「時代がタイタンに追いついてきた」石戸諭に聞く、太田光代社長の手腕と信念 そして爆問・太田光との不思議な夫婦関係

石戸諭に聞く太田光代の手腕と夫婦関係

 今年10月、太田光代社長が芸能事務所・タイタンの30年を振り返る『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(文藝春秋)が発売された。太田プロからの独立や所属芸人の不祥事など、数々のトラブルを乗り越え、人気芸人を輩出してきた光代社長の手腕や当時のエピソードが語られている。

 光代社長の繊細さと太田プロから受け継いだ遺伝子、爆笑問題の活動をはじめとする事務所の独自性、ライブの根底にある思い、夫・太田光との絶妙な関係性とは具体的にどのようなものなのか。光代社長にインタビューを重ね、本書の構成を担当した石戸諭氏に、タイタンという芸能事務所の立ち位置と支持される背景を語ってもらった。

■決断力と繊細さ

タイタンの太田光代社長にインタビューを重ね、『社長問題! 私のお笑い繁盛記』の構成を担当したノンフィクションライターの石戸諭氏

――1993年に光代社長はタイタンを立ち上げました。30年以上が経ち、爆笑問題やウエストランドなど人気芸人を擁する事務所として確固たる地位を築いています。石戸さんから見て、光代社長の手腕をどう評価されていますか?

石戸:太田プロからの独立騒動後、光代さんがメディア関係者に復活をアピールしようと初の単独ライブを計画するんです。そのプランを聞いた爆笑問題のふたりが首を傾げたときに、「いいからやるんだよ!」の一言で説得しちゃう決断力と実行力がある方です。(太田)光さんの妻だからこそ、相当な覚悟で臨んでいることも大きいでしょうけど。

 もちろん爆笑問題は人気も実力のあるコンビですから、仮に光代さんがいなかったとしても周りが放っておかないと思うんです。ただし、「息長く活躍できたか」「一時のブームで消えなかったか」と考えると、今に至るまでの活躍は光代さんの力がすごく大きいんじゃないでしょうか。

 もうひとつの特徴として、光代さんはすごく繊細で気遣いの人だと思います。電話のやり取り一つとってみてもすごく細かいんです。メディアごとに「担当部署はどこに位置づいているか」「この人はこういうタイプ」「この記者は○○大学を出てる」とか詳細に把握されています。僕は「とても真似できないなぁ」と思って見てますね。

――一方で、タイタンに元の所属事務所である太田プロの遺伝子が残っているなと感じるところはありますか。

石戸:光代さんも元所属タレントですし、タイタンの立ち上げのとき、相談できたのは太田プロの先代の社長と奥様の副社長しかいなかったと言ってましたからね。事務所の運営方針であったり、売れていく芸人の見極め方といったところは影響もあるのかもしれないですね。

■客席はいつも正しい

――光代さんはお笑いに対してどういうスタンスなのでしょうか。

 「結局のところ、お笑いは好み」とよく言ってます。たしかに好みは人それぞれですよね。だから、たとえ自分が面白さがわからなくてもウケてれば「客席が正しい」って判断になる。あと、「ウケなかったときに飲みに行く芸人は伸びない」とも言っていました。ウケたときは何をやってもいいけど、ウケてないなら反省しろと。ウエストランドの井口(浩之)さんはすごく悩むけど、河本(太)さんは悩まずにふらっと飲みにいってしまう(笑)。「あのふたりの差はそこだ」と何度も語っていました。連載の最中で、河本さんがトラブルを起こしてしまい、今では禁酒しているようですが。

――光代社長がテレビの密着番組で「わかりやすい芸人はすぐ売れる、わかりにくい芸人は長く売れる」と話していた記憶があります。どうやって洞察力が培われたのでしょうか?

石戸:社長業をやってるうちにわかったんじゃないんですかね。実際、一見するとわかりにくいというか、癖がある芸風の爆笑問題が長く売れてきたのは事実です。あとは時代もあったと思いますよ、1980年代から1990年代にかけて爆笑問題はいろんなブームの真ん中に旗手としていたわけですから。

 1980年代後半から関東の芸能事務所が次々とお笑いライブをスタートさせて、時事漫才が廃れてきたタイミングで爆笑問題がポッと出てきて、93年のNHK新人演芸大賞で大賞をとった。そして『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)ブームで売れて一気にレギュラー何本みたいな世界に突入していきましたよね。

 そういう流れの中で、光さんが“マルチタレントの新旗手”として時事問題に対して思うことをコラムで書いたり、方々で語ったり、小説を書いたりするんです。芸人が社会問題を語ったり小説を書くのは今では珍しくないかもしれませんが、それも爆笑問題が切り開いた地平といえますよね。これだけ社会問題を笑いに変えてきたコンビもいません。とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンとは別のところで、爆笑問題はいろんな先取りをしてたと思います。

――2009年に事務所ライブを映画館で同時生中継する『爆笑問題 with タイタンシネマライブ』を始めたり、タイタンに所属して、YouTubeを中心に活動する日本エレキテル連合をサポートしたりと、光代社長は新しいものを柔軟に取り入れていくイメージもあります。

石戸:直感で「これ面白そうだ」と思ったらやってるみたいですよ。日本エレキテル連合に関しては、最初から「YouTube向きだ」と思っていたようです。それで転機になって実際に地上波でも売れましたね。YouTubeやインターネットの力を積極的に取り入れることで、事務所や芸人の在り方に変化が出ると感じた面もあるんじゃないかと思います。

 一方で、日本エレキテル連合の中野聡子さんが子宮体ガンが発覚して「迷惑掛けるからタイタンを辞めます」と言ってきたときも、光代さんは「じゃあ業務委託にしよう」って提案してるんです。今後も接点を持つし、治療もサポートしていくって考え方です。ご自身も病気や治療で大変だった時期もありますからね。そういうところは本当に気遣いの人だなと思って良い話だなと思いながらメモをとっていました。

■いざとなったら、私が説明する

――テレビで太田光さんが光代社長に叱られる姿を多く観ます。光代社長がメディアに出演するのは、タレントの炎上の火消しの意味もあるのでしょうか?

石戸:あると思います。二人の関係は「何を言っても、何を言われても大丈夫」ってところが大事なんじゃないですかね。爆笑問題は「今できるギリギリを突く」っていうのがスタイルだから、常にリスクはありますよね。ただ、光代さん自身も「メディアに応じたTPOはわきまえなきゃいけないけど、芸人が不自由になり過ぎても良くない」って考えを持ってる方なんですよね。

 例えば2025年の『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)で光さんがフジテレビに対して、フジテレビのドンと呼ばれた日枝久氏をいじってましたよね。「そこ触れるのか!」という空気でしたが、光代さんの一発目の反応は「面白かったじゃん」でした。ダメ出しをしていたのは「『日枝』じゃなくて、『日枝さん』でしょ」ってところぐらい。こっちからすると「そこなの?」みたいな(笑)。

 だからなのか、光さんに限らず所属タレントが社会的な問題に言及して炎上するのも、恐れている感じがしないんですよ。ちゃんと真意を説明すれば大丈夫だし、「いざとなったら、私が説明する」って感じでしょうね。それぐらい肝が座ってるところがある。

 「法的にアウトなものはダメで程度に応じた処分が必要だけど、それ以外はちゃんと守る」っていう向き合い方なんです。そういうのを見ると、時代のほうが光代さんの考え方に追いついてきてるなって感じがしますよね。

■ライブの根底にある立川談志

――本書では、元SMAPメンバーや飯島三智マネージャーとの関係性についても触れられています。業界の風向きを気にせず、共演を即決するスタンスもタイタンならではですよね。

石戸:2016年にSMAPが解散して、稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんが「新しい地図」になると発表したとき、たぶん業界の人たちは戸惑ったと思うんですよ。けど、タイタンは忖度なしで「依頼があれば受ける」と早々に決めてたみたいなんですね。たぶん「今も芸能界にいられるのは、みんなに助けられたから」って気持ちが強いですよね。

 爆笑問題が独立騒動を起こしても、太田プロは「帰ってきなさい」と言ってくれたし、タイタンを作るとなったときも優しくしてくれた。だから、「過去にやらかしてる自分たちが偉そうなことは言えません」という思いもあるのです。ただ、2017年の『72時間ホンネテレビ』(ABEMA)で光さんは「飯島呼べ、飯島!」「木村(拓哉)見てる?」と言っちゃって(笑)。ああいう芸風だから仕方ないですけどね、それも期待してというか織り込んで呼ばれてるでしょうし。

――逆に光代社長は、どんなことをリスクだと感じているのでしょうか?

石戸:一番はタイタンライブをやれなくなることじゃないですか。それはベースがなくなるわけですからね。だからこそ、なくならないように「私は場を作る」ってことだと思います。爆笑問題がテレビで失言するのも当然ヒヤヒヤするだろうけど、「まぁ芸人だしね」って感覚で見てる気がするんです。光さんがラジオ番組で話していたのですが「MCを務めた選挙特番中に(光代)社長が『姿勢』って書いたカンペをオレに見せてきてさ」って散々茶化してましたよね(笑)。光代さんは世間を騒がせるような失言もさることながら、「姿勢」が悪いことのほうを注意する方なんです。

 「光代さんは、なるべく芸人を縛りたくないんだな」って感じますよね。たぶんそれって、光代さんが学生時代から立川談志師匠の大ファンだったのが大きいと思うんです。談志師匠って、生前かなり際どいことを言ったりやったりしてましたよね。光さんは談志師匠の大ファンだったし、今でも影響をすごく受けている。そういう中で光代さんは「この芸を守りたい」って感覚を持つようになったんじゃないですかね。

 その意味でも、やっぱり戻ってこられる城(=ライブ)が必要なんですよ。タイタンライブは事務所主催で、そこでお金をいただいてるわけですから、周りから文句を言われることはない。だからこそ、2カ月に1回のライブをずっと続けてるんだと思います。

■雑誌の対談中に夫婦喧嘩が勃発

――本の中に「レストランシアターを持つこと」が光代社長の夢だと書かれています。「いつかテレビでバラエティーショーをやりたい」と言っている太田光さんの夢と似ているなと感じました。

石戸:夢とか価値観は絶妙に重なるところがありますけど、そのほかは全然違いますよ。光代さんはだいたい外に出てるけど、光さんはずっと家にこもってる。お酒を飲む、飲まないとか、食べ物の好みとかも違いますしね。

 この前、雑誌の対談中なのに「海外旅行に行く、行かない」で夫婦喧嘩というか、光代さんがかなり叱ってましたから(笑)。光代さんの積年の怒りがまぁおさまらない。光代さんが「海外旅行に行きたい」と話すと、光さんはいつも「ついていきます」って感じの反応をすると。どうもその態度が嫌らしいんですよね。

 「本当に行きたいなら、『どこに行こうか』と聞いたり、具体的なプランを相談したりするだろう」と。僕らも必死にフォローして光さんも「一緒に行きたいな」って何度も言うんだけど、光代さんは「あんたさ、それ嘘でしょ」って全然聞き入れようとしないんです。まぁ面白くはあったけど、こっちはドン引きですよね(笑)。

 とはいえ、「ビジネス夫婦か」と言われたらそうではないんです。タイタンの芸人に何か問題が起きたときには、光さんに相談してますし、話し合いの場にも呼びますからね。実際に今のタイタンは爆笑問題に憧れてとか、影響を受けてという芸人が多い。だからこそ、光代さんも「私が言うのとは言葉の重みが全然違う」と言っている。これはものすごい信頼関係がないと出てこない言葉ですよ。光代さんにとって、光さんが大事な存在であり続けるのは間違いないと思います。

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