俳優・安藤玉恵、下町のとんかつ屋で過ごした日々ーー破天荒な家族と愉快な地元から受けた影響

早稲田大学演劇倶楽部で演劇を始め、映画「ヴァイブレータ」で映画デビュー。その後、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」「らんまん」や、映画「ラストマイル」「PERFECT DAYS」など、数々の映像作品や舞台で培った確かな演技力で、作品をより際立たせる俳優・安藤玉恵が、初の著書『とんかつ屋のたまちゃん』(幻冬舎)を、5月に上梓した。
本作は、安藤の実家である東京都荒川区のとんかつ屋「どん平」での幼少期から役者として活動する日々まで、破天荒な家族と愉快な商店街の人々と過ごした思い出を綴った一冊。「私にとっての尾久は、木に喩えたら根っこと幹です」と語る安藤氏に、近所の商店街の人々との思い出や家族への思いなどを聞いた。(根津香菜子)
商店街の人々との本音の付き合いから学んだこと

安藤:元々、日々のちょっとしたことを書きとめるのが好きだったんです。そんな時に、編集の方から「連載をしてみませんか?」と声をかけていただき、「やってみようかな」と思ったのがきっかけでした。
書きたいなと思ったのは、家族や生まれ育った尾久のことでした。以前から、友人に自分の家族や商店街のことを話していたのですが、「おもしろいね!」ってみんなに言われました。それを書いたら面白くなるかもという気持ちと、自分の思い出を何かしらの形として残したいという思いがありました。
――本日はご実家であり、現在はお兄さんが店を継がれているとんかつ屋「どん平」にお邪魔していますが、このお店にはどんな思い出がありますか?
安藤:今のお店は私が19歳の時に建て替えたので、ここよりは当時のお店の方が思い出はありますね。2階建てで、上が宴会場になっているのですが、夜になるとそこを片付けて布団を敷いて家族全員で寝ていたんです。中学生になるまでは個室がなくて、今考えたらすごいなと思うけど、当時はそのことを「嫌だな」とか「なんでうちってこうなんだろう」と思うことはなかったですし、楽しかったです。
――夜になると、おばあさんと一緒に近所のスナック「木の実」に行ってお客さんとデュエットしたこともあったそうですね。そんな昭和ならではの体験を、今はどう思いますか?
安藤: 「貴重な子ども時代をありがとうございました」っていう感じです(笑)。今は、そういうご近所さん同士の付き合いは希薄になったとは思いますけど、私はそれが寂しいとも思わないし、「まぁ、そうだよね」と捉えています。
昔はみんなが本音だった気がするんです。例えば、私が子どもの頃、べつに近所の人や商店街のお店の人から「かわいいね」と言われてちやほやされたわけではなく、どちらかというと「邪魔だからあっち行ってな」とか厳しい言葉をかけられることの方が多かった。大人・子ども関係なく、本音で付き合っていた気がします。
――家族以外の大人たちに育てられ、しつけてもらった部分もあるのですね。
安藤:そうですね。今は他人を叱ってくれる人がなかなかいないですけど、やってはいけないことをしている子どもがいたら、血のつながりは関係なく、ちゃんと大人が叱ったらいいと私は思っています。好奇心旺盛な子どもだったので、やってみたいことは全部試して、それで怒られたことはたくさんありました。そういう大人との付き合いが、商店街の中で結構ありましたね。
――作中では、安藤さんご自身も嫌いな人のことは「大嫌い」とはっきり書かれていて、思わず吹き出しました(笑)。
安藤:だって、商店街のみんな、正直なんですもん(笑)。なぜかは分からないけど、綺麗事だけじゃなくて、たまに人の悪口が聞きたくなる時ってあるじゃないですか。そういう時に、誰かの悪口や愚痴をこっそり聞くのも楽しくて。大人は建前と本音があるんだなと。子どもながらに面白かったし、人間を学びました。
家族の最期を見届けて思うこと
――本書では、祖父と祖母、父母に兄、そして父方と母方それぞれの叔父・叔母との思い出を一章ごとに書かれていて、「家族」が安藤さんの根底にあることがよく伝わってきました。夜になると千円札を握りしめてもつ焼き屋に通うお父さんや、腹巻に何十万の札束を入れていたおばあさんなど個性豊かな方々ですが、安藤さんにとって、それぞれどんな存在ですか?
安藤:祖父のことは……苦手でした。その理由はあとから分かったのですが、大きな声を出したり、威張ったりしていたのが、ちょっと怖かったんだと思います。
祖母には一番ベタベタしていました。体が小さくてポテっとしていたので、後ろから抱きつきやすかったんです。一緒にこたつで寝たり、肩もみをしたりしていたので、スキンシップが多かったですね。
父は面白い人で、色々なことを教えてくれるので大好きでした。夜になると千円をもらって外に出ていくのだけど、自分で言えないから「たまちゃん、千円もらってきて」と言って、私が母から千円をもらってきて父に渡していたんです。
母は、楽しくもあり、厳しくもあり。ユニークです。そしてほんとによく働いていたという印象です。体調を悪くしてからは、守ってあげる存在になりました。
――作中では、ご両親や祖父母を看取った時のエピソードも書かれています。ご家族とのお別れを書いている時はどんな気持ちでしたか?
安藤:みんなのことをちゃんと見送れたのは幸せなことだと思うし、よかったなと思っています。 私が生まれたとき、祝福してくれたと思うので、その感謝を込めたつもりです。
私は亡くなった人と話すのが好きで、今でもよくお墓参りに行って「私はあなたのことをこう受け止めています」ということを話すんです。それは亡くなった人には伝わらないかもしれないけど、私にとっては生きていてもいなくてもあまり関係なくて。色々なことを教えてくれた人たちだったなと思います。みんなが「いい大人」でした。
街でさまざまな人とかかわって
――「尾久で生まれていろんな大人たちを見てきたことで、今やっている仕事を楽しめている」と書かれていますが、ご自身が「この体験が役者につながっているな」と実感することはありますか。
安藤:いろんな大人たちとたくさん話をしてかかわって、その言葉から影響を受けて育ったんだなと思います。お店の人と話すのが楽しくて近所を歩いて、そこで様々な人を見ていたから、街の人間をいっぱい知っているんです。
本や資料を読んでではなく、生身の人をたくさん見てきました。だから、高貴な生まれの人のことはよく分からないんですよ(笑)。なので、10月から始まる舞台「リア王」でリアの次女・リーガン王女を演じるのですが、準備をしっかりしようと思っています。

安藤:ただ、人間ってそこまで違うことはないかもしれません。生まれながらの貴族であったとしても、本音の部分は結構同じかもしれないなと思うし、その本音をしっかりつかむことが大事なのかなと思います。
――安藤さんは6月27日公開の映画「でっちあげ」で、体罰で告発された教師が担任をしているクラスに通う息子の母親を演じています。
安藤:あの役は、やりすぎないようにするのが難しかったです。綾野剛さん演じる薮下先生が、私が演じる母親・夏美の家に来るシーンがあるんですが、その時の彼女がすごく人間的なんです。ネタバレになるので詳しいことは言えませんが、「怖い」と「なんとかしたい」という気持ちのせめぎ合いをとても感じた場面でした。
――あとがきでは特にお母さまへの思いを綴られていますが、ご自身も母親になって思うことはありますか?
安藤:母は自分が病気だと分かっていて、私の息子が小学校に入るまでは生きられると言っていたので、自身が思っていたより早く逝ってしまったことは無念だったろうなと思います。
昔、母から「苦労は買ってでもしろ」と言われては「絶対やんないよ!」という押し問答をよくしていました。娘って、いつからか母を「お母さん」ではなく一人の女性として見るようになるじゃないですか。そこでまた関係が変化する瞬間はありましたね。
小さい頃は、母に褒められたいという気持ちが強かったと思います。卵焼きの焼き方ひとつにしても、母の真似をやってみて「上手だね」って言われたいシンプルな気持ちがあったなと。私も母親になった今、子どもがやったことに対してしっかりリアクションをすることは大切にしたいです。
役者にも通じる「人を楽しませたい」という気持ち
――ご自身のこれまでを振り返り、改めて気づいたことはありましたか?
安藤:「幼少期を侮るなかれ」ということですかね。色々なことがありましたが、割とちゃんと覚えているのが、叱られた記憶なんです。コミュニティの中で、やっていいことといけないことを知ったり、人との距離感を学んだり。
多分、辛かったこともたくさんあったと思うんです。でも、昔の記憶を掘り起こして、もう一回思い出して書き残すという作業ができたのは、よかったなと思います。役者はミステリアスなほうが面白いと思っているのですが、ここまで正直に書いてしまったので、この先もちゃんといろんな役のオファーが来てほしいなと思いますが(笑)。
あとはやっぱり「人って面白いな」「私も誰かを楽しませたいな」と思う気持ちは、小さい頃から変わらないですね。
――「人を楽しませることが好き、面白がってほしい」という思いが、今の役者の仕事にもつながっているのでしょうね。
安藤:子どもの頃、両親が話しているのが夫婦漫才みたいで、それを見たお客さんが笑っているのを見て面白いなと思っていました。
保育園の時に、モノマネなんかをしていたらしいのですが、それも両親の影響だと思っています。今回、本を書くにあたっても、「面白く」ということは意識していました。
――もしこの本をご家族が読んだら、それぞれどんな反応があると思いますか?
安藤:ユーモアが好きな人たちだったので、きっとみんなで爆笑してくれたと思います。ただ、母は作家志望だったので、文章の添削が厳しかったかもしれないですね(笑)。安藤家の墓前で「どうですか、私は、面白い役者になっていますか?」って聞いてみたいです。
■プロフィール
安藤玉恵(あんどう たまえ)
東京都荒川区出身。早稲田大学演劇倶楽部で演劇を始め、舞台、テレビドラマや映画と幅広く活動。 映画『夢売るふたり』で第27回高崎映画祭最優秀助演女優賞を受賞。たしかな演技力で様々なジャンルの役を演じ、注目を集める。連続テレビ小説『あまちゃん』『らんまん』、『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(以上、NHK)、ドラマ&映画「深夜食堂」シリーズ、舞台『花と龍』『命、ギガ長ス』など多数の作品に出演。
今後の予定に、Eテレ「100分de名著」(アトウッド著『侍女の物語』『誓願』/2025年6月期毎週月曜22:25~) 、「未病息災を願います~かしまし3姉弟より~」(毎月最終日曜日19:00~レギュラー放送)、映画『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』(監督:三池崇史/2025年6/27公開)、舞台Bunkamura Production 2025『リア王』(作:ウィリアム・シェイクスピア、上演台本・演出:フィリップ・ブリーン/2025年10月~11月)など。
本書がはじめての著書となる。
Hair&Make up:Kazumi Oowada
styling:Kei(salon de GAUCHO)
■書籍情報
『とんかつ屋のたまちゃん』
著者:安藤玉恵
出版社:幻冬舎
発売日:5月28日
定価:1,540円(本体1,400円+税)























