『第三きぼうビル』植原翠が語る“平熱な生き方”とは? 何者かになれなくても「普通の人生も面白い」

ことのは文庫(マイクロマガジン社)から9月24日に刊行された『第三きぼうビル 誰も主役じゃない日々』は、カオスでシュールな会話劇が魅力の、コメディタッチの連作短編小説だ。
舞台は、地方都市の路地裏にひっそりと佇む雑居ビル。そこに集うのは、自称探偵の「オーナー」、気まぐれな居酒屋の「大将」、毒舌美容師の「姐御」、パリピなベンチャー企業の社長「ニエー」、ダウナー系大学生の「バイト」という、性格も年齢もバラバラな5人。彼らの日々に大事件や感動的なドラマは起こらないし、ヒーローやヒロインも登場しない。
そんな「主役じゃない人々」の「なんでもない日々」を肩の力を抜いて楽しめる本作。リアルサウンドブックでは、著者である植原翠に、作品の着想から、会話劇を小説にするという挑戦、そして普通の人の日常を描く思いを聞いた。
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――まずは本作の成り立ちを教えてください。

植原翠(以下、植原):2019年ごろ、シャワーを浴びていたときに突然この話のアイデアを思いついて、Twitter(現X)に投稿したんです。「雑居ビルに入ってる様々な事務所の人たちが夜になると1階の居酒屋に集まってきて仕事の話や客の話を肴にぐだぐだやる短編とか書いてみたかったなー。」って。私は(小説として)書けると思ったら大事に温めておいて、書けないかもしれないアイデアは投稿しちゃうんですが、これは当時「作品にはならないだろう」って思い込んでたので投稿しちゃってましたね。
――「作品にならないだろう」と思っていた理由はなんだったのでしょう。
植原:私自身、お酒があまり得意じゃないので、居酒屋を舞台にしたお話を書ける自信がなかったのと、やっぱり会話劇なので小説よりも映像作品にした方が良さそうかなと思ったことが大きいですね。
それから6年経って編集さんと雑談していたときに、ふと「実はこんなお話を考えたことがあるんです。まぁ書かないんですけどね」と話したら、編集さんが「ぜひプロットを書いてほしいです!」って案外良い反応をくださって。そこから話を進めていき、キャラクターの深掘りをして、「これならもう勝手に動き出しそうだから、自然に動かしてみよう」という感覚で書き始めました。だから舞台を整えて、キャラクターを放ったみたいなイメージでしたね。
――実際、書き始めてどうでしたか?
植原:キャラクターたちが勝手に動いてくれた感覚はあったんですが、一人称の視点になるダウナー系バイトは少しアンモラルな面があるので、彼の言動のラインは少し悩みました。ことのは文庫は、どちらかというと優しい物語が好みの読者さんが多いイメージがあったので、そういう方々にも受け入れてもらえるラインはどこなのかなと。そういう部分も踏まえて、お互いに踏み込みすぎない5人だけど、お互いの繋がりは彼らなりに大事にしているし、お互いをないがしろにしないような表現を意識していました。
――そんな5人の日常を、16編の短編を通して描いているのも本作の特徴です。連作短編という形式を選ばれた理由はなんだったのでしょうか。
植原:一夜一夜があっという間に過ぎていく感じとか、 次の日にはどうでもよくなっちゃうような瞬間を切り取りたかった、というのが一番大きな理由ですね。あと一話一話が長く書くようなエピソードではないと思ったので、短編にしました。
連作にした最大の理由は、大将の存在ですね。映像としてイメージしたとき、居酒屋の店内に大将の趣味のものがどんどん増えていって、カオスになっている絵が思い浮かんだんです(笑)。だから回が進んでいくごとにアイテムを増やしていって、最終話ではお店の中がごちゃごちゃになってる……みたいな表現がしたくて、連作という形を選びました。
――彼らの何気ない会話を読んでいると、居酒屋で隣のテーブルの面白い話を盗み聞きしてるみたいな感覚にもなりますよね。
植原:まさにそれですね。この作品、自分の中のコンセプトとして、「自分しか見ていないようなところで、ちょっと変なことが起こっていたら面白いな」っていうのがあるんですよ。日常の中でも、「え、今の私しか見てなかったの?! もったいない!」って思うような場面に遭遇するときってあるじゃないですか。そういう、偶然面白いものを見つけた気持ちで読んでもらえたら嬉しいなと思います。
――そういった「自分しか見ていないようなところ」というのは、舞台を地方都市の雑居ビルにした理由にも繋がるのでしょうか。
植原:そうですね。「みんなが通り過ぎちゃうような建物の中で、なんとこんなことが起こっていた!」というイメージです。華やかな大通りではなく、ふと通り過ぎてしまうような場所がいいなと思って、片田舎の裏通りのビルを舞台にしました。具体的なモデルではないんですが、昔、自分が面接に行ったビルを参考にしています。そこは1階にそば屋さん、2階に美容院、3階によくわからないベンチャー企業が入っていて。まぁ探偵事務所は入ってなかったんですが(笑)。
化学反応を起こす個性豊かな5人
――エピソード自体は日常の何気ない出来事が中心ですが、登場人物はかなり濃いキャラクターが揃っているからこそ、会話劇が盛り上がります。ボケとツッコミのバランスを含め、キャラクターを設計するうえで意識したことはありますか?
植原:特に意識はしていないんですが、書いてみると、パズルのピースが組み合わさるように自然なバランスがとれていた、という感じです。年代も職業もバラバラで、このビルがあったからたまたま集まったけれど、本来なら知り合う機会もないような人たちなんですよね。なので、最初から会話させることを前提にしたわけではなく、「こういう感じのキャラクター」というのを一人ずつ作っていって、その5人を置いたらどんな会話をするのかを考えていきました。たとえば、バイトとオーナーだったらこんな温度感の会話になるかなとか、ニエーと姐御は二人とも派手好きだから、変な色に髪を染めだしそうだなとか(笑)。それぞれの組み合わせで化学反応が起こるようなキャラクターを作れたかなと思います。
――書いている中で、特に会話が弾み出した組み合わせはありますか?
植原:個人的には、ニエー × バイトの若手コンビが面白かったですね。ニエーの騒がしさに、バイトがドン引きしているという温度差が好きで(笑)。他のキャラクターの組み合わせだと起こり得ない反応なので書いていて楽しかったです。
――バイトは5人の中で一番ローテンションなキャラクターですよね。今作はバイトの視点で進んでいきますが、彼を語り手に選んだのはどんな理由があったのでしょうか。
植原:読者さんに一番近い視点を持っているキャラクターだと思ったからです。他の4人は「その発想にはならないだろ!」っていう突飛な思考をしそうなので、地の文にするには違うかなと。バイトは比較的フラットな視線で周りを観察しているキャラクターなので、彼の視点だと書きやすかったというのもありますね。
実は彼はもともと、「一生懸命なんだけどポンコツ」っていう感じのキャラクターだったんです。それはそれで面白かったと思うんですが、コメディ小説の地の文を淡々と書くのにちょうどいい性格にしたいなっていうこともあって、今回はダウナー系キャラにしてみました。
――名前が「曇」というのも、彼の雰囲気にぴったりですよね。キャラクターそれぞれの名前は、どのように決めたのでしょうか。
植原:やっぱり語感が大きいですね。バイトは「広瀬曇」という名前ですが、晴れでも大雨でもない、どんよりと雲が流れてるだけの「曇り」というのが彼に合っているのかなと。ちなみに「曇って名前を自分の息子につける人はいなさそうだからやめましょう」って編集さんに言われる可能性もあるなと思って、用意しておいた第二希望は、「海月」と書いてみつきくん。あだ名はクラゲでした(笑)。
オーナーの「灰川悟」は、灰色のスーツのイメージと、知的で誠実そうな雰囲気から下の名前は悟にしてみたり、姐御の「高槻敬一」は、声に出した時にちょっとカツカツした印象になるので、そこでキャラクター性を表現してみたりしました。
――こうした個性豊かなキャラクターたちの会話を、実際に小説として書いてみていかがでしたか。冒頭では「小説よりも映像作品の方が良さそう」とおっしゃっていましたが、その点も含めて苦戦したことはありましたか。
植原:やっぱりキャラクター同士の会話を面白く表現するのには苦戦しました。笑いが生まれる瞬間って表情や間、声のトーンが大きいと思っているんです。でも小説って文字しかないじゃないですか。どうしてもテンポが悪くなってしまうので、私が書きたかった、大人数が居酒屋でワーッと喋っているような雰囲気を書くのは難しかったです。
――確かに、会話のテンポや間を文字で表現するのは難易度が高そうです。そのあたりは、どのように工夫されたのでしょうか。
植原:たとえば、誰かのセリフが入ったカギカッコのあとには、「~と誰々が言った」「~と誰々が返した」とか書かないと誰の発言かわからなくなったりするじゃないですか。でも、それだとすごくテンポが悪くなってしまう。だから、できるだけ喋る人数を減らしてみたり、先に喋っている人物を提示することで、カギカッコを連続させても問題なく読み進められるようにしました。
逆にシュールな間を表現したいときは、中途半端な仕草を入れたりもしています。たとえば、オーナーとバイトがリバーシをしているエピソードで、オーナーが石を手に持ったままフワフワさせているシーンとか。そういったところも含めて、初めて挑戦することが多い作品でした。
――会話のテンポや掛け合いが印象的な一方で、5人の間に大きな事件が起こったり、何かを劇的に解決したりすることはありませんよね。こうしたキャラクター同士の距離感は、執筆するうえで意識されていたのでしょうか。
植原:キャラクターが大きな悩みを抱えている話があってもよかったかもしれないんですが、彼らはそこまでお互いの人生に責任を負えるような関係でもないし、悩みを一緒に解決してあげるような熱さもないんですよ。ただ、自分に関係している部分は最低限気にしていて、一応相談には乗るみたいな。そういう距離感であった方がいいのかなと。
――なるほど。ただ、最終話でバイトがある事件に巻き込まれそうになったときは、それまでとは少し違って、5人の距離が縮まるようにも感じます。
植原:事情を聞くまでは放っておくけど、まずいことを聞いてしまった以上は止める。そういう、大人としての責任はちゃんとある人たちっていう部分も書きたかったので、最後はああなりましたね。あと、作中ではバイトくんが主人公的な立ち位置で、ツッコミ役になることも多いので、一番常識人っぽいキャラクターに見えるんですが、最後の最後で「やらかしてくれたな」みたいな感じも出したくて(笑)。なので、ラストにああいう話を持ってきてみました。
「平熱の生き方」に込められた、普通の人生への肯定
――個人的に、バイトが大学で心理学を専攻している理由を、「特に学びたいことがなかったから適当に決めた」とオーナーに話したときに、オーナーが「熱くなるのもいいけど、そのぐらいの平熱の生き方でもいいよね」と答えるシーンがすごく印象的でした。この「平熱の生き方」という言葉には、どんな思いを込められたのでしょうか。
植原:何者かになりたいけどなれない人とか、そういう自分に苛立ったり、落ち込んでしまったりする人って、結構世の中にいると思うんです。頑張っている人って本当にかっこいいですし、その熱量自体が物語になるくらいすごいものだなとは思うんですが、普通の人生も、それはそれで面白いと思うんですね。「普通の自分に満足している、それが幸せ」という人もいるんじゃないかと。この場面でのオーナーは、そこまで深く考えていないかもしれないですが、彼も彼で幸せだと思うので、無意識にそう思っているんじゃないかなって。そういうところから、「平熱の生き方」っていう表現はオーナーに合った言葉だったかなと思います。
実はビルの名前を考えるとき、“平熱”って入れようかって思ってたんですよ。それくらい、“平熱”という言葉はこの作品の温度を表現する言葉としてちょうどいいと思ってて。ただ、平熱ビルってビルの名前っぽくないし、パッとしなかったんで今回は見送ったんですけど。だからこのシーンでのオーナーの言葉は、作品全体を象徴してくれるセリフの一つだなと思っています。
――サブタイトルの「誰も主役じゃない日々」という言葉にも繋がるテーマですね。
植原:そうですね。この作品のキャラクターたちは、何かを目指して熱くなっている主人公とか、一生懸命な愛されヒロインではないんですよね。でも、実際にはそういう人のほうが世の中には多いと思うんです。何者かになりたくてもなれない人もいれば、特に何も目指さずにマイペースに生きている人もいる。私は、そういう人生もすごくいいものだなと。
このサブタイトルは自分で編集さんに提案したものなのですが、壮大な物語の主人公じゃなくても、自分の人生の主役でいる人を書きたいという気持ちを込めています。編集さんも、「確かに誰も主役じゃない日々なんだけど、最後まで読んだ人は、全員が主役だったなって感じてくれる作品だと思う」って言ってくれて。そういう意味でも、いいサブタイトルになったなと思っています。
――本作では、アルバイトから社長、美容師に居酒屋の店主まで、さまざまな「働く人」の姿が描かれています。先生ご自身は、「働くこと」をどのように捉えていますか。
植原:私にとって働くことは、「人によって違うもの」ですね。働きたくないけど働いている人もいるし、むしろ仕事のために生きている人もいる。「働くとはこういうものだ」っていう答えはないと思っています。長く真面目に働くことは、本当に素晴らしいと思います。ただ、自分の常識から少し離れて見てみると、本当にいろいろな働き方をしている人がいるんですよね。たとえば、数ヶ月だけ働いてから海外で遊んで、お金がなくなったら帰ってきてまた働いて……みたいな人もいたりして。第三きぼうビルの人たちも、すぐ転職しちゃったり、探偵業ができないのに探偵事務所をやっていたり、普通なら選ばないような働き方をしています。そういう人たちを表現することが今回面白いと思ったし、読者の方にも「こういう働き方もありなんだ」って思ってもらえたら嬉しいですね。
――先生ご自身も会社員と作家を兼業されていますが、そうした多様な働き方への視点は、ご自身の経験とも繋がっているのでしょうか。
植原:作家の仕事って本文を書くのも面白いし、編集さんと話しながら磨いていく作業もすごく面白いんですよね。それに比べると、会社員の仕事は少し嫌々やってる部分もあるんですが、それでも職場の人たちから受ける刺激が作品に生きているなというのは感じます。ずっと家の中で文章だけ書いている生活だと自分の考えの外には出られないので、働いて人と関わることで、想像もしないような趣味を持っている人と出会ったり、面白い話を聞いたり。それは今作でも、大将の趣味の一つの参考になっていたりしています。そんなふうに周りから刺激をもらって、自分の視野を広げていくことが作品につながっているのではないかなと。兼業を辞めちゃったら、私は小説も書けなくなっちゃうんじゃないかなと思うくらいです。
――そうした周りからの刺激が、結果として読者に届く物語を作る要因になっているんですね。最後に、本作をどんな人に読んでもらいたいですか?
植原:いろいろと語ってしまいましたが、この作品は、深いテーマのある感動的な物語として書いたわけではないんです。なので、「自分が見ていないところで、こんな面白いことが起こっていたんだ」というくらいの気持ちで読んでほしいですね。偶然面白いものを見かけたときに、誰かに話したくなってしまうような人に読んでもらえたら、とても嬉しいです。
■書誌情報
『第三きぼうビル 誰も主役じゃない日々』
小説:植原翠
イラスト:ふすい
価格:781円(税込)
発売日:2026年9月24日
出版社:マイクロマガジン社(ことのは文庫)






















