糸なつみ『きみは謎解きのマシェリ』完結インタビュー「父親との関係を含めて美津子自身の問題を最後に描きたかった」


9巻分の書影を並べると色鮮やかに
昭和初期の銀座を舞台に、日本初の女性探偵・美津子と、美津子の助手で百貨店の御曹司・朔がさまざまな事件の謎に挑む『きみは謎解きのマシェリ』(糸なつみ/双葉社)がついに完結、最終巻となる第9巻がこのたび刊行された。美津子と朔のバディ関係や2人が出会う事件のミステリーはもちろん、生きづらさを持って日々を暮らす人々を包み込むような視線も本作の大きな魅力だ。
リアルサウンドブックでは今回、『きみは謎解きのマシェリ』最終巻を描き終えたばかりの著者・糸なつみにインタビュー。近代日本が題材となっているからこその本作の魅力や主役2人の人物像について、また作品に込められた著者の思いについて、詳しく話を聞いた。
はじまりは「大正」と「探偵」
―― 『きみは謎解きのマシェリ』が完結を迎えました。物語を描き終えた現在の率直なお気持ちをお聞かせください。
糸なつみ(以下、糸):「終わったー!」という気持ちですね(笑)。安心感のような気持ちもありつつ、寂しくもあります。ただ、まだ単行本の作業をしていて、作品に関わるすべての作業が終わったわけではないので、本当に寂しくなるのは1ヶ月後くらいかもしれません。
※インタビューは11月某日に実施
――『きみは謎解きのマシェリ』は昭和初期の銀座を舞台に、日本初の女性探偵・美津子と、美津子の助手で百貨店の御曹司・朔がバディとなっていく物語です。本作のアイディアはどのように生まれたのでしょう?
糸:担当編集さんと一緒に、着想のもとになるキーワードを並べていった中で、最初は「大正」「探偵」という2つの単語が気になり、女性の探偵はいつから日本に存在したんだろうということから調べ始めました。詳細まではわからなかったのですが、昭和初期に女性の探偵が存在することがわかり、そこから膨らませていきました。
――銀座を舞台に選ばれたのは?
糸:準備期間に江戸東京博物館で実施されていた企画展「大東京の華 都市を彩るモダン文化」など、大正~昭和初期をテーマにした展示や資料本で当時の写真を見ていると、銀座の街には洋装の人も和装の人も雑多にいることがわかって。モダンガールのおしゃれな職業婦人がたくさん働いているイメージがありましたし、調べていくうちに自然と「舞台はここがいいな」となりました。資料も使いましたが、当時の雰囲気が残っている銀座の喫茶店・トリコロールや奥野ビルなどには何度も足を運んで、イメージを固めていきました。作画については、最初は大変でしたけれど、描き始めたら楽しかったですね。

――メインキャラクターとなる美津子と朔はどのように誕生したのでしょうか?
糸:『きみは謎解きのマシェリ』を企画していた当時、映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が公開されていたんです。作中に登場するジョーとローリーの関係性が好きなのですが、特にローリーの女性に対する接し方が素敵だなと思って。なので朔ちゃんの内面もビジュアルも、ローリーの影響がおおいにある気がしています(笑)。朔のキャラクター像が決まって、その横に並ぶ人物を思い描く中で、美津子の性格なども固まっていきました。日本初の女性探偵でちょっと勝ち気な女性像ですね。美津子のキャラクターデザインは、最初に描いてみた時点で今とほぼ同じものが出来たので、一発で方向性が決まりました。
――美津子たちのファッションもおしゃれで可愛いですよね。
糸:当時の書籍などを参考にして描いていきましたが、モダンガールの服装に関する資料は多いんですけど、男性ファッションの資料が乏しくて。女性は髪型も長くしたり短くしたりとバリエーションがあるし、洋装も和装もいろいろ見つかるんですけど、男性の場合は小さな違いしかなくて、ワンパターンになってしまう。だから美津子はいっぱい着せ替えができたんですけど、朔ちゃんのファッションではあまり遊べなかったですね。
俯瞰の視点と寄り添う視点のバランス
―― 美津子と朔、それぞれを描く上で楽しかったところと苦労したところは?
糸:小さいコマで2人がちょっとコミカルに掛け合いをするところなどは、すごく楽しかったですね。意外と苦労したところはないかもしれないです。話の筋や謎解きを考えるのは大変でしたが、この2人は結構勝手に動いてくれる感じがしました。
――2人の関係を描写する上で意識されたことはありますか?
糸:男女が主人公で、タイトルにも「マシェリ(愛しい人)」とはあるのですが、恋愛に見えないバディとして2人を描くように意識しました。2人は結局どうなるのか、それは幕が閉じてからのお話で、皆さんの想像におまかせしようと。それから、美津子が先に走り、その後ろに朔ちゃんがついていくという関係性になるようにということも考えていました。
――いわゆる女性が三歩下がって男性を立てるという関係ではないですよね。
糸:描いている時代的には男性優位が当たり前の世界ですが、2人の関係はそうではない。そこは意識しながら描いていました。
――より男尊女卑が強い近代日本を舞台にしつつ、美津子の言動には現在にも通じる問いが描かれているように感じます。本作には、糸さんが普段感じておられる問題意識が投影されているのでしょうか。
糸:今のニュースや人々の悩みと重なるようにというのは意識して作っていましたが、初めからはっきりと問題意識を持っているというよりは、美津子たちが直面する事件を通して、自分も一緒に考えていく感覚でした。描きながら、自分が思っていることが浮き彫りになっていくような。例えば、小学生の頃に音楽室の肖像画を見て、なんで男性しかいないのだろうと思った記憶など、過去に不思議に思っていたことも、そうすることで少しずつ浮かび上がってきましたね。
――美津子と朔はさまざまな事件に出会いますが、特に思い入れのあるエピソードはありますか?
糸:たくさんあるので、どれにしようかな(笑)。「半田夫人の夜の顔」というエピソードを描くときに、かつての図書館に存在した婦人閲覧室について調べました。女性が自由に本を読むことも難しい環境にあったという時代状況を知って、自分がこの時代に生きていたら本当にきつそうだな、と感じたことを強く覚えています。活動弁士のお話(「読めない終幕」)も好きですね。読者からの反響が大きかったのは、身分違いのロマンスを描いた「令嬢佐和子の初恋」でしょうか。

――主婦と女学生が読書を通じて立場や年齢を超えて友情を結ぶ「半田夫人の夜の顔」は個人的にも大好きなエピソードです。他の話も含めて、本作にはさまざまな生きづらさを抱えた人々やマイノリティが登場します。そうした人物を描く上で意識されたことはありましたか?
糸:キャラクターを最初に構想する段階では、俯瞰的に見て、目を引きやすい言葉や属性から人物像を作っていくんです。けれども細かく掘り下げていくうちに、属性などの外側ではなく、一人の個人としての悩みなど内面にフォーカスされるようになってきて。そのバランスは意識していたものの、私はキャラクターの感情に入りすぎてしまうところがあるので苦労しました。
読者に共感してもらう人物を描くためには、先ほど話したような俯瞰の視点と、隣で話を聞いてあげているような距離からの視点、両方が必要だと思っているのですが、ついついキャラクターたちと距離が近づきすぎてしまって、担当さんに引き戻してもらうようなことが何度もありました。
ーーみんな人間味があって、わかりやすい悪役が出てこないですよね。
糸:悪役を出そうとしたこともあったのですが、ネームを見た担当さんに「糸さんはセリフ回しがいつもすごく上手なのに、悪役のセリフだけたどたどしいですね」って言われて、自然とわかりやすい悪役は出なくなりました。その人の背景を想像して作るので、一方的な話を作るのが苦手なのかもしれません。大まかな属性だけでキャラクターを作ろうとすると、思考が止まってしまう感じがして進まなくなっちゃうんですよね。
時代は違えど悩みの根幹は変わらない
――ストーリー面では、謎解きやミステリー要素がお話の鍵になりますね。
糸:感情の流れやキャラクター像を作るのはスムーズなんですけど、手が止まってしまうのが謎解き要素でした。全然、取り入れられたというわけではないのですが、アルフレッド・ヒッチコックやアガサ・クリスティの古い作品を見て参考にしていました。それから、当時の人たちのお悩みが載った本を読んだりもして。
――『大正時代の身の上相談』(筑摩書房)などでしょうか。
糸:そう、それです。読んでいると、時代は違っていても悩みの根幹は今とあまり変わっていないのかもしれないなと思えたんです。そこに、現在と当時とをリンクできる接点を見つけられる気がしました。もちろん、当時ならではのぶっとんだお悩みもありましたが(笑)。
――本作で描かれる事件は殺人事件などではなく、より日常の中にある出来事という印象です。
糸:人が殺される事件にするのはやめようと、最初から考えていました。それよりも、市井の人々の隠れた問題などに焦点を当てていくことを大事にしたいなと思って。最初から謎解きの内容を一貫して固められるときもあったのですが、ふわっと始めて後半で頑張ることもあって、その時は大変でしたね(笑)。飛行学校と女性飛行士を描いた「折れない翼の設計図」は、物理的に飛ぶ場面も多いし女性飛行士の立場も考慮しないといけないし、おまけに最初にチラシを巻いてしまったのでその伏線も回収しないといけなくてかなり苦労しました。

――今回刊行された、最終巻となる第9巻の注目ポイントを教えてください。
糸:やっぱり、朔と美津子の関係がどういう着地になるのかということですね。それから、この巻で登場する結婚詐欺師の女性キャラクターにも注目してほしいです。美津子とは大きく違う道を歩んできた人物ですが、実は性質は互いに似通っていて。そんな2人を描くのが楽しくて、当初考えていたよりも人物像を掘り下げて描いちゃいました。結果的には、第9巻で一番目立つ人物になったかもしれません。
――美津子はさまざまな抑圧を受けながら生きていますが、9巻を含む最後のエピソードではその中でも大きな存在だった父親と向き合います。
糸:美津子の父親は警察官です。彼女は子どもの頃から父親の仕事に憧れていたけど、女性だからどうしても警察官にはなれなかった。働く女性がまだ珍しかった時代に生まれた美津子は、東京に出てきて楽しく生きているけど、子どもの頃からの夢はどうしても叶えられていない。そうした中で彼女がどういう道を選んだのか、父親との関係を含めて美津子自身の問題を最後に描きたかったんです。
――リアルサンドブック読者へのメッセージをお願いします。
糸:今までずっと読んできてくださった方も、この記事で興味を持ってくださった方も、皆さん『きみは謎解きのマシェリ』を楽しんでもらえたらと思います。朔と美津子の掛け合いも、最後まで楽しく読んでいただけたらうれしいです。

























