『わたナギ』が教えてくれた3つの大事なこと “しょせん他人同士”だから進める一歩

『わたナギ』が教えてくれた3つの大事なこと

 ガムシャラに働く女性たちの癒し『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)が最終回を迎えてしまった。とはいえ、9月8日には本編のスペシャルダイジェストに加え、彼らのその後が描かれる『新婚おじきゅん!特別編』も用意されている。楽しみでならない。

 製薬会社のMRというやりがいのある仕事を夢中でやってきて、忙しすぎて「恋のしかたも忘れちゃった」ヒロイン・相原メイ(多部未華子)。最終回に及んでも、自分からトライアル結婚生活を申し込んだスーパー家政夫・鴫野ナギサ(大森南朋)への自分の感情に対して「もしかして恋? 今、私、恋をしている?」と今更な台詞を口にするという、あまりにも無自覚で緩やかな「恋の落ち方」は、仕事終わりの火曜22時、我々の仕事で荒んだ心を癒すにもってこいだった。

 『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)の徳尾浩司が脚本を手掛けた『私の家政夫ナギサさん』は、逆『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)とも言える突飛な設定によって、現代人の心を縛る「呪いの言葉」をいとも簡単に霧散させた。メイがナギサの長年負ってきた肩の荷を簡単におろしてしまったのと同じように、視聴者の肩の荷も下ろしてくれた。

 家事代行サービス、序盤のメイがたびたび口にする「呪い」という言葉、さらには「トライアル結婚生活」となると、言及せずにはいられないのは、コロナ禍での放送延期時に再放送もされていた、同枠の傑作ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』である。『わたなぎ』のメイとナギサの関係は、まるで『逃げ恥』のみくりと平匡の男女逆バージョン。男女を逆にし、さらには「28歳の家事ができないバリキャリ女性が、家事の得意なおじさんを雇う」という設定にするだけで、かなりの斬新さだ。

 そしてその、当初感じずにはいられなかった「斬新さ」に、いかに自分たちがアップデートされていない古い価値観の上に立っているかということを思い知らされる。女性も男性同様に働き、キャリアを持つ時代になって幾久しいというのに、「家事=女性がするもの」という呪いは当然のように私たちを縛る。

 「キャパオーバーなら頑張らなくていい」「他の人に頼っていい」「夫婦はしょせん他人同士なのだから、たくさん話し合ってちょっとずつ歩みよっていけばいい」。『私の家政夫ナギサさん』が教えてくれた、3つの答えだ。

 このドラマは様々な呪いをいとも簡単に解いた。まずは「家事=女性がするもの」という呪い。「28歳は仕事と家事を両立しなきゃ」と無理をし過ぎてパンク寸前のメイにナギサが教えた「手が回らない時はアウトソーシングに頼っていい」という手段は、つい頑張り過ぎてキャパオーバーになってしまう人々にとって、どれほどの救いだろう。

 最終話において、年齢差ゆえに自身の介護がメイに負担になることを懸念するナギサに対し、「介護のプロに頼む」と宣言するメイも清々しいが、田所(瀬戸康史)がメイに対して「僕たちが結婚したら、2人で一生懸命働いて、2人が苦手な家事はプロの方に頼めばいい」と提案するのも出色だった。なぜなら、田所がメイ同様、家事能力がゼロだということが判明した時、多くの人がメイ×田所というカップリングの可能性を打ち消したはずだ。2人が結婚したら部屋も食生活も滅茶苦茶だろうからと。でも、その杞憂さえも、田所がアウトソーシングという一手を提案することで、不可能かと思われた「似たもの同士の結婚」の可能性さえも示唆し、夫婦の形の多様性をおおらかに認めるのである。

 次に、序盤の焦点だった、メイが長年縛られていた、母親・美登里(草刈民代)からの「メイはやればできる子」という呪いだ。この言葉の裏には、美登里自身が自分自身にかけていた「お母さん」という呪いがあった。美登里はナギサに「お母さん」という仕事が「私には向いていない」と吐露する。

 でも、第3話の美登里自身が作った不格好な器に盛られた味のしない雑炊は、「母親」は常に完璧である必要はなく、彼女の不格好な器のように、ありのままでいいのだということを呈示すると共に、メイと美登里の間に積もった「呪い」という名の心のわだかまりを溶かしたのである。

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