「誰だっていつ、ひきこもりになるかわからない」小説家・城山真一が取材して気づいた、ひきこもり問題の現実

ひきこもりを“個性”として認めるのは無責任

 『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』(2016年/宝島社)で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、『ダブルバインド』(2021年/双葉社)が第25回大藪春彦賞候補に選出されるなど、骨太な社会派エンターテインメントで高い評価を得てきた小説家・城山真一。新たに発表した『月曜のこない部屋』(徳間書店)は、「大人のひきこもり」や「8050問題」という切実な現代社会の影に鋭く切り込んだ家族小説だ。

 物語の舞台は、ひきこもり支援施設「リアルステップ(通称:RS)」。元ウェディングプランナーの主人公・栗本日菜子をはじめとするスタッフたちが向き合うのは、一筋縄ではいかない当事者やその家族たちが抱える複雑な葛藤だ。「優しさ」がかえって状態を固定化させてしまう皮肉や、「多様性」という言葉で無関心を正当化してしまう社会の歪みーー。

 本作はいかにして生まれたのか。取材で見えてきた当事者たちのリアルな声や、家族の中に潜む目に見えない歪み、そして「安易なハッピーエンドに逃げない」と決意した執筆の裏側まで、城山氏にじっくりと語ってもらった。(編集部)

誰だっていつ、ひきこもりになるかわからない

――このミス受賞の城山さんは、大藪春彦賞候補になった『ダブルバインド』など、ミステリーを書かれる印象が強いですが、なぜ、大人のひきこもりをテーマに、家族の小説を書こうと思われたのでしょう。

城山真一(以下、城山):親の年金を受けとるために、遺体を長期間放置していた子どものニュースを近年たびたび見かけます。その子どもというのは無職やひきこもりというケースが多いのですが、はたして本当に、年金欲しさなんて単純な問題なのだろうか、実際の親子関係はどんなものだったのだろうかと考えたんです。僕たちの安易な思い込みとはまるで違う内情が、家族のなかにはあったのじゃないか、と。8050問題(80代の親が、ひきこもりや無職の状態にある50代の子どもを支えることで生じる問題)という言葉もありますし、一度、腰を据えて向き合ってみたいと思ったんです。

――最初に登場する語り手は、ひきこもり支援施設RSに就職した日菜子。彼女が元ウェディングプランナーというのがおもしろいなと思いました。たしかに、相手の話をよくよく聞いて、本当の望みを聞き出すという点では、必要とされる技術に重なるところがあるのかも、と。

城山:どちらも「世界が変わる瞬間に立ち会う」という点で通じるところがあるんじゃないかと思いまして。ウェディングプランナーは、結婚して人生の次のステージに行く二人が初めて共同作業する手伝いをする。RSのスタッフは、長らくひきこもっていた人たちを次のステージに進むための支援をする。人生の分岐点にかかわるという意味でも、経験が生きることはあるんじゃないかと思ったのですが、みずから進んで変わろうとする結婚と違い、ひきこもりの人たちはある意味、避難している場所から、なかば無理矢理、引っ張り出されることになる。重なるところはあっても、ベクトルが異なるのだということは、意識しておかなければいけないと思いました。

――実際、その違いに日菜子は葛藤することになりますが……。専門知識がないからこそ採用された彼女を通じて、「べき論」にしばられた理屈ではたちうちできない現実があるのだということが描かれていたのも、よかったです。

城山:ひきこもりの問題というのは、これをやれば解決する、ということがないんですよね。僕自身、いろいろな資料を読み、取材もさせていただくなかで、これが答えだ、と断定できるものは見つけられなかった。ただ、目の前の人に向き合って、こういうケースではこういう対応をとったらいいんじゃないか、こういう言い方をしたり、寄り添い方をしたりすると、うまくいくこともあるんじゃないか……と、現実に問題を抱える方たちにとって、とっかかりになるような描き方ができるといいなと思ったんです。

――「二〇二二年度の推計値で百四十六万人と政府が発表してる。これって現役世代の約二パーセント。つまり五十人に一人がひきこもりってことだよ」というセリフがありましたが、それだけの数の人たちに向けた対応策が、一つの理論で片付くわけがないですもんね。

城山:僕の肌感覚ではもっと多くて、短期のひきこもり経験をもつ人を含めると十人か二十人に一人くらいの割合じゃないかと感じています。人はなにかショッキングな経験をすると、一時的に何をする気力もなくなる。つまりは、ひきこもりたくなる。それは動物として正常な反応なのだという話を聞いて、たしかに、と思ったんです。だとすれば、誰だっていつ、ひきこもりになるかわからない。家族がそういう状況に陥ってしまうかもしれない。ひきこもりは特別なことではないんだということも、書きたかったんです。

――「ひきこもりの人はずっと部屋にいるっていうのは間違いで、全く外に出ない人は少数派です」というセリフもありました。それでいうと、たとえば会社を辞めたあとなど、一時的なひきこもり状態になったことがある人は、少なくない気がします。

城山:多くの人は、一定期間、心を癒し、みずから再出発していく。でも、それができずに長期化してしまう人が多いのが、現代の問題です。なぜそんなことが起きるのか。それは本人の問題だけでなく、一緒に暮らす家族が無意識にそうさせてしまっているケースが非常に多いと聞きます。たとえば、第一話に登場する若林家のように、毎日親がごはんをつくって、優しくしてくれる。無理をさせてもいけないと、そっとしておいてもくれる。それに対して当の本人は感謝しているかといえば、実は、優しくされること自体を憎んでしまっているというケースも少なくない。僕も、そうした話を聞いたときは驚いたのですが……。

――でも確かに、心が弱っているときって、他責思考になりがちで、「おまえらのせいで自分はこんなことになったんだ!」と矛先を向けなくてはやってられないこともあるかもしれない、と読みながら思いました。

城山:実際、ひきこもりから脱してほしいと願いながら、親自身が変化を恐れているケースも少なくないと聞きました。作中で、役所に相談しに来ていた母親のように「今は多様性の時代だから、自主性に任せて見守りましょう」と言われたら、今のままでいいんだと安心して、何も行動しなくなる。むしろ、そのために相談しにいっているところもある。取材させていただいた支援施設の方も「多様性の時代だから、ひきこもりのことも認めてあげよう」という論調は現実をとらえていない、とおっしゃっていました。

ひきこもりを“個性”として認めようというのは無責任

――日菜子の同僚である矢島も「ひきこもりもひとつの生き方、個性」という論調には憤慨していましたよね。「ひきこもっている間、幸せだったという人は一人もいませんでした」と言って。

城山:取材した施設(認定NPO法人ニュースタート)のスタッフも、RSと同様に元ひきこもりだった方々が多くて、「ひきこもっている間はしんどいだけだった」とおっしゃっていました。好きなものだけ食べてゲーム三昧、みたいなイメージを抱いている方も多いでしょうが、ゲームをしている人の方がむしろ少ないし、していたとしても好きでやっている人はほとんどいないんじゃないか、とも。

――怖くて、不安で、他にやることがなくて、ゲームすることで思考を停止させている。日常でも、つらいときほどゲームに没頭することはあるので、わかる気がします。

城山:お話を聞くなかで、そういう状態にある人を、本人がそうしたがっているから、尊重して個性として認めようというのは、無責任じゃないかと僕も感じるようになって。ひきこもりに限らず、昨今は、多様性という言葉を使うことで、自分と異なる状況にある人を見ないふりすることを正当化している。否定はしないけど、関わりもしない。手も差し伸べない。そんな風潮になっているという……。行政も、基本的には申請主義なので、みずから役所に足を運んで「助けてください」といえる人しか、対応してもらえない。どうにかしてほしいと母親が訪ねても、本人がいなければ、見守りましょうで終わってしまう。ゆえになかなか解決しないひきこもりの問題を、一つひとつ、章ごとに見つめようと思いました。

――だから矢島は、相手に寄り添いながらも、ときに強引に、外へ引っ張り出そうとするんですね。前に進む一歩は、家族との固定化された関係を溶かすことだからと、まずは無理矢理にでも引き離して生活させて。

城山:家族って、無理矢理にでも距離をとらないといけない場合でも、磁石のように引きあって、元の状態に戻ってしまうことがあるような気がします。そうならないためには、家族との関係に生まれていたズレや歪みを、直すよりもまず、気づくことが必要だと思いました。ズレを正して、関係をよくするのではなく、もっとズレを大きくさせることが、その人にとってはいちばん必要なことかもしれないし、向き合うのをやめて考えないですむ状況をつくれば、前に進めるかもしれない。「溶かす」というのは、いろんな意味を込めています。

――でも、物理的な距離をとって、本人が精神的に自立しても、「変わる」ことをおそれる親が再び介入して、台無しにしてしまうこともある。第一話のラストは、かなり衝撃でしたし、きれいごとでは終わらせないという城山さんの意思みたいなものも感じました。

城山:扱うテーマが重い分、文体は軽やかに、物語のエンタメ性も維持しつつ、という書き方を心がけていましたが、だからといって、単純なハッピーエンドで終わらせてはいけないとも思っていました。最初に申し上げた、親の遺体を放置するケースや、生死にかかわる問題が現実のそこかしこで起きている。それなのに、いくら物語だからって「施設の人に支えられて、ひきこもりをやめられました」で済ませてはいけないだろうな、と。

狭い人間関係を切り取った今作が、実は一番壮大かもしれない

――個人的には、夫が会社をやめて引きこもりになってしまった、第三話が印象的でした。相談者である妻の清枝が、役所の保健師というのもリアルでしたね。人には的確なアドバイスができたとしても、自分事となると全然うまくいかないというのは、わりとよくあることだよなあ、と。

城山:RSが絶対に認めない、その道の専門家である清枝には、いろいろとしんどい想いをさせてしまいましたね(笑)。でも、保健師という人の話を聞く仕事は、献身的である一方、大きなストレスをため込んでしまいがちで、精神のバランスをとるのが非常に難しいのではないかというのも、調べていくうちに感じたことで。彼女の話は誰が聞いてくれるのか、ということも含めて、しっかり描きたいと思いました。

――親子とはまたちがう、夫婦のコミュニケーションが起因しているケースでもあったので、なんだか身につまされました。相手の話をちゃんと聞く、尊重しながら対話するってどういうことなんだろうと、いろいろ考えさせられました。

城山:先ほど、ズレの話をしましたけど、良かれと思ってしたことが相手にとっては全然よくなかったり、信じている正しさが大事な人と共有できていなかったり、そういう微妙なズレを常に抱えながら世の中はまわっていると常々感じます。だから、あやういバランスで絶妙に保たれていた均衡が、ほんの少しの揺らぎによって崩れてしまう。第三話では、それが、夫のひきこもりにつながるわけですが、その微妙なズレをごまかさずに描くことが小説を書くうえで大事なことなんじゃないかなと思いました。

――ズレを丁寧に描かれていたからこそ、はっとさせられるところも多かったです。第四話の、意外と女性のひきこもりが多い、というのも目からうろこでした。確かに、家事見習いという言葉でごまかし、働かずにひきこもることは多いかも、と。

城山:それは僕も、取材を通じて知り、驚いたことでした。「女性のひきこもりっているんですか?」くらいの軽い感じで聞いたら、真剣な顔で「むしろ女性の方が深刻ですし、数も多いかもしれない」とおっしゃって。聞くと、深刻なケースのほとんどは、母親との関係に起因するらしいんです。すべてを性別でくくることはできませんが、乗り越えるか否かの対立軸に回収されがちな父と息子に比べ、母娘のほうが互いを同一化して共依存になりやすい。2018年に、医学部を9浪した娘が母親を刺殺したっていう事件があって、そのルポルタージュである『母という呪縛 娘という牢獄』(2022年/齊藤彩/講談社)のなかに、「私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」という娘の言葉が綴られているんですね。

――第四話でも、母親との関係が鎖となってひきこもりを続けている早希が、みずからの状況を「生き埋め地獄」と称し、抜け出すには母か自分かどちらかが死ぬしかないと思い詰めるシーンがありました。

城山:第四話は、どうしようもなく固まってしまった母娘の関係性を描くうえで『母という呪縛 娘という牢獄』を参考にさせていただきました。これは第二話で描いた、父と息子の8050問題とはまた違う現実として、書かなくてはいけないとも思ったんです。早希の母親もRSのスタッフですが、人間の顔というのは一つではなく、矛盾した側面をあわせもつもの。清枝にも通じるところがありますが、他人には適切にアドバイスをし、状況改善のために手をさしのべることもできるのに、自分の娘のこととなると冷静に対応できない。結果として長年、ひきこもりを放置してしまった彼女の「理屈にあわなさ」もまた、描く必要があるんじゃないかと思いました。

――早希の解決に、第二話の当事者である哲太が一役買うというのも、よかったですね。父親の遺体を放置し、ほとんど心の壊れかけていた彼が、RSのスタッフとして再生していく過程にも、打たれました。

城山:今作におけるキャラクターMVPは間違いなく哲太ですね。物語が進むにつれてキャラクターがみずから動くようになるなかで、哲太は、予想もつかない動きを見せてくれた。僕はただ、その動きについていくように、キーボードを打っていくだけでよかった、といってもいいくらいで。「家を出て生きていくのが怖い」といっていた彼が、矢島に連れ出された外の世界で、ときに体を張って、誰かのために動くことができるようになって……。その姿を書き上げたときに、僕自身も、この物語を書いてよかった、とほっとした気持ちになりました。

――今作を読んでいると、社会というのはさまざまな立場の人たちに支えられ、人との出会いに影響されながらまわっているんだ、ということも痛感します。

城山:その部分を感じ取っていただけたというのは、著者冥利に尽きます。これまで僕は、わりと社会派といわれるミステリーを書いてきたつもりなんですが、警察庁長官の狙撃事件だったり(『狙撃手の祈り』文藝春秋)、刑務所が舞台だったり(「看守シリーズ」)、壮大な設定のなかに人間ドラマを落としこんでいくことが多かった。でも、家族というかなり狭い人間関係を切り取った今作が、実は一番壮大で、社会派なのかもしれない。胸にちょっとしたひっかき傷の残るラストだったかもしれないけれど、だからこそ見いだせる希望、みたいなものを描けたかもしれないな、と。今後も、そうした「身近な狭い世界だけど深くて広い」小説を、定期的に書き続けられたらいいなと思っています。

――『月曜のこない部屋』というタイトルも、読み終えたあとだと、いろんなことを考えさせられます。

城山:「たとえるなら、日付変更線の隙間でずっと立ち往生しているような、自分にだけは明日はこないとあきらめている、そんな日々でした」とある人物がひきこもっていたころを振り返るセリフがあります。その境界を乗り越えて、ようやく時が進み始める。そんなタイトルがいいなと思っていたら、担当編集者さんが「日曜日と月曜日の境目みたいな感じですね」とおっしゃって。ああ、それかもしれない、と思って、決めました。月曜がこないことを、どこにも行けずにひきこもり続けている、と思う人もいれば、自分を縛り付けていた日々から逃れられる場所にきた、と肯定的にとらえる人もいるかもしれない。読む人によって解釈の変わる、答えのないタイトルをつけられたことに、とても満足してます。

■書誌情報
『月曜のこない部屋』
著者:城山真一
価格:2,090円
発売日:2026年8月7日
出版社:徳間書店

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