矢部太郎「人間は悲しい生き物だから、“今ある”ことが大切」エッセイ漫画『ご自愛さん』に込めた思い

矢部太郎エッセイ漫画『ご自愛さん』の思い

 芸人や俳優としての活躍のみならず、手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『大家さんと僕』(新潮社)をはじめ、マンガ家としても評価の高い矢部太郎の『ご自愛さん』(PHP研究所)が発売された。

矢部太郎『ご自愛さん』(PHP研究所)

 本著は、マンガとテキストで構成された見開き1話完結の55編からなるエッセイマンガ。タイトルの『ご自愛さん』には、自分のことを後回しにしがちな「おつかれさま」な人たちに向けた思いが込められているという。

 また、近年よく耳にする“自己肯定感”という言葉について、矢部ならではの向き合い方も聞いた。

読者と「手紙」をやりとりしているような連載に

――『ご自愛さん』は、2021年から雑誌『PHP』で連載中の「僕の楽がき帖」から、単行本としてまとめられた1冊ですね。

矢部:最初は「読者へのお悩み相談を」というお話しをいただいたんですけど、それは僕には難しいなぁと思ったんです。そこで自分自身のこと、「こうしたらちょっと楽になった」「うまくいった」といった体験を描いていくところから始めました。当初は、5回くらいの予定だったんですが、頑張っていたら単行本を出せるくらいの長さになりました。

――コロナ禍の時期にも重なっていたと思うのですが、影響はありましたか?

矢部:庭に穴を掘ったり、草むしりをする話が多く出てくるんですけど(笑)、僕はそういうのが好きなんですよね。そこから発展して、すごく小さな世界で物事が展開していく。この連載が内省的な内容になっていったのは、コロナの時期に連載していたということが関係しているかもしれません。執筆以外の仕事で会う方は、やはりコロナの時期に厳しい状況だったりしました。そうした時に「どうしたら生きやすくいられるか」ということも考えていたかもしれません。

――『大家さんと僕』の際には「大家さんのために描きたい気持ちがあった」とコメントされていて、それ以降は「個人で感じたことを描いている。読者のことはあまり考えていない」とお話していました。ですが、今回は読者に向けて「ご自愛ください」という気持ちがあったそうですね。

矢部:もともとの企画が「お悩み相談」だったこともあって、読んだ方に何かしら受け取ってもらえたらというのは、頭のどこかにあったと思います。雑誌『PHP』には、毎回手書きで感想を送ってくださる方がたくさんいるんです。僕もコピーして見せてもらっていたので、ちょっとした手紙のやりとりみたいに感じていました。今回、単行本になるときにも“手紙”という意識があり、改めてタイトルを考えたときに、自分にも読んでいる方にも向けた『ご自愛さん』が浮かびました。

いびつだったり弱かったりする自分も大切

――『ご自愛さん』には、「ご自愛“を”ください」という自分自身へ向けた意味もあるとのこと。似たような意味を持つ“自己肯定感”を近年よく耳にしますが、この言葉にどんなことを感じますか?

矢部:改めて考えてみると……あまり自分の中にある言葉、語彙じゃないですね。自己肯定感が低いと生きづらい、だから生きやすくしたい文脈で使われることが多い言葉ですよね。もともとは自分を肯定できない人に対しての言葉だったのかなと思います。今では「どうやって自己肯定感を高めるか」という文脈で使われている印象ですが、そもそも自分を評価するのは他者を意識するからなのかなと思います。

――そうですね。

矢部:他者と比較して、他者との競争において、自分への評価や肯定感が高いと成功できるみたいな。僕はちょっといびつだったり弱かったりする自分も大切だと思うんです。周りの友人を思い返してみても、ちょっと変だったりとか、完全じゃなくいびつな部分に惹かれます。そうした眼差しを自分にも、他人にも向けられたらなと。弱さがあることを受け入れるということが、“やさしさ”への道になるのかなと感じます。だから僕は人にも自分にも、自己肯定感うんぬんじゃなくて、「ご自愛」できたらと思っています。

――以前、大家さんと(絵本作家、紙芝居作家の)矢部さんのお父さんは、「自分の気持ちをご機嫌にする何かを見つけて日々暮らしているのが共通点」とお話されていました。矢部さん自身は、自分をご機嫌にするものを見つけていますか?

矢部:むしろ、そういうことしかしてない気がします。庭の草むしりとか、花を植えるために土を掘ったりとか。あと最近は銭湯に行くのも好きです。知らない人と一緒に心身ともにすっきりできる銭湯はいいですね。チェロも楽しいです。上達はまだまだ全然ですけど、前より野良猫が庭に聴きにきてくれるようになりました。

――ご機嫌でいることは大切だと感じますか?

矢部:いえ、僕はご機嫌じゃないのがよくないことだとも思いません。人は“いびつ”だからすごくいいと思うし、無理にご機嫌になる必要はないかなって。そもそも人って、生まれたら絶対に死んでしまう生き物ですから。「悲しさ」が前提としてあると思うんです。

――「悲しさ」が前提。

矢部:一瞬、一瞬がもう二度とない時間なんだと考えると、どんな形であっても“今ある”ことが大切だと思います。どこかに幸せというものがあって、そこに近づいていくことができるとは思っていなくて、前提に「悲しさ」がある。だからこそ、みんなで助け合って、みんなで楽しさを作ったり、少しでもみんなで“ご自愛さん”を心に持っていられればいいかなと思っています。

多角的な矢部の視点が伝わるそれぞれの回

――本著55編のなかで、矢部さん自身が特にお気に入りの回を挙げるなら?

『ご自愛さん』の中面より

矢部:「プレッシャー」という回です。高圧的なお客さんの前で、飲食店の店員さんが失敗しちゃうんです。お客さん側はこういった“ついていない”ことがよくあると感じるんですが、でもそれって、お客さん側の高圧的な態度のせいかもしれない。自分は失敗する店員さん側の状況になることが多いのですが、人に強く当たってしまったこともあります。だから、どちらの状況にも重ねられるし、“ついてない”では終わらせないで考えてほしいという願いから描きました。

――「根っこ」という回は、矢部さんのものの見方が伝わると感じました。

『ご自愛さん』の中面より

矢部:心の中のことを描くため、何かの物を置いた方が視覚的にも分かりやすいかなと「根っこ」に例えました。見えないところにある根っこが大事という考え方は、前から思っていることです。普段、僕がしゃべることなんて本当にちょっと。誰もが見えない部分に大切なものがあるんだろうなと思います。

――「笑い」という回は、矢部さんの告白的なエピソードです。

『ご自愛さん』の中面より

矢部:描きおろしの回です。「笑い」にしてはいけなかったという気持ちはずっと覚えています。あの時だけじゃなく、これまで生きてきたなかでこれまでに何度も同じことをしていると思うんです。仕事をしていると、どうしても“笑い”を意識してしまっていて、どう着地させるかみたいなことが、クセになっちゃっているところがある。そんな後悔や反省するところがありました。

――「自己採点」の回は、気持ちを前向きにしてくれました。

『ご自愛さん』の中面より

矢部:すごくいいですよね(笑)。僕自身が先輩から聞いた時に「いい!」と感じたエピソードをそのまま描きました(笑)。100点満点で考えると99点でも残念な気持ちになってしまう。でも3点満点だと、「2点だったらいいんじゃない?」となる。とても楽ですよね。マンガを先輩に見せたら「こんなこと言ってたかなぁ」って覚えてなくて。それも先輩らしくて良かったです。

「分からない話もあった」という感想もまた嬉しい

――矢部さんはパソコンに「いいシーンにしない」とのメモを貼っているそうですね。

矢部:あれこれ言葉で表現するよりも、使わずに伝わるもののほうがより深く伝わるんじゃないかと思うんです。たとえば短歌なんかもすごく短い言葉の表現で伝わりますよね。余計な押し付けがあると、読んでいる側が冷めちゃう気がします。

――執筆する際に、共感してほしいとは考えますか?

矢部:共感していただくことも多いのですが、「全然分からない話もあった」という感想も嬉しいです。「分からない」って言えるのはすごくいいことだと思うんです。全部「共感できます」「すごく分かります」と感じるのも怖いじゃないですか。「私はそうは思わない」という意見も面白いなと。それは自分と違う人とやりとりしているからこそ出てくることだと思います。

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