『ペット』の作風は、ディズニーやピクサーとどう異なる? イルミネーションが追求する娯楽性

『ペット』娯楽作品としての面白さ

 飼い猫に小型カメラを装着させ、飼い主が目を離している間に何をやっているのかを確かめるという調査を行っていた海外のTV番組を見たことがある。どこかから帰ってきた猫からカメラをはずし、映像を確かめると、なんと猫はいろいろな家を巡回し、日常的に複数の人間から餌をもらっていたことが分かった。つまり、その飼い主は「唯一の」飼い主ではなかったという衝撃的な事実が明かされてしまったのだ。このような話を聞くと、「うちのペットは大丈夫か」と思ってしまう飼い主も少なくないかもしれない。そのような外出中の飼い主の疑問をアイディアのきっかけにしたアニメーション映画『ペット』は、犬、猫、鳥などのペットたちが、飼い主の外出中に冷蔵庫の中を漁ったり、ペット同士のパーティに参加したり、街を走り回り動物の抗争に巻き込まれるなど、ユーモラスでファンタジックな冒険映画である。

 ペットの視点から描かれる本作に登場するのは、様々な種類の動物たちだ。ここではとにかくキャラクターのかわいさ、個性の面白さで観客の心をつかんでいく。犬のマックスとデュークというサイズの異なるでこぼこコンビ、マックスのことが大好きなポメラニアンのギジェット、大食いの猫クロエ、そして下水道に潜み謎の地下活動をしているウサギのスノーボール…。これら愉快な動物たちが、マックスとデュークの縄張り争いを発端に、ニューヨークで大騒動を繰り広げるのである。

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 『ペット』を製作しているのは、「怪盗グルー」シリーズや、そのスピンオフ『ミニオンズ』などで大ヒットを記録しているイルミネーション・エンターテインメントである。近年、CGが主流となったアメリカのアニメーション映画界で、新興ながら旋風を巻き起こしているスタジオだ。ここで製作されてきた作品の傾向を追っていくと、現在、業界の最大手であるウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオやピクサー・アニメーション・スタジオなどと似ていながらも、同時に異なった部分も見えてくる。

 90年代の劇場用アニメといえば、『美女と野獣』や『アラジン』に代表される、ディズニーを中心としたミュージカル調の重厚な文芸路線が幅を利かせていた。だが、00年代に入るとともに、ディズニーやドリームワークスなど、各スタジオが軽快な題材に取り組み始めた。それは、90年代からすでにディズニーのカウンターを目指していたピクサー・アニメーション・スタジオが人気を集めたことが大きかった。『塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』のような、90年代の雰囲気を残した例外を除いて、ディズニーの『ズートピア』、ピクサーの『ファインディング・ドリー』、ドリームワークスの「カンフー・パンダ」シリーズのように、従来の文芸やミュージカル演出などに極力頼らない作品が、現在では主流になっているといえる。

 そのように作品の傾向が変化していくなか、ディズニーやピクサーなどが多くの大作で共通して強めていくのは、主人公がいろいろな出来事を通して成長するという「教養小説」的な大テーマだ。イルミネーションがそれらと異なっているように感じるのは、まさにその部分である。もちろん、今までのイルミネーション作品や『ペット』にも、そのような「成長」は描かれている。しかし、それが本質だとするには、ドタバタギャグ(スラップスティック)や下ネタ、死の描写を笑いに転化させてしまう部分など、本題から外れた教養的でない要素があまりに突出しているのだ。

 かつてのディズニーも、じつは暴力的な作品をよく作っていた。『アナと雪の女王』で併映された『ミッキーのミニー救出大作戦』は、かつての暴力性にオマージュを捧げる怪作だったが、『白雪姫』をはじめとする、アニメが一流の芸術であり文芸であり得ることを証明しようとする立派な長編作品では、そのような要素の多くは除外されてきた。ただ、暴力やスラップスティックというのは、抗いがたい根源的な面白さがあるのも事実で、ワーナー作品「ルーニー・テューンズ」やMGM作品「トムとジェリー」などが、そのような魅力を誇張させ人気をつかんだ。イルミネーションの長編作品は、ディズニーやピクサーの製作方法を参照しながらも、むしろそのような教養的なところを離れた部分に魅力があるように感じるのである。

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