『私の家政夫ナギサさん』は“肩の荷を下ろす”ドラマに サプライズ満載の多幸感あるラスト

『わたナギ』は“肩の荷を下ろす”ドラマに

「私もあなたを手放したくないんです。あの、それは、つまり、あの……ちょっと恥ずかしながら、好きだってことだと思います。メイさん、あの、私はメイさんが好きです」

 火曜ドラマ『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)が最終回を迎えた。ハイライトはなんといっても、ナギサさん(大森南朋)がなんとも照れくさそうに、メイ(多部未華子)に自分の気持ちを告白するシーンだったように思う。

 このドラマでは、何度も「おじさんなのに」という言葉が使われてきた。「おじさんなのに家政夫をしている」「おじさんなのに料理がうまい」……この言葉を借りるとするならば、「おじさんなのに恋するなんて……」ということになるのだろうか。

 でも、きっとこのドラマを最終回まで観てきた人ならば、こう言い返したくなるに違いない。「おじさんとか関係ない」と。いや、むしろ「おじさんで、家事もできて、素直で、可愛くて、最高じゃないか」と。

1人で頑張る人の“肩の荷を下ろす”ドラマ

〈いったいこのままいつまで 1人でいるつもりだろう〉

 あいみょんが歌う「裸の心」を、親を看取り、長い間あの家で1人で暮らしてきたナギサさんの心と重ねて聞くと、よりギュッと胸を締め付けられる。きっとナギサさんは、このままずっと1人で生きていけたし、そのつもりでいたはずだ。でも、メイと出会って人生が変わった。

〈今 私 恋をしている 裸の心 震わせて〉

 その恋は、まるでお味噌汁のように、そっとそこにあって。誠実で、あったかくて。決して自ら主張するつもりなんてなかったのだろう。その奥ゆかしさが、先述した告白シーンに凝縮されていた。

 自分1人で生きていくこと、そして将来の独りも覚悟していたナギサさん。その恋が実りますようにと願わずにはいられなかったのは、ナギサさんの覚悟がどこか孤独を感じている現代人の心とリンクしているからかもしれない。1人で頑張っている人に報われてほしいという祈りを、ナギサさんの幸せに投影してしまう。

1人でも生きていける時代に結婚をする意味

 恋から遠ざかっていたという意味では、メイもまた同じ。世間一般的に「恋」というと湧き上がる情欲や、激しい感情の揺れを想像しがちだ。だが、もっといろんな恋の形があっていいと、改めて教えてくれたように思う。

 メイとナギサさんの恋は、「心地よさ」の一致から始まるものだった。メイにとってナギサさんは、家事を完璧にこなしてくれる人なだけではなく、一緒にご飯を食べると美味しくなる人。仕事のこと、家族の問題を一番に相談したい人。なぜならいつだって向き合ってくれる絶対的信頼を持てる人だからだ。

 一方で、ナギサさんにとってメイは、家の中でお母さんのような存在になりたいという夢を叶えられる人だった。作ったご飯をいつも「おいしい」と食べてくれて、困ったときには一番に必要としてくれて……。

 トライアル結婚中、メイは「ナギサさんにとって、この結婚のメリットって?」と不安に思うシーンもあった。だが、きっと「この先の人生を自分のためだけに生きるのはどこか寂しい」と思っていたナギサさんからしたら、愛情を注げる相手であることそのものがメリットなのではないだろうか。

 人は意外と自分だけのためには、頑張れない生き物だったりする。メイが仕事は頑張れるのに、家の中がグチャグチャだったように。それが、愛する人のためにだったら、張り合いが生まれる。周囲から見れば、一見メイばかりが得しているかのような2人の結婚。でも、夫婦には、当の本人たちだからこそ成り立つ幸せもある。

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