『ドライブ・マイ・カー』で重要な役どころに 三浦透子の淡々とした演技に隠されたその実力

実力者・三浦透子のレベルの高さ

 いま各所で話題となっている映画『ドライブ・マイ・カー』において、非常に重要な役どころを担っている三浦透子。映画ファンにとっては、かねてより高いポテンシャルを秘めた存在として知られていたが、今作の公開によって、その実力をより広く知らしめることになっているのではないだろうか。三浦の存在は、本作になくてはならないものなのだ。

 本作における三浦透子の役どころの重要性ーー彼女が本作で演じているのは、そう、「ドライバー(運転手)」である。この映画の物語には、主人公・家福(西島秀俊)の妻(霧島れいか)の死をはじめとするいくつかの大きな転換点があるのだが、そのうちの一つが、三浦演じるドライバー・渡利みさきの登場。妻の死から2年後、俳優で演出家の家福は、広島で行われる演劇祭に自身の愛車で向かう。そこで演劇祭の運営サイドにドライバーとして紹介されるのが、渡利みさきなのだ。タイトルが『ドライブ・マイ・カー』というくらいである。「車」や「ドライバー」が重要なのだというのは、映画を観ずとも想像がつくことだろう。渡利みさきというキャラクターが本作で占める重要度は大きく、そして深い。

 この映画の上映時間は、179分間もある。約3時間。“長尺映画”の部類に入るものだ。そんな本作において三浦は“渡利みさき”という人物として、“前に出る”わけでなければ、“後ろに立つ”わけでもなく、かといって大きなハプニングを呼ぶような立ち位置でもない。控えめながらも静かに主人公・家福と並んでいる。彼女は、最終的に一つとなるいくつかのストーリーラインの主軸となる一人であり、家福と“並走”するようなポジションにあるのだ。三浦は終始抑制の効いた演技で、画面内に、そして物語世界内に収まっている。それでいてやがてストーリーが展開していくにつれて、画面の外側を、そして物語世界の外側を、より感じさせてくれる存在でもある。三浦の淡々とした演技は、いささか人間味を欠いているように映るかもしれないが、そういうわけではない。

 「喪失」が一つのテーマである本作で、登場人物たちはどこか“欠けたところ”がある。彼らがそれに向き合っていくためには、観客が目にしていない、“そこにないもの”に向かっていかなければならない。つまりは画面の外側に広がっているはずの世界だ。三浦は主演の西島とともに、丁寧に、地道に、ほんの少しずつ色の変わりゆく表情で、これを感じさせてくれているように思う。精緻な脚本と、それを具現化させるための演出術があってこそのものであるのは当然だが、やはり三浦たちのレベルの高さを感じないわけにはいかないだろう。

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