幽霊を「はっきりと見えてしまう」人の脳では何が起こっている? 脳神経内科医に聞く、現代科学と怪談の関係

幽霊を見てしまう人の脳で起こっていること
古谷博和『幽霊の脳科学』(ハヤカワ新書)

 怪談ブーム、ホラーブームと言われる今年の夏。8月6日に刊行された脳神経内科医・古谷博和氏による『幽霊の脳科学』(ハヤカワ新書)という一冊の新書が話題になっている。

 幽霊譚や怪談の類は、国や文化を問わず世界中に存在する——。日本でも怨霊伝説や妖怪にまつわる話が歴史や文学に深く刻まれてきた。実際に見たことはなくとも、テレビ番組や人づてで「幽霊を見た」という体験談を聞かされると、ついその不気味な怖さに震えてしまうものだ。

 著者の古谷氏は、臨床の現場で「幽霊のようなものを見た」という患者をこれまで何人も診てきた脳神経内科医。本書は古今東西の怪談や幽霊譚を、一次資料や民俗学者の採録に基づき分析し、「人はなぜ幽霊を見るのか」を脳科学の視点で読み解いた一冊なのだ。

 幻覚・幻視をともなうこれら幽霊体験は、実は統合失調症やパーキンソン病と同じく、脳や睡眠の働きが深く関わっているのだという。たとえば、本書のプロローグで紹介されているのは、日曜の昼間から居間に上がり込みキッチンで勝手に料理を始める複数人の幽霊を見るという男性の証言だ。

 その60歳の患者が語る幽霊は肩を叩いたり声をかけたりすると消えてしまうものだったというが、高次脳機能検査を行ったところバリント症候群という障害を患っていたことが判明する。これは、実際に見えているものと頭の中のその物体の空間的な位置がずれてしまう病気だというが、頭部MRI検査によって後頭葉が左右とも萎縮した、進行性後頭葉皮質萎縮症(PPCA)という病態であることが分かり、睡眠をコントロールすることで、その患者の不思議な体験は起こらなくなっていったという。男性患者とその家族を困らせた「幽霊」が、最新医療によって消えていったのだ。

 本書ではこのように、読むだけでも怖くなってしまうような怪異譚を紹介しながら、実はそれが科学的な根拠から説明ができるものだと解説する。「寝入りばなに見える幽霊」「タクシーやトラックなど車に乗り込んでくる幽霊」「登山者が体験した神隠し、迷い家」など、怪談話でもおなじみの幽霊体験を脳科学の観点から検証するのだ。

 著者の古谷氏に詳しい話を聞いた。

霊の“理由”を説明することが患者と家族の不安を消す

ーーおそらくほとんどの人にとって幽霊は「見えない」ものだと思いますが、ここまで「はっきりと見えてしまう」人がいるということにまず驚かされました。そして、それらが脳や睡眠の病に関係しているという解説が非常に興味深かったです。本書はどういった経緯で執筆することになったのでしょうか。

古谷博和氏(以下、古谷):ありがとうございます。脳神経内科医として脳卒中やてんかん、パーキンソン病、アルツハイマー病などの患者を診てきたのですが、パーキンソン病の患者さんは幻覚を見ることが多く、それを「幽霊」と認識されることが多いんです。何故こんなものを見るのか、分からないまま怖がっておられる。そうした際に、診察室で「こういう解釈もできますよ」と脳や睡眠の観点からお話しすることで、ご家族の不安が和らぎ、患者本人に対しての見方まで変わったことがあったんですね。幽霊について非科学的だと一蹴するのではなく、ではなぜ「見えるのか」、その原因を示すという考え方を、本にして広める必要があると思ったのです。

ーーたしかに、幽霊が見える原因が分かるというのは本人や周囲の人にとっての安心につながると思います。

古谷:結局その理由が分からないと、その恐怖心を悪用する人も出てきますから。「幽霊が見える」と聞くと不気味で怖い話のように思いますが、最新の脳の研究からするとその理由が解説できる部分が多いんですね。

ーー本書では「のっぺらぼう」を「突発性レム睡眠症」、「神隠し」を「短期記憶障害」と、怪異の理由づけをしています。詳しくは本書を読んでもらうとして、少しだけ解説をお願いできますか?

古谷:はい。たとえば、本で紹介した「のっぺらぼう」は、小泉八雲の『Kwaidan』に書かれた「むじな」の話ですね。これは英文では小泉八雲が体験者から直接聞いた話だと書かれているのですが、夜中に商人が赤坂の紀伊国坂を歩いていると、堀のそばでしゃがみ込んで泣いている女に出会う。そしてその女性が振り返ると、顔には目も鼻も口もなかったと、そういったみなさんがよく知っているのっぺらぼうの話が語られています。

 ここで重要になるのが、紀伊国坂というのが非常にゆったりとしたまっすぐで緩い長い坂であること。実は下り坂よりもゆるい上り坂のほうが歩きやすく、そういうときに肉体的に非常に疲れていたり、精神的にストレスを抱えていると、歩きながら突然「レム睡眠」に陥ってしまうことがあるんです。夢を瞬間的に見るわけですね。そのときの夢にはその時代その時代の記憶の中にあるものが引っ張り出される。江戸時代の終わりには当時流行していた妖怪が見えてしまったのではないか。また同じような例では、単調な走行を続ける昭和のタクシー運転手の場合でしたら、突発的なレム睡眠によって「スカートを履いた女性の霊が乗り込んでくる」なんていう夢が一瞬見えてしまうこともあるでしょう。そのように幽霊や怪異に出会った場面がどのようなものだったかを分析することで、脳の状態というのが診断できるんです。

ーー「突発性レム睡眠症」というのは運動をしながらふと頭だけ眠ってしまう状態ですよね。こうした症状というのは起こりうることなのでしょうか。

古谷:健康的な睡眠パターンでは絶対に起きないのですが、肉体的疲労に精神的ストレス、あとは精神科系の睡眠薬、睡眠導入剤や抗うつ薬を飲んでいる方の中には睡眠の障害が起こることがよくあります。もちろんパーキンソン病の薬を飲んでいる患者もそうです。本の中にも書きましたが、長期間投薬治療を行っていた患者さんが食事中に突然箸を止めて「今、隣に座っていた死んだ主人はどこに行きましたか?」などと看護師に尋ねてくることがありました。周囲の人間からすると幽霊を見たのではないかと思う話ですが、これもやはり「突発性レム睡眠症」からくるものだと考えられるわけです。ですから、怪異に戸惑うご家族の方に、小泉八雲の話などを持ち出しながら、仮説のひとつとして「霊が見える理由」を説明することができるんですね。

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