「まさかウルフルズがミリオンセールスを出すとは思ってなかった」兵庫慎司が振り返る、名盤『バンザイ』制作の裏側


ウルフルズの3rdアルバム『バンザイ』(1996年)。「ガッツだぜ!!」「バンザイ~好きでよかった~」を含む本作がミリオンセールスを記録したことで、ウルフルズは知る人ぞ知るバンドから全国区の人気バンドへと駆け上がった。
書籍『ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー』(リットーミュージック)は、ウルフルズの出世作『バンザイ』に焦点を当てたドキュメンタリーだ。
著者は、当時『ロッキング・オン・ジャパン』の編集者としてウルフルズの取材を続けていた兵庫慎司。ウルフルズのメンバーをはじめ、プロデューサーの伊藤銀次、ディレクターの子安次郎など10人以上の関係者の証言を集め、貴重な資料や未公開写真とともに『バンザイ』の制作過程を綿密に綴っている。
「ウルフルズと『バンザイ』は恩人」という兵庫に、本作の執筆プロセスや読みどころについて聞いた。
バンドの代表作を選ぶ難しさ

——『ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー』、“こんなことがあったのか!”の連続でした。メンバーはもちろん、当時の関係者の証言もたっぷりあり、ものすごい読み応えですね。
兵庫慎司(以下、兵庫):ありがとうございます。これは僕のせいなんですが、長くなり過ぎましたね(笑)。当初は250~260ページの予定だったんですよ。取材をすべて終えてからまとめはじめたんですが、みなさんの話が面白くて、捨てるのがもったいなくて。結果的に300ページを超える本になってしまったという。
——兵庫さんが“バンドの代表作に焦点を当てる書籍を上梓するのは、『ユニコーン「服部」ザ・インサイド・ストーリー』(リットーミュージック/2019年)に次いで2冊目です。
兵庫:もともとはリットーミュージックの編集者の藤井徹さんの案だったんです。藤井さんとはフラワーカンパニーズの本(『消えぞこない~メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンライブにたどりつく話~』)を一緒に作ったことがあって。『服部』(ユニコーンの3rdアルバム/1989年)の30周年のときに「『服部』の本を作りたいんですけど、企画が通ったらやってくれますか?」という話があったんですよ。「やるけど、通らないでしょ」と思ってたら、あっさり通って。『服部』の頃のユニコーンのマネージャーだった鈴木銀二郎さんが窓口になってくれて、取材相手の交渉もすべてやってくれたので、非常にスムーズだったんです。本の評判も良かったし、売れたので「次もやりましょう」という話になったんですが、なかなか決まらなくて。
——“服部”の本が出たのが2019年なので、6年経ってますね。
兵庫:アルバムの周年に出したいというのもあるし、「このバンドはこの1枚」と言い切るのってかなり難しいんですよね。たとえばスピッツだと『ハチミツ』(1995年)が思い浮かぶ。確かにブレイクしたのは『ハチミツ』だけど、バンドのフォーマットができたのはその前の『空の飛び方』(1994年)かもしれない。Mr.Childrenだと『Atomic Heart』(1994年)なのか『深海』(1996年)なのか。メンバーやスタッフが「そうかもね」と思ってくれて、ファンも納得する1枚を選ぶのは大変だなと。で、すっかり忘れてた頃に藤井さんから「『バンザイ』が30周年ですよ」と連絡が来て。これもすぐに企画が通って、取材が始まったという流れですね。ただ、当時のスタッフがかなり散り散りで。業界を辞めている方もいたし、そこはけっこう大変でした。
——ウルフルズのメンバー、ディレクターの子安次郎さん、プロデューサーの伊藤銀次さんをはじめ、みなさんすごく率直に話してますよね。
兵庫:たぶんですけど、全員にとって良い思い出だからだと思います。もちろん当時はしんどかったはずですけど、「やったぞ!」という喜びもあったはずなので。僕が心配してたのはウルフルケイスケさんなんですよ。
——ケイスケさんはソロ活動に専念するために、2018年からウルフルズとしての活動を休止してますからね。
兵庫:そうなんです。もしケイスケさんが出てくれなかったら、「この本、出していいのかな?」という感じになるなと思ってたんですけど、意外とすんなり受けてくれたんですよ。取材の場では「悩んだよ」って言ってましたけどね。「『バンザイ』の30周年の本なのに、自分だけ出ないのもなあ」というところで出てくれたみたいです。
ウルフルズとの出会い

——兵庫さんとウルフルズの信頼関係も、この本が実現した大きな理由だと思います。兵庫さんとウルフルズの出会いは?
兵庫:初めてライブを見たのは、1stアルバム『爆発オンパレード』(1992年)のときの日清パワーステーションですね。そのときはあまり印象に残らなかったんですが、数か月後に渋谷で見たときはすごくよくて。その頃は真心ブラザーズやThe ピーズ、カステラとかが大好きだったんですけど、ウルフルズもその流れで捉えてました。バンドブームにはいくつか派閥があって、一つはBOØWY以降の流れ。あとはイカ天、ホコ天から出てきたバンドもたくさんいたんですが、僕はどちらにも乗り切れなかったんです。その時期にカウンターとして登場したのが真心やThe ピーズだと思っていて。しかもウルフルズは関西のバンドだし、ブルースやファンクが根っこにあって、「これはいいな」と。
——当時はロッキング・オン・ジャパン編集部に所属したばかりですよね?
兵庫:そうですね。その頃のジャパンは、編集者が自分でいいバンドを見つけて、誌面で推しまくって、ブレイクすると編集部内の地位が上がる、みたいな感じだったんです。要は山崎洋一郎や鹿野淳がやってないバンドを見つけないといけないわけですけど、はじめて「これだ!」と思ったのがウルフルズだったんですよね。ここからちょっとややこしい話になるんですけど、ジャパンでウルフルズを最初に推したのは、小林充人くんという高校生だったんですよ。高1のときに入社試験を受けにきた人なんですけど、「さすがに高校生は採用できないけど、面白い奴だ」ということになったみたいで、彼が見つけてきたバンドを紹介するコーナーを持たせたんですね。僕が入社する直前のことですけど。そこでウルフルズも紹介していて、しばらくは彼がインタビューやライブレポートを担当してたんですよ。僕は編集者として関わっていたんですけど、しばらくすると小林くんが大学に入って、そのあと、海外のどこかに行っちゃって。その後は僕がウルフルズの担当になりました。そのときは「このバンド、クビになりそうだな」という状況だったんですけどね。
——『爆発オンパレード』はまったく売れず、所属レーベルのプラネット・アース(東芝EMIの洋楽中心のレーベル)が消滅。いきなり契約解除の危機に陥るという。
兵庫:その頃も「やばそうだな」とは思っていたんですけど、この本に書いたことまではわかってなかったですね。雑誌の人間は制作担当の方にあまり会わないし、そこまで詳しいことは知らなかったので。今回取材させてもらった方では、A&Rの池田日都美さん、宣伝の平岡尚志さんとはみっちり仕事してたんですけど、ディレクターの子安さんとは名刺交換ぐらいしかしてないんじゃないかな。
メンバーは確かに暇そうだったと思います。1993年にシングルを2枚出したんですけど(『マカマカBUNBUN』『世の中ワンダフル』)、メンバーも納得してなかったし、まったく売れず。そもそも所属部署もないし、担当者もいなかったんですよ。でも、カラー1ページの広告をもらったりしてたんですけどね。誰もプロモーションしてないし、ワーワー騒いでいるのはジャパンだけ、みたいな状況だったので。93年の3月号で、当時の新しいバンドを紹介する特集を組んだんですけど。そのなかでもウルフルズを取り上げているんです。記事は小林くんが書いていて、写真がなんと4人とも全裸(笑)。撮影場所は渋谷駅の新南口あたりなんですけど、その頃はただ線路があるだけの空き地だったんですよ。そこでサッと脱いでもらって、撮影して。ちなみに初めてウルフルズが表紙になった号(96年7月号)のときも脱いでもらってて、2度目の表紙(97年4月号)でも脱がせてて。3回フリチンになってもらいました(笑)。
まさかミリオンセールスを出すとは思ってなかった

——90年代の雑誌カルチャー、すごいですね(笑)。ブレイクの最初のきっかけは『ガッツだぜ!!』のヒット。制作の過程も詳しく書かれています。
兵庫:トータスさんが作りかけの音源を入れてるカセットテープがあったみたいで。そのなかにザ・サンシャイン・バンドの「That’s the Way (I Like It)」に合わせて〈ガッツだぜ 鼻息荒いぜ〉って歌ってるだけのデモがあって、伊藤銀次さんと子安さんが「これだ!」って盛り上がったのが最初だったみたいです。メンバーは「は?」ですよね。この本にも書きましたけど、デモのままだと本当にそのままだから、一拍置いて「ガッツだぜ!」と歌い出すアレンジにして。
——トータスさんが殿様に扮したMVの効果もあり、『ガッツだぜ!!』は大ヒット。しかしトータスさんはこの本のなかで“宝くじが当たるってこういうことなのかもしれない”と振り返っていますね。
兵庫:そう思うと『バンザイ~好きでよかった~』があってよかったですよね。あれがなかったら『ガッツだぜ!!』のバンドだったかもしれないので。『バンザイ』の話も面白かったんですよ。銀次さんは「“すごい! これ、絶対ヒット曲だ”と思った」とおっしゃってたんだけど、トータスさんは「銀次さん、わりと冷ややかやったんよ」と言ってて(笑)。
——話が食い違う。
兵庫:銀次さんもそれはわかっていて、「あくまでも僕の記憶では」という話し方でした。僕はプロレスも好きなんですけど、新日本プロレスを辞めた人たちが作ったUWFという団体がかつてあって、そこからUWFインター、リングス、藤原組と分かれていくんですね。その動きはすごく面白くて、いまだに年に何冊も本が出てるんですけど、レスラーやスタッフ、会社の人たちの話が全然噛み合ってないんですよ(笑)。誰もウソをついてないんだけど、どうしても記憶が食い違うっていう。なのでこの本も、あえてそのあたりの整理をしていないんです。たとえばトータスさんに「銀次さんはこう言ってますけど、どうなんですか?」と確かめるとつまらなくなる気がしたし、トータスさんの真実と銀次さんの真実が違っていてもいいのかなと。
——ウルフルズが大逆転的なブレイクを果たしたキーパーソンは、やはり子安さんと伊藤銀次さんだと思います。このお二人に対してはどんな印象がありますか?
兵庫:子安さんはディレクターとしての力量がものすごく高いと思うんです。川島なお美さんのアルバム制作でお金を使い過ぎて格下げされて、アシスタントとして薬師丸ひろ子さん、羽賀研二さんなどの作品に関わって。ディレクターとして独り立ちするタイミングで担当したのがBOØWYだったんですけど、当時まだ20代ですからね。BOØWYとウルフルズって、まったく違うじゃないですか。つまり子安さんは、ご自分の信念や方法がありつつ、バンドに合わせたディレクションができる方なんですよね。銀次さんもバンドをプロデュースする力がすごいですよね。こんなこと言っていいのかわからないですけど、当時はバンドのメンバーが弾いてないこともけっこうあったんですよ。でも、銀次さんはすべてメンバーに弾かせていて。ベースラインを一小節ごとにパンチインしたり、ウルフルケイスケに3日間も同じフレーズを弾かせたりしてますけど、そこまでやるのはすごいなと。
——アルバム『バンザイ』に対するメンバーのみなさんの評価も印象的でした。
兵庫:「自分が作ったとは思えない」というのは、銀次さんや子安さんに作らされたということではなくて、当時のウルフルズの状況、時代背景、音楽シーンを含めて「作らされた」という感じがあるんだと思います。当時のスタッフも言ってるし、僕もそうだったんですけど、まさかウルフルズがミリオンセールスを出すとは思ってなかったんですよ。
——いろんな要素が奇跡的に合致して大ヒットにつながった、と。
兵庫:まさにそうだと思います。トータスさんは「“『いや、本当はこういうことはやりたくなかった』っていう部分を受け入れる自分がここにおった”っていうのは、どういうことなんやろう?と思う」とも言っていて。「暴動チャイル」は銀次さんの提案でニルヴァーナを参考にしていて、「おし愛 へし愛 どつき愛」はプライマル・スクリームの「ロックス」なんですよ。トータスさんは「銀次さん、流行ってるものを取り入れようとするから」って言ってましたけど、当時はそれを受け入れたという。僕にとっても不思議なアルバムですね、『バンザイ』は。2ndアルバム『すっとばす』(1994年)、4thアルバム『Let’s Go』(1997年)はわかるんだけど、『バンザイ』はどうして作れたのかわからない。だから、この本を作ることで、少しでもそこに迫りたい、というのも大きな目標でした。
——わからないからこそ語りたくなるのかも。改めてお聞きしたいのですが、兵庫さんにとってウルフルズとはどんなバンドですか?
兵庫:恩人ですよね。今は「奥田民生や真心ブラザーズ、フラワーカンパニーズなどを取材しているライターです」と言えますけど、その最初のバンドがウルフルズで。バンドがどん底だったときに知り合って、応援して。もちろん僕が売ったわけではないんですけど、ブレイクしていく様をすぐそばで見させてもらったので。得難い体験をさせていただいたし、やっぱり恩人ですね、ウルフルズも『バンザイ』も。

■書誌情報
『ウルフルズ『バンザイ』ザ・インサイド・ストーリー』
取材・文:兵庫慎司
価格:2,750円
発売日:2026年3月19日
出版社:リットーミュージック
























