アンナ・カリーナはなぜ映画に愛されたのか? ゴダールら作家との蜜月から、その演技を振り返る

アンナ・カリーナはなぜ映画に愛されたのか?

映画作家アンナ・カリーナの誕生

 60年代~自身の監督作品を撮るまでに、ゴダールとの作品以外にもアンナの活動は積極的に外部へ向かっている。アニエス・ヴァルダやジャック・バラティエといったヌーヴェルヴァーグの仲間たちの作品へのカメオ出演(ジャック・バラティエの作品は“カメラを持った女たち”という趣きで興味深い。8ミリカメラを抱えて集団で踊りだす、みずみずしい作品)、ジャン・オーレルとのスタンダール原作物2部作(『スタンダールの恋愛論』『ラミエル』)、アンナの女優としての評価を決定的なものにした、当初舞台として出発したジャック・リヴェットによる傑作『修道女』(1966年)といったフランス国内での作品のほかに、イタリアでの『国境は燃えている』(ヴァレリオ・ズルリーニ監督/1965年)、ルキノ・ヴィスコンティとの『異邦人』(1967年)や、『ブリキの太鼓』で知られるドイツ人監督フォルカー・シュレンドルフによるとても興味深いヒッピー的解釈による残虐映画『ミヒャエル・コールハース』(1969年)、そしてジョージ・キューカーの『アレキサンドリア物語』への出演(アンナはここでダンサーとしての激しい演技を見せている。また、ジョージ・キューカーから演技をすることについて、とても多くのことを学んだと後年告白している)など、国境を映画で超えていく動きが目立っている。こうした動きをデルフィーヌ・セイリグやジュリエット・ベルト、ビュル・オジエのような素晴らしい女優たちの活動と同時代的に捉えることもできよう。

『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい』(c)Les Films du Sillage – ARTE France – Ina 2017

 そしてアンナは映画作家として長編作品『Vivre Ensemble(原題)』(1973年)をセルフプロデュース作品として発表する。この『女と男のいる舗道』の原題『Vivre Sa Vie』とよく似たタイトルを持つ作品を制作する当初、アンナは監督名を男性の名前のペンネームにしようと考えていた。この時代に女優が映画を撮ることの困難や偏見がよく表れたエピソードだ。いまでこそ、たとえばメラニー・ロランのように、フランスの女優が映画作家として世界的に評価されることは当たり前のことになったが、当時はそのこと自体がひどく色眼鏡な視線を送られていたのだとアンナは述懐する。フランソワ・トリュフォーが激賞の手紙を送ったこの作品で、アンナはこれまでのキャリアの経験を総括している。私たちがよく知っているアンナの笑顔のアップが開巻早々に披露される本作は、アンナがプロデュースする「アンナ・カリーナ作品」であるだけでなく、当時のニューヨークの公園での反政府集会をゲリラ撮影する等(アンナ曰く「ゲリラ撮影はゴダールの現場で慣れていた」)、記録映画の様相を帯びた、いわばアンナによるアメリカン・ニューシネマへの接近ともいえる内容だ。

 アンナはヌーヴェルヴァーグの狂騒をくぐり抜け、自ら「アンナ・カリーナ」をプロデュースする。ゴダール時代は否定されるのではなく、アンナ自身の手によってむしろ拡張、再定義される。アンナは映画によって自分を知り、それを映画に返したのだ。あの世界一魅力的な、大きな口を開けた笑顔で。スクリーンでのアンナのキスの特徴はいつだって変わらない。ここでもアンナのキスは唇と唇を重ね合わせることより、頬と頬、鼻と鼻を重ね合わせ、大きな口を開け、世界にかけがえのない笑顔を見せてくれる。改めてここで追悼の気持ちを込めた言葉を送りたい。ありがとう、永遠のアンナ・カリーナ。永遠に誰のものでもないアンナ・カリーナ。

■宮代大嗣(maplecat-eve)
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、キネマ旬報、松本俊夫特集パンフレットに論評を寄稿。Twitterブログ

■公開情報
『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい』
新宿K’s cinemaほかにて全国公開中
監督:デニス・ベリー
配給:オンリー・ハーツ
2017年/フランス/55分/日本語字幕:芳野まい
(c)Les Films du Sillage – ARTE France – Ina 2017

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