なぜ「北のお笑い」が「西のお笑い」よりアツい? 塙宣之、石田明、高比良くるま……「漫才論BIG3」を読み比べ

「漫才論BIG3」を読み比べ

 今年もこの季節がやってきた。12月21日夜にM-1グランプリの決勝が開催されるのである。ファイナリストとなる9組はすでに発表され、決勝・敗者復活戦それぞれの審査員たちも14日放送の事前特別番組『M-1グランプリ 俺たちだって面白い! 1万組のエントリー物語』(ABCテレビ・テレビ朝日系)で発表される予定だ。決勝当日はどんな面白い漫才と熱い戦いを見ることができるのか、いまから楽しみでならない。

 ところで、M-1が毎年のように大きな盛り上がりを見せるなか、近年はお笑い芸人による「漫才論」「M-1論」の書籍の出版も相次いでいる。なかでも「BIG3」といえるのが、ナイツ・塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(聞き手:中村計/集英社新書)、NON STYLE・石田明『答え合わせ』(マガジンハウス新書)、令和ロマン・高比良くるま『漫才過剰考察』(辰巳出版)だ。ナイツは2008年大会で3位入賞、NON STYLEは同年大会で優勝、令和ロマンは2023年・24年大会で史上初の連覇を果たした、いずれも実績十分のコンビである。

 お笑いはシンプルに笑うためにあるのであって、それについてああだこうだ語るなんて野暮というものだ――というのも一理ある。とはいえ、プロの視点を知って「だからこのコンビのかけ合いはこんなに面白いのか!」と思いながら見る漫才もやっぱり楽しい。というわけで、この記事では「漫才論BIG3」でどんなことが言われているのかざっくり紹介しよう。

塙の「大阪=ブラジル」説

 さきほど「漫才論BIG3」ということで3冊の本をひとつにくくった。ただ、それぞれ刊行された時期を見てみると、塙の『言い訳』が2019年8月、石田の『答え合わせ』とくるまの『漫才過剰考察』がそれぞれ2024年10月と11月となっていて、ひとつの流れが見えてくる。つまり、塙の『言い訳』がヒットして漫才語りブームに火をつけ、多くの芸人がM-1直後にラジオでその年の大会分析をするトレンドが加速。そして昨年のM-1決勝前、ラジオでのM-1分析の筆頭と見られていた「石田教授」と前年王者で連覇をうかがっていた若きカリスマ・くるまがほとんど同時に本を出してこちらも両方ヒットとなったのだ。

 塙の『言い訳』は、〈関東芸人はなぜM-1で勝てないのか〉というサブタイトルを見てもわかるとおり、東西比較をベースにした漫才論だ。その意見はわかりやすい。〈サッカーで言えば、関西は南米、大阪はブラジルと言っていいでしょう。/ブラジルでは子どもから大人まで、路地や公園でサッカーボールを蹴って遊んでいます。同じように、大阪では老若男女関係なく、そこかしこで日常会話を楽しんでいる。それが、そのまま漫才になっているのです〉と塙は語る。

 漫才とは日常会話の延長であり、日常会話でのボケとツッコミが浸透している関西、なかでも大阪が強い。M-1決勝の4分間という短い舞台を短距離走にたとえながら塙は言う。〈M-1を100メートル走とするなら、過去、最速記録を叩き出したのは05年王者のブラックマヨネーズだと思います〉。ブラマヨの漫才と言えば、心配性のボケ・吉田が繰り出す屁理屈の数々にツッコミの小杉があきれながらもつきあうもので、「大阪人の日常会話の延長」を地で行くものである(もちろんあくまで「延長」であって「そのもの」ではない)。そのほかにも、初代王者の中川家をはじめとして歴代M-1チャンピオンにはこの系譜がずらりとならぶ。

 そのうえで塙がよしとするのは、島田紳助の言葉から学んだという「ボケとツッコミと客席できれいな三角形ができる漫才」だ。これは、ボケとツッコミが互いに向き合ってかけ合いつつも、二人のやりとりだけで完結するのではなくそのおかしさを客席へとつなぐコミュニケーションもしっかりとれている漫才のことを指す(これは必ずしも「客席に話しかけること」を意味するわけではない)。ここでも理想形として挙げられるのはブラマヨの漫才である。対してナイツ自身はかつて、ボケの塙がツッコミの土屋のほうをまったく見ないスタイルで、「コンビの二人で完結」型とはまた違う意味で三角形をつくれていない変化球の漫才だったという。

 上に抜き出したのはもちろんこの本の一部だ。塙はほかにも「あのコンビやらこのコンビはどういった笑いの取り方をしているのか」や「芸人はどうすれば芸を磨くことができるのか」といった疑問に答える論点を思いつくかぎり提示する。まさにここ最近の漫才論のひな型をつくったのが、塙の『言い訳』なのだ。

関西人・石田からのアンサー

 そんな『言い訳』に対して、石田の『答え合わせ』は関西人から塙へのアンサーともとれる内容を含んでいる。とはいえ、塙とほぼ同世代にあたる石田の根っこにある漫才観は塙とかなり近い。石田の表現で言えば、〈漫才の基本は「偶然の立ち話」です〉となる。塙の言う「漫才の王道は日常会話の延長」とほぼ同じことを言っているのがわかるだろう。

 東西比較についても、途中までふたりの意見はほぼ同じだ。石田いわく、〈関東勢は、どちらかというと「手段」を考えることに力点を置いている。[……]それに対して関西勢は「笑ってもらえるネタを作ること」よりも、「面白い漫才師になること」にこだわる職人気質の漫才師が多いと思います〉。つまり、ひとひねり効かせたネタの仕掛け(=変化球)で勝負する関東芸人と、各々のキャラクター込みで日常会話の延長を楽しませる関西芸人、という構図である。

 しかし、石田本には「だからと言って関西が有利なばっかりちゃう」とばかりに反撃する部分もある。関西の芸人は〈関西圏では100の笑いがとれていても、関東や全国に行くと80くらいしかとれない、というのもよくあります。漫才師自身の面白さを見せようとする関西勢は、自分たちの「人(にん)」をお客さんにある程度理解してもらわないと一番の笑いがとれないんです〉と石田は語る。「日常会話の延長=偶然の立ち話」という王道のやり方だと、たとえ関西で知名度があってもそれを全国区の人気につなげるのに時間がかかる、というわけだ。

 また、石田の『答え合わせ』の強みは、塙本の5年後に出された本としてその間の漫才トレンドの変化もフォローしていることにもある。「日常会話の延長=偶然の立ち話」スタイルに対して、近年は〈ボケとツッコミの「共闘型」〉が増えていると石田は語る。どういうことか。具体例を見るとわかりやすい。典型例として挙げられるのは、真空ジェシカのやりとりだ。

川北:どうもミズコロヒーです。

ガク:あー違います。ヒ(火)コロヒーに弱点をつけるコロヒーじゃないです。

 観客側から見ると、川北の言葉をぱっとは理解できずに「ん?」となっているところにガクの説明が入ることで「そういうことか」と笑いが生まれる。つまり、〈ボケの変な言葉や動きをツッコミが説明する〉のが「共闘型」の構造だ。流行のこのパターンは、ツッコミから客へのコミュニケーションが肥大化している点で塙の「漫才三角理論」から外れるものだと言えそうなのが面白い。

 このように、オーソドックスかつ近年のトレンドもおさえた最新型の「漫才の教科書」として、石田の『答え合わせ』は他にもさまざまな分析を提供してくれるものになっている。では、塙や石田よりひと世代下のくるまの漫才論はどのようなものになっているだろうか?

斜め上からやってくる、くるまの考察

 くるまの『漫才過剰考察』は、タイトルどおりとにかく「過剰」だ。なにが過剰かというと、とにかく一息で全部を説明しようとするようなライブ感あふれるその語り口である。たとえば、170頁からはじまる「漫才か漫才じゃないか論争」についての注釈。ぜひ本屋の店頭などで手にとって確認してみてほしいが、漫才とコントのちがいについてたたみかけるように説明するセリフ(フィクション仕立て)が約4ページも続くこの箇所を見ただけで、くるまがこれまで先輩たちの打ち出してきた漫才論から自身のそれをどのように差別化しようとしているかが見てとれる。M-1分析も、ネタそのものというより「その年がどのような出番順(香盤)で、それが各組のウケ方にどう影響したか」というメタ的な視点を押し出しており、そこで新しい角度を入れてきている。

 そしてなによりくるまの「過剰さ」が際立つのは、これまでの漫才東西比較論に対して、「南お笑い」「北お笑い」という新機軸を(やや妄想気味に)ぶつけていくところだ。「南お笑い」とは、その名のとおり九州や沖縄出身の芸人たちが繰り出すお笑いを指す。これがどんなお笑いかの説明は同書にゆずるとして、問題は「北お笑い」である。

 「北お笑い」とは、北海道や東北、あるいは北陸出身の芸人のお笑いのことで、コンビとしてはタカアンドトシ、サンドウィッチマン、トム・ブラウンの名前が挙がる。このお笑いの特徴は、〈めちゃくちゃ仲の良い同級生のノリを覗き見ているような感じ〉にあるとくるまは分析する。なんとなくわかる気がする。トム・ブラウンのみちお(ボケ)が繰り出す意味不明な設定に布川(ツッコミ)がのっかって話が進むネタなんてその極北だ。くるま自身が北陸出身芸人から聞いた〈新潟は雪降るから家でめちゃくちゃテレビ見る〉という言葉から、「北お笑い」は「画面」のなかのお笑いなのではないかとくるまは考察する。

 いまはYouTubeでだれもが画面に夢中な時代だ。ということは、「北お笑い」の時代が来てるのでは……? というのがめちゃくちゃざっくりした話の流れである。かなり要約したので、詳しいところは『漫才過剰考察』を実際に読んでみてほしいし、この本で出る話題ももちろんこれだけではない。ただ、塙本や石田本との比較で言えば、この「北お笑い」説も塙の「漫才三角理論」からはみ出すものを考えているのが興味深い。「北お笑い」は、コンビから客へのコミュニケーションの回路を意図的に遮断したお笑いだとも言えるからだ。極北のトム・ブラウンはあまりにそういう要素が強いからこそ、布川がみちおの話にのっかるとき客に向かって「見てみたいですよねえ?!」とはっきり話しかける瞬間を設けてバランスをとっているのかもしれない。

 ……と「ざっくり紹介」のつもりが結局長々お送りしてしまったが、このように漫才談義は尽きることがない。お笑いを考える本はいまでも続々と出版されていて、「漫才論ブーム」の先駆者である塙はこの11月に新著『笑辞苑』(双葉社)を出した。「北お笑い」の極北であるトム・ブラウンを審査員として積極的に評価した落語家の立川志らくも『現代お笑い論』(新潮新書)を出す。これからもM-1やらその他いろんなお笑いを楽しみながら、お笑い論も読んじゃおう、という気持ちになる今日このごろである。

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