるかも。当時の日本のインディー映画にとって、ハートリーの影響っていうのは、いわゆる郊外都市の日常といったその内容面だけではなく、音楽面においても大きかったかもしれないですよね。

宇野:そう、エレクトリックギター一本で、即興的に映画に音楽をつけてみたいな。もちろん、最初の頃のハートリー映画は、そこが新鮮だったわけだけど……そこにこだわり続けたことに、ハートリー自身の限界があったような気がしていて。だって、映画にとって劇伴ってメチャクチャ重要じゃない? そこに作品のスケールも作り手のセンスをすべて表れるって言っていいくらい。だから、さっき森さんが言ったように、『ヘンリー・フール』は、一定の評価をされている作品だし、彼にとってはある種第二期に入った作品だったのかもしれないけど、その劇伴は相変わらずインディーっぽい感じの音を自分でつけていたことが、ハートリーがイマイチ弾けなかった、ひとつの象徴なのかもしれないなって。というのは、今回改めて『フェイ・グリム』を観直して思ったことです。

>>「ザ・シネマメンバーズで『フェイ・グリム』を観る」

――そうか、「ヘンリー・フール・トリロジー」と呼ばれる後期の3作品も、すべてハートリー自身が音楽を担当しているんですね。

森:ただやっぱり、その作家ごとに似合うサイズ感っていうものがあって。だから、逆に言ったら、その1999年のムーブメントに乗れなかったことが、ハートリーにとっては良かったのかなっていう気も、僕はちょっとしています。もし最近またハートリーの存在感が浮上するような風潮があるんだとしたら、ゼロ年代のニューヨーク近郊のインディー映画運動体である「マンブルコア」にやや接続できるような感じがあるんじゃないかっていうことなんですよね。

――なるほど。

森:マンブルコアの映画群こそ基調になっているのは「等身大の大学生」感ですよね(笑)。日本で言うと山下敦弘監督らの大阪芸大グループの動きが同時代的に共振していたと思うんですけど、エリーティズムからこぼれ落ちた東海岸の白人中産階級とかのモラトリアムな浮遊感や倦怠感が、ちょっとハートリーっぽいなって思っていて。あのへんの映画も、都市っていうよりは、郊外で暮らす自分たちの日常を撮る感じだったじゃないですか。それってちょっと、90年代っぽい感覚の延長だったのかなって思っていて。

宇野:なるほどね。でも、マンブルコア自体が、特に日本では一部の映画マニア以外にはほとんどムーブメントとして認知されていないという前提はあるけどね。

森:まあ、日本公開作が皆無に等しかったですからね。基本、アンダーグラウンドだし。作品自体はYouTubeとかでも気軽に観られるんですけど。

――でも、ノア・バームバック監督が、グレタ・ガーウィグ主演で撮った『フランシス・ハ』(2012年)とかは、その延長線上にある作品だったとも言えるわけで……あと、ジャームッシュの『パターソン』(2016年)とかも、ちょっとハル・ハートリーの映画を彷彿とさせるようなテイストがあったような気がします。

森:確かに、そうですね。『パターソン』はニュージャージー州パターソンが舞台の、まさに郊外の日常の話だし。あとマンブルコアの意義としては、グレタ・ガーウィグというスターを生んだことは大きいと思います。そして両方ともアダム・ドライヴァーという新時代の人気者が絡んでいる。だから、そのライン自体は細いかもしれないけど、脈々とあるような気がするんですよね。そういう意味で、ハートリーの映画も、かつてとはまた違う目で、今の日本の若者たちに再発見される可能性もあるんじゃないかと僕は思っていて。

――それこそ、2018年の「ハートリー復活祭」の頃のタイミングだったのかな? 洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」が、ハル・ハートリーの特集ページ(https://www.thecinema.jp/special/halhartley/)を作っていて……そこに、山中瑶子監督、豊島圭介監督、そしてミュージシャンの嶺川貴子さんの3人が、ハートリー映画に対する思いを寄稿していました。

森:なるほど、『あみこ』(2017年)の山中瑶子監督! 平成生まれの山中さんは完全に追体験世代ですよね。

――『あみこ』の中に『シンプルメン』のオマージュシーンがあったとか?

森:そうなんです。これを忘れていたら怒られる(笑)。まさしく『シンプルメン』風に、男女3人が突然踊り出すミュージカルっぽいシーンが出てくるんです。

――『はなればなれに』のオマージュではなく、『シンプルメン』のオマージュっていうところがいいですよね。

森:だから、孫ですよ。ハートリーの子供にして、ゴダールの孫娘(笑)。それは結構、いい話なんじゃないかな……。

宇野:山中さんって『うお座どうし』(2020年)を撮った監督だよね? 山中さんが1997年生まれだから、ハートリーのファンとしては、かなり若いよね。他の2人は、まあ俺たちと同世代というか、当時からハートリーの映画が好きだったんだろうけど。

――ということは、今の若い世代にも、伝わるところがある?

森:むしろ時代的なバイアスがないぶん、純粋に感性だけで新鮮に受け止める層が結構いるかもしれませんよね。山中監督より世代は上ですけど、今泉力哉監督(1981年生まれ)や二ノ宮隆太郎監督(1986年生まれ)ともハートリーの話をしたことがあるのを思い出しました。

宇野:まあね。でも、俺はあんまり、キャリアのデザインとしては日本の若い監督が参考にしちゃいけないタイプの監督なような気がするんだけど……。

森:お金儲けは難しいラインですよね(笑)。まあ、時代やシーンを背負うような大きい監督というよりも、その隙間にいるような、いかにもインディーならではの作家っていう感じがしますよね。

宇野:でも、語るべき自分の物語を持っていて、そこに執着をしてきた映画作家という面では、見倣うべきところはあるかもしれないね。それでいてパーソナルな作品という印象をあまり与えなかったのは、基本的な演出手腕がとてもしっかりしているからでもある。

森:そうですね。小さいサイズながら、いつの時代も一定層のファンを生む監督という意味では、意外と不動の位置にいるのかもしれない。

宇野:確かに、そういう映画作家が存在できる場所というのは必要ですよね。

森:ニッチだからこそ珠玉の輝きを獲得している監督だよな、とは今回改めて思いました。だって、独自の場所にひとりで立っているというか、他にいないですもん。特に、初期の頃の作品は、基本的にはどれもいい映画だと思うし、今の若い人たちが観ても、きっと感じるところがあるんじゃないですかね。

>>「ザ・シネマメンバーズでハル・ハートリー監督作品を観る」

■配信情報
『トラスト・ミー』
『シンプルメン』
『FLIRT/フラート』
『ヘンリー・フール』
『フェイ・グリム』
『ネッド・ライフル』
ザ・シネマメンバーズにて配信中
ザ・シネマメンバーズ公式サイト: https://members.thecinema.jp/

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