人はいかにして「無課金おじさん」になるのかーー速水健朗が考える、ラーメン「全部のせ」

ラーメンの「全部のせ」と贈与論

「自分へのごほうび」はセルフ贈与

 文化人類学で「贈与」と「返礼」はよくセットで語られるが、これは相手に喜ばれるためというより、共同体の中で貸し借りの関係を作るためのもの。「自分へのごほうび」も、言ってみればセルフ贈与である。100の仕事を終えて、100のごほうびで返すと、差し引きゼロになってしまう。50のごほうびで、残り50を「自分への借り」として残しておく。それが、僕が「全部のせ」を頼まなくなった理由だった。

 少し後の時代だが、2006年の宇多田ヒカルの『Keep Tryin'』に「無い物ねだり ちょっとやそっとで満足できない」という歌詞がある。日々がんばっていることで、自分が到達すべきハードルは高くなっていくけど「だからKeep Tryin`」なのだと。「挑戦者のみ もらえるご褒美 欲しいの」という箇所は、ほんとに聴く度にぞくっとする。これは単にご褒美を後回しにするということではない、その先にあるもっと大きな願望に向いている。おそらく「全部のせ」くらいでは宇多田ヒカルは満足しない。多分、そういう歌だ。

 そんなこんなでラーメンの「全部のせ」を頼まなくなり、10年が経ち、20年が経った。最近はラーメンは「普通」=ノートッピングを頼むことが増えた。誰しも中年に差し掛かると、「全部のせ」はちょっと重たくなってくる。人はめぐりめぐっていつしかラーメン無課金おじさんになっていくのである。

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