宮﨑駿『君たちはどう生きるか』はどう見る? 定説を覆した主人公と海外児童文学からの影響ーー批評家・藤田直哉が解説

「スタジオジブリ全作品集 増補改訂版」

 2023年の公開時に大きな話題を呼んだ宮﨑駿の最新作『君たちはどう生きるか』。2025年5月2日の日本テレビ系『金曜ロードショー』で、地上波初放送されるのに先駆け、『新海誠論』『シン・エヴァンゲリオン論』などを著書に持ち、2025年6月には『宮崎駿』に関する書籍の刊行を予定している批評家の藤田直哉氏に本作を解説してもらった。

宮﨑駿の胸に刻まれた“幼少期のトラウマ”

  本作は、宮﨑の戦争中の体験が色濃く反映された作品だと藤田氏は語る。

 「宮﨑はインタビューや自著で、4歳のときに空襲にあった経験を繰り返し語っており、それがある種のトラウマになっていると考えられます。戦争体験は宮﨑の創作の原点でもあって、これまでのジブリ作品の中でも、“戦争とは何か”というテーマは反復して描かれてきました」

  空襲の際に宮﨑が経験した“ある出来事”は、彼の思想に大きな影響を与えたという。

 「宮﨑は、父が零戦のパーツを作る仕事をしていたため、大変裕福な家庭で育ちました。空襲の際も、運良く車があって逃げることができましたが、その際に助けを求めてきた女の子を置いて行ってしまったという経験があります。このことを宮﨑は罪悪感として胸に強く刻んでいて、のちに彼がマルクス主義や共産主義に傾倒していくきっかけにもなったのだと考えられます。戦争に加担し特権を得て裕福だから、安全で幸福だったという意識が強く根づいたのでしょう。本作でも、主人公の眞人が恵まれた家の子として描かれているのは、宮﨑自身の家庭環境が投影されているためです」

  藤田氏によると、宮﨑が“トラウマ”に向き合ったのは、本作が初めてではない。 

 「前作『風立ちぬ』の主人公で、零戦の設計者である堀越二郎には、宮﨑の父の姿が重ねられていると本人が語っています。宮﨑はいくつもの作品で商業的な成功を収めた一方で、常にこの“トラウマ”に囚われ、立ち帰らずにはいられないのです。空襲は『ハウルの動く城』でも描かれていましたが、本作の冒頭で流れる火事のシーンも細部までこだわりが感じられ、大きな見どころになっていると思います」

“男性主人公”のジブリ映画はヒットしない?

  もう一つの見どころは、本作の「教育的意義」にあると藤田氏は語る。

 「子供たちに向けて何を教えるべきか。それを考えながら作られたのが本作です。宮﨑は、大学時代に児童文学サークルに所属していたこともあり、ファンタジーやフィクションは、子供たちに何か大切なことを教えるためにあるという考えを持っています。タイトルの元となった吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』も、軍国主義が発展する時代に、少年たちに向けて書かれた本でした。発表された1937年は、ファシズムが台頭し、世界が破滅に向かっていった時代。今回の映画も、おそらくそういう時代の中で生きることになるであろう子供たちに向けたメッセージになっています」

  本作では、宮﨑が得意とする女性主人公ではなく、少年を主人公にした点にも注目したい。

 「『千と千尋の神隠し』や『風の谷のナウシカ』など、女性主人公のヒット作を連発してきた宮﨑ですが、男性主人公については長らく頭を悩ませていました。彼曰く、現代の少年は善良で優しいけれど意気地がなく、男性を主人公にすると悲劇的な物語になってしまうというのです。本作の主人公である眞人も、弱さが強調されており、転校先でいじめにあって不登校になり、学校に行かないために、わざと自分の頭に石で傷をつけます。彼のお父さんは剣を振り回していて男らしく、好戦的な人物ですが、眞人は内気で弱虫だし嘘もつく。幼少期の宮﨑自身が投影されているため、あえてそういった主人公に設定しているのだと思います」

『君たちはどう生きるか』が描くオタク像

  本作では、そんな“弱い少年”の眞人がファンタジーの世界でさまざまな体験をしていく。

 「内向的な少年が、本を読んでファンタジーの世界に没入する、という経験が比喩的に描かれているのだと思います。眞人は臆病で不安が強く、フィクションに没頭する、現代的にいえば“オタク”っぽい少年です。彼は、不思議な世界で死んだはずの母と再会しますが、オタク文化も同様に、甘えさせて退行させてくれる=“母”的な存在と見なされてきました。本作では、そんな“母なる存在”に抱きとめられてしまう世界を“死”と表現しています。宮﨑アニメには、『崖の上のポニョ』のように、自然やアニミズムといった母なる存在を肯定的に描いた作品もありますが、本作では『そういったものに惹かれる気持ちもわかるけれど、行き過ぎるとそれは死に繋がるから、現実に帰りなさい』というメッセージが打ち出されているのです」

  藤田氏は、本作のラストシーンを通して描かれた結論を以下のように分析する。

 「ファンタジーの世界から帰ってきた眞人は、世界と対峙することになります。ですが、本作は決して、眞人の父のように剣を振り回して強くなれ、という話ではありません。眞人が終盤に口にする『友達を作ります』という宣言どおり、すべての人がお互いに良い友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと宮﨑は語っているのだと、吉野の小説を読むと解釈することができます。この場合の『友達』というのは、物理的な友達だけを意味しているのではなく、弱く内向的だけれど、繊細で感受性の強い男たちであれば、他者と友好的な関係を築くことで平和を志向することもできるはずだ、という希望を象徴しています」

公開から2年、切実さを増したテーマ

  宮﨑は、昔に比べて男性が弱くなったと評する一方、そこに世界がより良いものになる可能性を見出した。ところが、現実社会では「マノスフィア」と呼ばれる“男性性”に固執する思想が台頭し始めている。

 「本作の企画がいつ頃始まったのかはわかりませんが、トランプ政権が樹立した今振り返ると、宮﨑は時代の流れをかなり前から予測していたのだろうと感じます。2年前の公開時と比べると、本作の男性性にまつわる議論は、よりリアリティや切迫感を感じさせるものになっているのではないでしょうか」

  本作はそんなアメリカを中心とする諸外国でもヒットを収め、アカデミー長編アニメーション賞を受賞するに至った。

 「宮﨑は、児童文学や絵本が好きで、海外の作品にも精通しています。『となりのトトロ』あたりから、“日本”というテーマにこだわるようになりましたが、物語のベースに海外の児童文学があることも多いです。本作もそうなんです。ローカルさは追求しつつも、それを超えた文化的無意識にまで到達しているからこそ、世界中の人々に普遍的に愛される作品になっているのではないでしょうか」

  破滅に向かっていく時代の中で、少年たちに希望を託した『君たちはどう生きるか』。宮﨑からの問いかけを受けて、私たちは今何を感じるのか。『金曜ロードショー』の放送を機に、立ち止まって考えてみたい。

 

■書誌情報
「スタジオジブリ全作品集 増補改訂版」
https://amzn.to/4e3Pp05
定価:3,190円(税込)
オールカラー/176ページ
サイズ:タテ257mm×ヨコ210mm
2024年11月11日(月)発売予定 ※発売日は店舗によって異なる場合あり
講談社刊

© Studio Ghibli.H

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