『顔のないヒトラーたち』と『ヒトラー暗殺、13分の誤算』ーー“ナチスの時代”を描く2作品を考察

“ナチスの時代”を描く2作品を考察

 第二次世界大戦終結から、ちょうど70年となった今年、「ナチスの時代」を描いたドイツ映画が2本、立て続けに日本公開される。ひとつは、10月3日(土)から公開されている映画『顔のないヒトラーたち』。そしてもうひとつは、10月16日(金)から公開される映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』だ。物語の舞台となる時代はやや違えども、これまであまり描かれることのなかった事件を扱うことによって、従来の映画とは異なる形で「ナチスの時代」を浮かび上がらせようとする、という意味では相通じるところも多いこの2作品。それぞれ順番に見ていくことにしよう。
(※メイン写真は『ヒトラー暗殺、13分の誤算』のもの)

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『顔のないヒトラーたち』より

 まず、「フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判」を実現させた検察官たちの苦闘を描いた『顔のないヒトラーたち』。その舞台となるのは、1958年の西ドイツ、フランクフルトだ。第二次世界大戦から十数年が経った西ドイツは、次第に経済も復興し、戦争の記憶も薄れ始めていた。そんな折り、アウシュヴィッツ強制収容所の元親衛隊(SS)員が、規則に違反し教師の職についていることが判明する。しかし当局は、さしたる関心を示さない。そこに疑問を抱いた新米検事ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)は、アウシュヴィッツについて独自に調査を開始するのだが、やがて恐ろしい現実にぶち当たり……。

 今となっては信じられないことだが、当時の西ドイツ国民は、戦後ポーランド領になったアウシュヴィッツで、かつてナチスが何をやったかはもちろん、その存在すら知らなかったというのだ。本作の主人公ヨハンもまた、そんな西ドイツ国民のひとりだった。しかし、そこに収容されていたユダヤ人たちの重い口を開かせていくうちに、ヨハンは強制収容所で行われていた蛮行の数々を知ることになる。さらには、それに加担していた人々が、何のおとがめもなく、現在普通に暮らしていることも。かくしてヨハンは、検事総長フリッツ・バウアー(ゲルト・フォス)の協力のもと、彼らを訴えるべく奔走する。容疑者の数は約8000人。そのなかには、かの地で人体実験を行っていたという、「アウシュヴィッツの象徴」メンゲレ医師もいた。そして、1963年12月20日、その後ドイツ国民の「歴史認識」を大きく変えることになる「フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判」の初公判が開かれる。

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『顔のないヒトラーたち』より

 検事総長フリッツ・バウアーをはじめ、ヨーゼフ・メンゲレ医師、アウシュヴィッツ強制収容所の元所長リヒャルト・ベーア、元副官ロベルト・ムルカなど、実在の人物や史実に基づきながら展開してゆく物語。しかし、本作の面白さは、そんな実録的な面白さだけではなく、実在する3人の検事を混ぜ合わせたキャラクターであるという主人公ヨハンの父が、かつてアウシュヴィッツに勤務していたことが発覚するなど、正義を追求する側の内的な葛藤や矛盾をドラマチックに描いている点にある。「ヒトラーの死で、ナチスが全滅したとでも?」、「今、この国が求めているのは、体裁の良さだけなんだ。真実は二の次さ」、「ヒトラーだけなく、一般市民が罪を犯した」……さまざまな人々の声を耳にしながら、激しく煩悶するヨハン。そう、彼は自国の「負の歴史」と対峙する、ドイツ国民を姿を象徴しているのだった。

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