原田マハが語る、創作の原点とゴッホへの想い「たったひとつの星を私は見つけたい」

原田マハが語る、創作の原点

 原田マハの作家デビュー二十周年を記念して、2013年に刊行されたロングセラー作品『星がひとつほしいとの祈り』の特製カバー版が登場した。

 『星がひとつほしいとの祈り』は、二十代から五十代まで幅広い世代を主人公に据えた、七つの人生の物語を収めた短編集だ。原田マハが作家となって間もない時期に、自らの体験を踏まえて描いた作品もあり、自身にとって「創作の原点」となる思い入れの深い一冊となっている。今回の特製カバーには、原田マハが選んだフィンセント・ファン・ゴッホによる絵画「星降る夜、アルル」が装画に使われている。

 今なお読み継がれる短編集『星がひとつほしいとの祈り』は、どんな思いを込めて創作されたのか。原田マハに語ってもらった。聞き手は、ライターの瀧井朝世。(編集部)

この短篇集を読み返すとあの頃の気持ちがよみがえります

『星がひとつほしいとの祈り』20周年特製カバー版

――原田マハさんの文庫ロングセラー『星がひとつほしいとの祈り』の特製カバーができあがりましたね。これは旅する人々が登場する短篇集ですね。

原田マハ(以下、原田):作家になって三年目くらいの頃から「Jノベル」で始めた不定期連載をまとめた一冊です。当時は自分のことをまだ作家と言ってはいけないと感じていて、一瞬一瞬が作家になるための血肉になると思っていた時期。いつも旅先でも、心に残ったものをスケッチみたいに自分の中に残して、いつか物語にしようと思っていました。私は今年の三月でデビュー二十周年を迎えましたが、この短篇集を読み返すとあの頃の気持ちがよみがえります。

――巻頭の「椿姫」は遠方には行かないけれど、山手線をぐるっと回る“旅”をする話ですね。辛い現実と向き合う女性が、女子高校生とその彼氏らしき少年を見かけて…という。

原田:プチトリップの話ですよね。これはデビュー前の20代の前半に書きました。私は作家になりたいとはあまり思っていなかったけれど、子供の頃から文章を書くのが好きだったんです。20代の頃にワープロが普及し始めて私も買って雑文を書くようになり、それで作ったお話でした。女子高校生たちがわーっと集まっている様子や、山手線に乗った時に見かけた初々しい若いカップルの光景がスケッチとして自分の中に残っていて、それがもとになっています。ちょっとビターだけれどハッピーエンディングに持っていく話を書いてみたかったんですよね。はじめて完結させた短篇だったので、嬉しくて取っておいたんです。作家になった後で書類を整理していたら出てきて、読んだら一気に当時に引き戻されました。「昔書いたものを改稿したので読んでいただけませんか」と言って編集者に渡したら、「いいですね。載せましょう」って。文章の手直しはしましたが、物語の枠組みは変えていません。〈汚れた雪の上に、椿の花がぽつぽつと落ちている。〉という出だしも当時のままです。

――二番目の「夜明けまで」は、大女優だった母が亡くなり、「夜明けまで、連れて帰って欲しい」という遺言を受け取った娘の物語です。

原田:この頃に、大分に行ったことがあって。帰りに博多行きの特急に乗ったんです。疲れて眠っていたんですが、一瞬目が覚めて窓の外を見たら駅を通過するところで、ちらっと「夜明」という駅名が見えたんですよ。えっ、と思って。これは物語になるなと思って、博多駅に着くまでの間に全部プロットができていました。

――そんな短時間で…!

原田:ピカソの有名な言葉に、「私は探さない、見つけるのだ」っていうのがあるんです。あの頃の私はピカソでしたね(笑)。自分ではまったく探してなくて、いつも見つけていましたから。これを書いた時、この不定期連載は“母と娘”を主軸にして書いていってもいいかな、と思いました。

旅先の物語というギフトは、この先も届けていきたい

――表題作の「星がひとつほしいとの祈り」も実体験がベースにあるのですか。

原田:はい。松山のビジネスホテルに泊まった時に、マッサージの方をお願いしたんですよ。ノックの音と「失礼します」というか細い声が聞こえてドアを開けたら、誰もいないんです。あれっと思って下を見たら、小さなおばあさんが腰をかがめておられて。「入ってよろしいですか」と言って壁伝いに入ってこられたので、目が不自由なんだと思って手を差し伸べて中にお連れしました。それでマッサージが始まって触れられた瞬間に、この人天才かも、って。それくらいお上手だったんです。色白な方で、細くてきれいな声で、まったく訛りもなく「私もいろいろありましてね。まあ昔のことは忘れましたけれど」とか「私の父は天文学者だったんです」っておっしゃるんですよ。それ以上のことは聞かなかったというか、あまりに気持ちよくて爆睡しちゃって(笑)。気づいたら終わっていたので「お元気で」と言って別れました。見送りながらまさしくこれは一期一会だと感じて、この方の話を書こうと思いましたね。それで、現代を生きる女性の話を入口にして、一人の女性の戦前からの物語を書きました。下敷きとしては、太宰治の『斜陽』や三島由紀夫の『憂国』のような、クラシックな日本の文学を意識しました。やんごとなき人たちの中に潜む無邪気さみたいなものに憧れがありました。これは戦争に関わる話でもありますが、書き終えたのが終戦記念日で、めぐりあわせのようなものを感じました。

――このタイトルは、以前からお好きだった詩集の言葉だそうですね。

原田:フランシス・ジャムというフランスの詩人の詩集のタイトルです。13歳くらいの時、詩を書くのが好きで、当時サンリオさんが出していた小さな詩集を集めていたんです。その中にフランシス・ジャムの『星がひとつほしいとの祈り』があって、表紙のイラストが飯野和好さんだったんですよ。私はファンレターを送るくらい飯野さんが好きだったので手に取ってみたら、すごく優しい詩が載っていたんですよね。今でも大事にしている詩集です。

――次の「寄り道」は、原田さんの他の作品にも登場するハグとナガラという友達同士が白神山地に行く話ですね。この二人は、原田さんご自身と旅仲間のお友達がモデルですよね?

原田:その通りです。ナガラは千鈴(ちりん)という私の旅友がモデルで、ハグは結構私を投影させています。まったく同じではないですけれどね。この話は、二人で白神山地に行った時、似たようなことがあったんです。ツアーガイドつきのワゴン車で山に行った時、その場に不似合いな都会的な服装をした若い女の子が一人で乗ってきたんです。結局その子とは喋らないままツアー後に駐車場で別れたんですけれど、その時、千鈴に「私、あの子をモデルにして小説を書くと思う」と言ったことを憶えていますね。偶発的に、母と娘の物語に結びつきました。

 この短篇は、人生、寄り道することもあると思いながら書きました。それはこの話に出てくる、喪服でツアーに参加する女の子だけでなく、ナガラとハグの人生にも言えることですよね。

 長い人生のなかの旅の一日に、まったく関わりのなかった人同士の人生が交錯する。それは奇跡的なことだと思う。旅ってそんなふうに愛おしく感じたり、大切に思えたり、なんだか泣きたい気持ちになることがたくさんありますよね。私はその体験を小説に書いて人に届けられる立場であるのだから、旅先の物語というギフトは、この先も届けていきたいですね。

ただ生きているだけで必ず学びや気づきが潜んでいる

――母親と十代の娘が佐渡島に行く「斉唱」も、千鈴さんとの旅がきっかけだったのですか。

原田:いいえ、これは別件でした。私は鳥が好きで、一人でタンチョウヅルを観に行って小説を書いたこともあるんですが、この時はルポの仕事で、一人で佐渡トキ保護センターに行きました。保護センターには、絶滅の危機にあったトキを甦らせた近辻宏帰さんという素晴らしい方がいらしたんです。取材した翌年に亡くなったんですが、私は長いことその方に憧れていたんですね。それで喜び勇んで佐渡に会いに行きました。その時、ビオトープを作ってらっしゃる農家の方もご紹介いただいて、そこで戦時中のお話をうかがってすごく感動しちゃって。そちらのエピソードはルポには書けなかったので、小説にすることにしました。これは実際に読んでいただかないと分からないと思いますが、本当にいい話なんですよ。人間が絶滅に追い込んだ生き物を、責任もってよみがえらせようとする。強い使命のもとに血のにじむような努力をする話です。命をおろそかにするなんて、絶対になされてはいけないことです。これは命の話です。某国の偉い人たちに読ませたいです。

――「長良川」は、娘とその婚約者と一緒に、思い出の長良川を訪ねる女性の話です。

原田:長良川は千鈴と行きました。私たちが辿ったところを登場人物に辿らせています。最初に仲居さんが登場するところも、鵜飼の見物に行ってボートに乗って、鰻を食べるところも、そのまんまです。

 これは母と娘の話でもあり、夫婦の話でもありますね。以前ニュース番組で、あるご夫婦の短いドキュメンタリーがあったんです。闘病されているご主人が、亡くなる前に奥様に、自分が亡くなった後について語っていたエピソードが、泣けてしょうがなかったんですね。それがずっと心の中に残っていて、長良川に行った時に、それをここで再現したいなと思いました。

――最後の「沈下橋」は四万十川が舞台。これは複雑な関係の母娘の切実なお話です。

原田:千鈴とレンタカーを借りて四万十川を遡上していった時、途中に周辺にお住まいの女性たちが地元の食材を使って切り盛りしている食堂があったんです。その食堂の活き活きした感じや、女性たちの土佐弁でのおしゃべりが本当に素敵で心に残っていました。

 四万十川には沈下橋という地域遺産になっている橋があって、これは水嵩が増えたら沈む設計なんです。その土地の人の知恵ですよね。川がすごい勢いで氾濫している時は一回沈んで、それが過ぎ去った後でまた浮かび上がってくればいいというのは、人生と一緒だなと思いました。

 パリの場合はセーヌ川が氾濫したら小舟に乗ってゆらゆら揺れていればいいという考え方なので、私も『たゆたえども沈まず』という小説を書いたこともありますけれど(笑)。

――『たゆたえども沈まず』はゴッホの話ですが、『ほしいがひとつほしいとの祈り』の特製カバーに、ゴッホの「星降る夜、アルル」(「ローヌ川の星月夜」とも呼ばれる)を選ばれていますね。

原田:ゴッホは私にとっては特別な画家です。彼は生涯をかけて星を探し続けていた人だと思う。こんなに自分は星を探し続けているのに、星はどこにあるんだ、と。だけど、いったいどこにあるんだ、と彼は思っていたかもしれないけれど、実はすでに彼はたくさんの星を見つけ、たくさんの物語をこの世界に残してくれたんですよね。彼が残してくれたたくさんの星のなかから、たったひとつの星を私は見つけたい。読者の方々にも、ご自分の星を見つけていただけたら、という思いがあるので、「絶対にこの絵がいいです」と編集者さんに伝えました。

――原田さんの短篇集はいつも、読者の背中を押してくれますよね。

原田:人生には偶発的に起きること、出会うものがあるので、ただ生きているだけで必ず学びや気づきが潜んでいる。それを見つけて、自分を励ますものとしてとらえられるかが大事だと思う。それは誰にでもできることなんですよね。私の短篇集が、見つけること、気づくこと、とらえることの手掛かりになったらいいなと思います。特にこの短篇集は、自分が作家になって間もない時期に、心して読者に届けようと思って書いたものなので、強い思いがパッケージされています。多くの方に届けられたら嬉しいです。

■書誌情報
『星がひとつほしいとの祈り』
著者:原田マハ
価格:891円(税込)
発売日:2013年10月04日
https://www.j-n.co.jp/books/978-4-408-55145-6/
※20周年特製カバー版は全国の書店にてお買い求めください。

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