『ナウシカ』3巻のミリタリー描写がヤバい! 宮崎駿がアニメで「戦争」を真正面から描かなかった深い理由

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8月18日のアマゾン売れ筋ランキングで5位に入っていたのが、コミック版『風の谷のナウシカ』である。1982年連載が開始され1994年に完結した作品だが、映画のテレビ放送と連動して順位が上がったものと思われる。
単行本第3巻に見る、宮崎駿の密かなミリタリー描写

よく知られていることだが、映画『風の谷のナウシカ』の内容は、全7巻のコミック版のうち最初の2巻の部分に該当する。コミックではその後も長きにわたってナウシカの旅が描かれ、腐海と人類に関係する巨大な謎が明かされる。終わりゆく世界の中での死闘と人類の業、そしてその中でも生きていかねばならない人間と生命とは一体なんなのか。血の滲むような思考によって紡がれた物語は、完結から30年以上が経過しても抜群に面白い。
自分も中学生の頃に初めてこのコミックを読んだのだが、特に強烈に印象に残ったのが3巻である。この3巻では冒頭でクシャナがトルメキア王国に対するクーデターの決行を決断。自らが育てた最強の軍勢であるトルメキア第三軍の生き残りと合流して王都へと帰還するべく、第三軍の連隊が死守する土鬼(ドルク)のサパタ土侯都城を目指す。たった一機のコルベットで敵中を強行突破し、生き残りのトルメキア軍と合流するという大胆極まる作戦に、主人公ナウシカも同行することになる。
土鬼軍の攻撃に晒されつつも間一髪でサパタの都城へと辿り着いたクシャナは、今や数少ない生き残りとなった第三軍の残存部隊が脱出する時間を稼ぐため、都城の周囲を包囲する土鬼軍の砲台を破壊する作戦を立てる。城壁を爆破して装甲兵を城の外に出撃させ、砲兵と連携して高速で砲台と包囲軍を蹂躙、目標達成後に城に帰還するという危険な作戦だが、城に囚われたサパタ族捕虜の解放を訴えるナウシカは「戦友としての意見なら聞こう」と話すクシャナによって参戦を決断させられる。砲兵部隊の攻撃によって作戦が開始され、ナウシカは本格的な地上戦の最前線へと突っ込み、地獄のような戦闘の実相を見る。
よく知られているように、宮崎駿氏はヘビーなミリタリーマニアである。と同時に、戦争それ自体の愚かしさをよく知り、憲法改正に反対を訴える人物でもある。だからだろうか、宮崎氏がこれまで監督してきたアニメ作品の中で、正面から軍隊同士の戦闘を描いたことはない。ミリタリーやメカに関するマニアックな描写やマニアにしか表現できないニュアンスは無数に散りばめられているが、現代的な戦争や戦闘そのものをアニメの主題にしたことはないのである。
なぜ宮崎アニメは正面から戦争を描かないのか
「では、天才的アニメ監督である宮崎氏が正面から戦争を描いたらどうなるか」という疑問に答えているのが、このコミック版『ナウシカ』3巻と言えるだろう。とにかくこの3巻は戦記コミックとして猛烈によくできている。前王の血を継ぐがゆえに今まで傍流で散々煮湯を飲まされてきたカリスマ指揮官と、その指揮官が手塩にかけて育てあげた神速の機動部隊という設定。主力部隊と合流するための敵中突破というシチュエーション。定石から外れた無茶な作戦を立てる作戦会議での小気味いい会話。圧倒的な画力で描かれる騎兵部隊の突撃と、壮絶極まる戦闘。改めて読んでも鳥肌が立つほど面白い。最高のシチュエーションとキャラクター、そして時代と場所を問わず蒐集されたマニアックなミリタリーの知識が完璧に噛み合い、ここまで面白い戦記漫画は今後も出てこないのではないか……という完成度となっている。ここまで正面から人間の軍勢同士のぶつかり合いが描かれているのは、全七冊あるコミックのうちのたった一冊分だけ。しかしその完成度はぶっちぎりで、3巻の内容に強烈な印象や思い入れを持っているマニアは多いはずだ。
戦争の愚かしさ、そして愚かしい戦争を平気でやってしまう人間のしょうもなさを呪いつつ、一方で正面から戦争や闘争を描くと圧倒的に面白くなってしまう。この巨大な矛盾こそが、宮崎駿という人の作家としてのコアの部分のひとつなのではないか。この矛盾を誰よりもよく認知しているのが宮崎駿本人であろうし、そうである以上コミックより影響力が強い劇場アニメで正面から戦争を描くことはできなかったのではないかと思う。作ったら絶対に面白くなってしまうし、そして「戦争を面白く描いた作品」はそれ自体が危険である。それ以前に、そんなマニアの欲望剥き出しな、子供っぽくて情けない仕事はしたくない。だから『紅の豚』は『雑想ノート』掲載時から豚を主人公にしていたし、大戦争の狭間の時代である戦間期を舞台にしていたし、当初は航空会社の機内用短編アニメとして企画されたのではないだろうか。
1994年にコミック版『ナウシカ』を完結させたのち、宮崎氏はのちに自分で「戦車の季節」と総括した時期に突入していく。泥に塗れて地面を走り回り、戦闘以外のことは何もできない機械である戦車へ、興味の軸足を移していくのだ。その興味の方向と深さはよりマニアックなものになっていき、それゆえに一般メディアではそういった話を載せることもできず、その主戦場は模型専門誌となる。この時期の模型専門誌でのインタビューや発言、関連企画をまとめた『模型雑誌の中の宮崎駿』を読むと、この時期の宮崎氏は戦車に対して極めて深くのめり込んでいたことがわかる。
やがてこの戦車と地上戦に対する広範な興味は第二次世界大戦、それも東部戦線のごく狭いエリアで戦われた「ナルヴァの戦い」へと集中し、この戦闘に参加したドイツ軍戦車長オットー・カリウスを主人公としたコミック『泥まみれの虎』へと結実する。まず戦車と名のつくもの全て、そしてその開発や運用や歴史に関して徹底的に調べて考える。しかるのちに地上戦というカオスを理解するためのサンプルとして、ごく狭いエリアでの戦車による戦いを集中して調べて想像し、コミックとしてまとめる。人間一人が理解するのは不可能な戦争という混沌について、まるでフェルミ推定のような方法で迫っていったのである。
「戦車の季節」を経て実を結んだ『もののけ姫』の地上戦
この『泥まみれの虎』によって描かれたのは「戦争という極限の状況下で、正気を失わずに生き延びるためには何が必要だったのか」という点であり、結局のところそれは「自分の役割について真剣に考え、信念を持って真面目に取り組み続けること」だった。この結論は、地獄のような戦場のど真ん中で「鏑弾によって敵騎兵部隊の隊列を乱す」という奇策を思いつき、装甲のない自分たちならば高速で離脱できると冷静な判断を下していた3巻のナウシカに重なる。ナウシカもまた、自分が生き残ることを考えながら、一方で「愚かしい戦争での犠牲者をなるべく出したくない」という自らの信念に沿った行動をとった。描かれた時期も違えば描き方もずいぶん違うが、オットー・カリウスとナウシカは戦場の狂気に飲み込まれず生き延びるために、似たような境地に辿り着いたのだ。
生き延びるために崇高な努力を重ねることが闘争や戦争に結びついてしまうという矛盾、そしてそうして生まれた戦闘状態のカオスをそのまま映像化した作品として、「戦車の季節」を経た宮崎氏は『もののけ姫』を作った。ここでも現代の地上戦をそのまま描写することはなく、舞台は過去の日本へと移された。だが主題となったのは神々と人間による壮絶な地上戦そのもので、それも山岳地帯での機動戦からタタラ場での陣地戦、欺瞞を使った作戦から騎馬同士の白兵戦とレパートリー豊富。おそらくアニメ映画において最も戦争それ自体に肉薄した宮崎駿作品が、『もののけ姫』だったと思う。あの壮絶な地上戦の描写と、善悪を超えた闘争の混沌をそのまま映像化した内容は、コミックの『ナウシカ』と「戦車の季節」を潜り抜けたからこそ辿り着いたものだったはずだ。
今や30年以上前となったコミック版『ナウシカ』完結と宮崎氏の「戦車の季節」だが、このふたつの出来事は『もののけ姫』とそれ以降の作品を生み出した重大なトピックだった。この時期に戦争とそれがもたらすカオスについて考えきり、描ききったからこそ、『千と千尋の神隠し』以降の作品へと振り切っていけたのではないかと自分は思っている。そしてその戦争描写の極致こそ、『ナウシカ』3巻なのだ。驚異的に面白い戦記コミックとして、のちに訪れる「戦車の季節」と地上戦のカオスへのとば口として、そして『もののけ姫』から先の作品へのブリッジとして、極めて重要な意味を持つ一冊なのである。
■書誌情報
『風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」』
著者:宮崎駿
価格:4,367円
発売日:2003年10月31日
出版社:徳間書店
























