『天気の子』が映すエンターテインメント産業の功罪 新海誠監督が選択したラストの意図を考える
もちろん『天気の子』についても、早くも記録している大きなヒットに比例するように多くの批判はある。今回の焦点はやはりラストの描写だろう。(ネタバレになってしまうが)晴天と引き換えに体を蝕まれて行くヒロインを救った代償として、東京には異常気象が続き、ついにはゆるやかな時間をかけて水没し、首都としての機能を失うことになる。それは『君の名は。』で隕石の衝突による地域社会の消滅を描いて批判を受けたことの裏返しにもみえる結末だが、「無責任だ」「セカイ系的な自意識のために社会を犠牲にしている」という批判はやはり出ている。新海誠監督と川村元気プロデューサー、野田洋次郎氏らの間で激論が交わされたことがツイッターで明かされ(7月19日公開の映画にも関わらず、ストーリーの議論をしていたのは6月末である。川村プロデューサーは生きた心地もしなかっただろう)あまりにも完成が遅れたためメディア向けの試写会も一切行われなかった。
激論になるのはある意味で当然で、水に沈む東京というのはこの国において決して絵空事ではないからだ。多くの警告が出されているように、関東地方への大きな地震が予測されている。海抜の低い関東平野への水害も。関東だけではない。この映画の公開直前には九州地方を中心に大規模な大雨注意報が出された。最終的にそれは解除されたが、もしそれが過去にあった水害のように多くの死者を出す結果になっていた場合、この映画に対する社会の視線は否応なく今とまったく変わってしまっていただろう。宮崎駿の『崖の上のポニョ』の津波描写を311後に放送すべきかという議論もあったが(2012年になって放送された)、ジブリのような権威を背景にもたない若い新海誠監督はさらに指弾されやすい立場にいる。それでも新海誠監督はこの結末をどうしても選びたかったのではないだろうか。
『君の名は。』で地方都市の消滅は、まるで美しい音楽と真夏の花火のような隕石の衝突によって祝祭的に描かれ、それが映画的なスペクタクルを生み、同時に批判も受けた。『天気の子』で描かれる東京の水没はそれに比べて梅雨のように憂鬱で、そしてリアルだ。それは経済的地盤沈下と少子化で沈んでいく僕たちの社会を否応なく想起させる。でもその沈む世界の中で生きていこう、という、恐らくは新海誠監督本人が反対を押し切って選んだ結末は、僕はそれほど悪いメッセージではないように思える。
「『君の名は。』ではエンタメだったのに、『天気の子』ではいつもの新海誠監督に戻ってしまった」という冗談まじりの声もある。確かにそういう面はあると思う。今作の新海誠監督は『君の名は。』のように晴れ上がる青空のような結末を用意していない。物語の中のヒロインがそうであるように、彼もまた、国民的に待望される「100%の青空」、ハレのエンターテインメントを作るために何かを犠牲にすることをやめたのだ。でも僕は、それがかつての、梅雨のようにセンチメンタルな感傷主義に戻ってしまった、退行だとは思わない。少なくともこの映画で彼は、少年も少女も犠牲にすることを拒んだ。
社会のために少女が死ぬ、あるいは少女の身代わりに少年が死ぬ、そして社会は続き、失った恋人への感傷を抱えた孤独が残る、という結末は選択肢の中にあったはずだし、それはむしろある種の定型的な悲劇として観客に受け入れられたはずだ。難病で恋人が死ぬ映画がどれほど作られているかを思えば、それは東京を水没させるという、何かあればそれこそ人身御供的に社会の怒りを向けられかねない結末より遥かにリスクの低い選択だったと思う。でも『天気の子』で新海誠監督が選んだ結末は、国民的映画として求められた「ハレ」のハッピーエンドとも、セカイ系的にセンチメタルな悲劇とも違う、少しだけタフな少年と少女の未来だった。新海誠監督が公開前からファイティングポーズを取るまでもなく、今回も観客の数に比例してあらゆる批判が降り注ぐだろう。「欺瞞的だ」「社会に意識が向いていない」という声もあるだろう。でも村上春樹がかつてイスラエルで演説した『壁と卵』、「どれほど壁が正しくても、小説家は壊れやすい卵の側に立つ」というあの有名な比喩に似たあのラストは、何度も繰り返されたいつもの梅雨や夏、ハレとケの構造とは違う、まだ僕たちが見たことのない新しい季節の始まりをこの国に呼ぶのではないかなと思う。
■CDB
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■公開情報
『天気の子』
全国東宝系にて公開中
声の出演:醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子、小栗旬
原作・脚本・監督:新海誠
音楽:RADWIMPS
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:田村篤
美術監督:滝口比呂志
(c)2019「天気の子」製作委員会
公式サイト:https://www.tenkinoko.com/