山﨑賢人が見せた、陰影に富んだ身体の魅力ーー『好きな人がいること』をどんな結末に導く?
いま、若手俳優の中でもっとも勢いのある人物のひとりに、山﨑賢人がいる。とくに少女マンガを原作とした映画・ドラマでの起用が目立ち、10~20代の女性を中心に支持されていることが伺える。今後は、さらに幅広い作品で彼の活躍を見ることができるようになるだろう。
映画界が空前の“マンガ実写化”ブームを迎える中、テレビドラマにも“胸キュン・アクション”的なラブコメ作品は多い。視聴率の低迷が続くフジテレビ月9枠で現在放送中されている、山﨑賢人出演ドラマ『好きな人がいること』も、そうした作品のひとつとして位置づけることができる。しかしながら、映画においては一種のイベントとして機能している“胸キュン”的要素も、テレビドラマではいまひとつハマっていないようにも感じる。テレビは、映画に比べてより人々の日常に近いメディアであり、幅広い層が視聴するため、求められるものも大きく異なるのか。ファンタジーとしてのラブコメより、オフィスで働くサラリーマンやOLの物語の方が視聴率を伸ばしていることからも、それが伺える。
とはいえ、『好きな人がいること』が視聴者を限定する種類の作品かといえば、そんなことはないと思う。“真夏の海”(しかも湘南!)と、そこで“共同生活する男女”という設定は、まさに月9の王道を行くものであり、多くのひとにとって魅力的に映る普遍的なもののはずだ。とくに、山﨑賢人演じる柴崎夏向は、誰しもを惹きつけるものがある。
第一話目の冒頭部分から、すでに特筆すべきシーンがあった。パティシエとして住み込みのアルバイトをするために湘南にやってきた櫻井美咲(桐谷美鈴)が浜辺をプラプラしていると、奥の方からいかにもサーファーといった感じの山﨑賢人が歩いてくるという、出逢いの瞬間である。おたがいに歩調を合わせるようにゆっくりと近づく“運命の二人”に、さんさんと降り注ぐ陽光の美しさーー映像を観ることの醍醐味が詰まったようなシーンだ。そして、太陽光を直に浴びた山﨑賢人の身体が、思わぬ変化を見せるのである。
イタリア映画界を代表する監督であるマルコ・ベロッキオが、レモン・ラディゲの原作小説の舞台をフランスからイタリアに置き換えて撮った『肉体の悪魔』(86年)という作品がある。過去にも数回、映画化されてきた作品だったが、マルコ監督は主人公であるマルーシュカ・デートメルスの身体を“イタリアの陽光”の下で捉えることによって、恐ろしいほどの美貌へと変えた。まさに“肉体の悪魔”を体現したような彼の魅力は、ヒロインの倫理を揺さぶるのに充分な説得力があったといえよう。山﨑賢人の身体もまた、真夏の湘南の陽光に晒されることで、どこか危険な、しかし抗いがたい魅力を放っていた。ただ爽やかな美男子というだけではない、濃厚な陰影がそこに顕れたのだ。
山﨑賢人がこれまで演じてきた役の多くは、“過去に何かを背負った男”だった。たとえば、同じく桐谷美鈴と共演を果たした『ヒロイン失格』(15年)で、山﨑賢人が演じた寺坂利太というキャラクターもそうだ。山﨑はその時、その澄んだ視線をあらゆる方向へ彷徨させることで、どこか不安定でありながらも純粋な青年を演じきり、彼らの恋に必然性を与えるとともに、物語を思わぬ展開へと導いていった。重要なのは、山﨑がその二面性を帯びたフィジカルな存在感によって、ドラマを成立させたという事実である。