『ジークアクス』なぜ大ヒットに? ガンダム好きライターが全話観て感じた、3つのポイント

最終話が放送され、とうとう大団円となった『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』。全話を振り返ってみると、「現代のインターネットとSNSという環境をフル活用した、新型のヒット作」と言える。
物語としての側面について書けば、本作の特徴はニュータイプのありようについて、今までのガンダムシリーズとは少し違う視点を提示したことにあるように思う。これまでのガンダムでは、ニュータイプは発生し始めているものの人類の多数を占めるわけではなく、ゆえに様々な勢力に利用されたり研究されたりしている人々だった。また、その能力は特殊で、戦闘において脅威的な反射神経を発揮したり、先の先を読んだ戦い方を可能にしたりしていた。
ニュータイプへの新たなる視点
『GQuuuuuuX』のニュータイプのありようは、少し異なっている。ソドンのクルーの中にもララ音が聞こえる者がいたり、キシリアがミノフスキー粒子の発光を知覚していたりと、ニュータイプがそこここに存在している描写があった。また、その能力の発現にはグラデーションがあり、マチュやシャア、シャリア・ブルのようにニュータイプとして強く覚醒した者もいれば、ニャアンのように匂いや「嫌な感じ」として知覚を得る者もいた。いずれにせよ、「意外とまあまあそこらへんにいる人たち」というニュータイプ像は、今までの宇宙世紀ものにはなかったように思う。
本作でのニュータイプの特徴は「意外とそのへんにたくさんいる」ことのほかに、「そうはいっても人間である」という点もある。シャリア・ブルはマチュにニュータイプとの戦闘について教える際、「ニュータイプと言っても人間であり、人間のやることには限界がある」という教え方をしていた。そして実際、マチュはシャリア・ブルのアドバイスに従って戦い、生き延びている。これも本作でのニュータイプ描写の特徴だろう。
「意外とそのへんにたくさんいる」「確かに勘働きや反射は人並外れているが、あくまで人間なので限界もある」という本作でのニュータイプ描写は、最終回でマチュが出した結論につながっている。マチュは、誰かに利用されることも誰かに守られることもなく、ニュータイプはニュータイプとして自分で強くなり自由に生きていくと主張した。「利用されることも保護されることもなく、ニュータイプはニュータイプとして自立して生きていく」とニュータイプ自らが主張した点は、本作の大きな特徴だろう。「進化した人類」として数々の悲劇に見舞われてきたニュータイプの歴史に前向きな展望を示した点は、『GQuuuuuuX』の美点である。
ハイスピードの物語展開
また、全話通して見てみると、とにかく展開の高速さが印象的だった。1話あたりに情報量を圧縮し、人物描写を必要最低限に絞りながら高速でストーリーを展開。過去作の設定やキャラクターを次々に引用することで説明を省き、圧縮されたストーリーと情報量で視聴者を振り回すという作りは、ガンダムシリーズという蓄積をフルに活かしたものだった。製作陣がどこまで意図的だったかはわからないが、結果的には「配信やネットの記事を通して過去の映像作品に関するアーカイブに即座に触れることができ、SNSで考察も大喜利も思うがままにできる」という現在の状況を活用した作品になった。高速のストーリー展開でアニメ本編を遊園地のライド系アトラクションのように用い、一週間の間その余韻でSNSのタイムラインをジャックするという手法は、今後のアニメ作品のスタンダードになるのではないかと思う。




















