最果タヒが『枕草子』を現代語訳して見つけた答え「清少納言とはきっと仲良くなれないだろうな」

最果タヒが清少納言に惹かれる理由とは

 平安時代に清少納言が執筆した随筆集『枕草子』は、「春はあけぼの」という書き出しが有名だ。詩人の最果タヒが、約300の章段からなるこの古典から選りすぐりの部分を現代語訳し、清少納言に関するエッセイも収録したのが、『きょうの枕草子』(中央公論新社)である。原文の「蠅こそにくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ」を「蠅は、これは『ムカつくもの』に入れるべきだったかも。少しもかわいくないんだもん」と口語混じりで訳すこの本は、清少納言を身近な存在に感じさせる。(円堂都司昭/3月24日取材・構成)

キレキレなイメージの裏にある、清少納言の「繊細な人柄」

最果タヒ『きょうの枕草子』(中央公論新社)

――『枕草子』に興味を持ったきっかけは何でしょうか。

最果タヒ(以下、最果):一番有名な「春はあけぼの」のところがずっとすごく好きでした。目の前の景色と、それを見つめる心の距離感に、目の前に清少納言がいるかのようなみずみずしさを感じていたんです。そこで感じていたものを自分の言葉で描けたらいいなと思って、ある時「春はあけぼの」のところをSNSで訳してみたら楽しくて。そこから新聞連載の話をいただき、一冊の本にまとめることになりました。

――章段はどのような基準で選んだんですか。

最果:新聞連載なので短めのものが中心ですが、「清少納言の存在が伝わってくるもの」を訳していけたらいいなと思っていました。清少納言は、きっと取り上げる物事に心が動いて「書きたい」と強く思ったから、言葉にしていっているんだと思います。書かれた内容だけでなく、その「心が動く気配」を、訳の中にも残していきたいと思っていました。だから、読んでいて心の動きを感じられた章はできるだけ残しています。

――現代語訳する際に工夫した点はなんですか。

最果:清少納言は凛とした人でもありますが、奥にとても柔らかなものを持っている人だとも思います。その部分を忘れずに訳すことは大切にしていました。

 枕草子には、清少納言が切れ味のある返答をしたり、知識を見せたりして、周囲を驚かせたエピソードはいくつか出てくるんですが、清少納言自身のことが書かれたエピソードって、本当にそうした「他人からの評価」の話ばかりなんです。さみしさや悲しさといった個人の感情をそのまま書くことがほぼなくて、また、自分の見た目などにも自信を持てなかったんだなと感じることが読んでいて何度かありました。おそらく自分のことがあまり好きでなくて、だからこそ、他人に褒められたエピソードでしか自分のことを書けなかったんじゃないかなぁって思うんです。

 「キレキレの清少納言」というイメージが持たれがちですが、私はどうしても、そういう部分に清少納言の繊細な人柄を感じて、そこが素敵だと思っていました。本来なら自分の中に留めて、言わずにおいてしまう感情がたくさんある人なのではないかと思います。でも、清少納言は大量の紙を得て、たくさんのテーマを書こうとして、そうして「自分の話」ではないところで、彼女の気配がある言葉をたくさん残すことになった。それって、すごくみずみずしいことだって思うんです。

 花や鳥への愛着、日々の苛立ち。そうしたものを綴ることで、自らはなにも吐露しなかった人の心の小さな波が、喜怒哀楽よりももっと繊細で、ただそよそよと揺らいでいるだけの感性のようなものが、『枕草子』には溢れています。

 その「清少納言の心の扉が開いている感覚」を、訳すときにも残せたらいいなと思っていました。内容そのままというより、それを書く人の体温がそっと感じられる訳になるといいなぁって思ったんです。

ジェットコースターのような詩人が、静かな古典と溶け合うとき

――「かわいくないんだもん」といった口語表現が印象的ですが、言葉選びのこだわりを教えてください。ご自身の詩のリズムと、清少納言の言葉のリズムをどのように擦り合わせたのでしょうか。

最果:私は、文章が「声」になる前の、自分の内側に響いている段階の言葉に一番心地よさを感じます。清少納言にも共通する部分があると思ったので、その感覚は訳に生かすようにしました。自分の詩にはジェットコースターのような激しさがありますが、『枕草子』はそうではないので、少し落ち着いたトーンを意識しています。自分と完全に同化させるのではなく、「書く」という同じ場所に立つからこそ感じられる彼女の気配を、残せるようにしたいと考えていました。

 好きな花や木について書くときも、「私はこれが好き」と書くだけで他人に共感されたいとか、みんなが感嘆することを言いたいとかそんなことは全く考えてなさそうな清少納言が好きです。言葉を書くとき、彼女は本当に自分一人の世界にいるのだと思います。他人の目を気にしないで、ただ書きたいことをそっと書いていく。その感性の静けさを大切にしようと思いました。

――清少納言は、どのような人だったと思いますか。

最果:悲しいことがあっても、あえて他人に言う必要を感じていない人。周りからは強い人だと言われるけど、なんにも感じていないわけではなくて、むしろ内面ではいろんなことを思ってそっと傷ついている人だと思います。

 他人に自分の心の手綱を握らせないで、悲しみもさみしさも自分で抱えて、そうやって生きていこうとする人なのかなぁとも思うし、そんな人だからこそ、心にずっと瑞々しいままで残る繊細さがあるんだと思うんです。その人が見ている世界が言葉として残っていることが私はとても嬉しいんです。『枕草子』は、人の心にさみしさがあることを、ごく当たり前のこととして受け入れている人が書いた随筆なのだと感じます。

「定子もあなたが大好きだよ」と言いたくなる、二人の澄んだ関係

――仕えていた中宮定子への清少納言の憧れは、どうとらえていますか。

最果:他の貴族については、起承転結のある面白いエピソードとして書いているのに、定子のことだけは、ある一日の断片的なやり取りとして残されています。こんな言葉をおっしゃった、とか、こんな一瞬の姿が素敵だった、とか。それが清少納言のその瞬間の心にそっと住まわせてもらったように、こちらにもキラキラと伝わってくるんです。純粋な憧れを、物語として昇華させるのではなく、ただ大切な思い出のワンシーンとして書き残しているのだと思います。

 清少納言の言葉から伝わる定子は、あどけない感受性をさらっと言葉にできてしまう魅力的な人です。定子がこれほど魅力的に見えるのは、話し相手が清少納言だったからでは、と私は思うのですが、たぶん、清少納言はそう言われても「私なんて」と認めないんだろうなとも思います。枕草子の中にいる定子は、相手に心を開いているからこその可愛らしさがあります。だから、「定子もあなたのことが大好きなんだよ」って、私は言いたくなるんですけど(笑)。

 清少納言の定子への憧れだけでなくて、定子から清少納言に注がれる澄んだまなざしがそっと文章から伝わるところが私は好きで。もしかしたら清少納言は気づいていないきらめきだったのかもしれないけど……。きっと清少納言が、心に焼きついたワンシーンをそのまま脚色なく書いていたから残ったきらめきだと思います。『枕草子』の中でもとても大切な箇所だと思うので、そういう章はできるだけ選んで訳していました。

――最果さんは本書のあとがきで「清少納言のことはとても好きだが、仲良くなりたいとは思わない」と書いていますが、定子に対してはどうですか。

最果:私が定子と仲良くしようなんてしたら、きっと清少納言に怒られてしまうでしょう。定子はすごく可愛い人だけど、『枕草子』に描かれているのはあくまで「清少納言から見た定子様」なので、本当の姿は計り知れない部分もありますね。

 清少納言とは、一度お話してみたいとは思うんです。でも、仲良くなるのは難しそう。彼女が私を面白がってくれるとは思えませんし、「きっと仲良くなれないだろうな」って思ってしまいます。

かっこいい人から、愛おしい人へ。現代語訳で見つけた「書く幸せ」

――改めて『枕草子』を読み返すと、虫への愛憎から恋人との別れまで、内容に非常に幅があることを再認識しました。書き手として複数の顔を使い分けていたのでしょうか。

最果:思いつくままに、思いつくことすべてを書こうとして、結果的にいろんな話を書いているのかなぁって思います。それまでそんなになんでも他人に話すタイプじゃなかった人が、話し出した途端、いろんなテーマがどんどん出てくる、みたいなことかなぁって。

 清少納言は、世間がどう言おうと自分の好き嫌いをはっきりと書きます。たとえ皆が愛でる花でも、自分がそう思わなければ「好きじゃない」と書けてしまう。どんなテーマでも、自分の感受性でそれを捉えて、感じたことを自分の言葉で書くことができる人で、だからこそいろんなテーマで書いてもどれもとても面白いし、その奥に「清少納言さん」がいる感じがするのだと思います。世界を見つめている彼女のまなざしが、どんなテーマにも一貫してあるんです。

――現代語訳を経て、清少納言のイメージに変化はありましたか。

最果:以前は、自分の感性を信じて、周囲に流されず自立しているタイプで素敵だなと思っていました。自分と違う資質を持った書き手として、「なんてかっこいい人なんだ」という憧れも強かったです。けれど現代語訳のために全編をもう一度、彼女の心の動きを追うように読み進めるうちに、すごく繊細な人なんだなぁと思うようになりました。

 彼女は、自分の中の壊れやすい感性を誰とも共有せず、自分だけのものとして抱えて生きていた。全編を通読して気づいたのは、彼女がこれほど夢中で筆を走らせた理由が、同じ書き手として深く理解できるということでした。「書く」って、一人きりの言葉が形になることなんです。誰かにわかってほしくて話すとか、意見を聞きたくて語るとか、そういうことではなくて、自分の心の中にあることを、そっと一人で外に出してみるようなこと。それは本人にとってとても楽しい時間だったろうなぁと思います。私もそんなふうに書くことを楽しいと思うことがあるから、この仕事で清少納言の「書く喜び」に共鳴できた気がして、それはすごく幸せでした。

――もし次に最果さんが古典を訳すとしたら、どの作品に興味がありますか。

最果:今回は選りすぐりの章段だったので、いつかは『枕草子』を全訳できたらいいなと強く思っています。それ以外の作品は、また素敵な出会いがあれば、という感じですね。

■書誌情報
『きょうの枕草子』
著者:最果タヒ
価格:1,870円
発売日:2026年2月20日
出版社:中央公論新社

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる