「ぼっち」になったアリはなぜ早死にするのか? 研究者・古藤日子に聞く、アリの「すみっこ行動」の謎

「ぼっち」になったアリはなぜ早死に?

アリの孤立と人間の孤独とは絶対的に違う

――本書のタイトルを見て、手に取ってみようと思う人が多いのは、人間の現代社会を反映しているように感じるからかもしれません。

古藤:そうですね。ただやはり孤立と孤独という言葉は、絶対的に違うんです。コロナ禍を経て、社会性のある生物にとって「交流」は必要不可欠であり、それがなくなると問題が生じるということは、広く認知されたと思います。でも私は「孤独」という言葉をアリに対しては使えません。「ぼっちのアリ」は物理的な孤立ですが、孤独を感じているかどうかはアリに聞いてみないと分かりません。

――でも、アリもストレスを感じているらしいことは、本書からも分かります。

古藤:はい。なので、孤立という枠のなかで生物として共通の応答があるのか、共通の遺伝子があるのかというところの研究は面白いところです。アリの実験、観察によって、分かることが絶対にあると思っていますし、いずれは非常に有効なモデルになるという直感は、10年前に出会った頃からありました。

――生物学全体の流れとして、かつては生物において最も重要視されていたのは脳だったのが、近年はそれだけではないという動きになっている気がしますが、本書を拝読していても、その流れが伝わってきます。

古藤:重要なのは脳だけじゃなかった、というのは確かに今のトレンドです。特に腸内細菌や腸の活動が生命活動に直結していることは、いろんな生物においても言われています。私もアリが社会的に孤立して死ぬ場合に、頭だけじゃなく腸も関係するんじゃないかなというところは当然注目していたんですけど、私の研究においては、また別の器官である脂肪体(多くの昆虫がもつ、哺乳動物における肝臓と脂肪組織の機能を併せ持つ組織)が、短寿命の鍵になっていることが分かっています。

 詳しくはこの本を読んでいただければと思いますが、孤立アリは巣のなかに入らず、壁際で長くウロウロする傾向があります。より長く壁際の近くで過ごす孤立アリほど脂肪体の活性酸素量が増加している、つまり酸化ストレスが増悪していることがわかりました。このように遺伝子や分子などのレベルまで分析すると、人がストレスを感じたときに各器官がどうなっているのかと比較することで、人の研究にもフィードバックすることができる可能性があります。

分からないことだらけだけど、だからこそワクワクする

――ところでアリはほとんどがメスですが、オスの存在も気になります。

古藤:オスの存在も面白いんですよ。ハチもそうなんですけど、結構かわいそうなんですよね。必要な存在であることは間違いなくて、研究室で飼っていてもたまに生まれるんですけど、集団ではあまり役に立っている感じではなくて、みんなに邪険にされているように見えるんです。

――メスだけで種を繋いでいけるのではないかと言われた生物もいましたよね?

古藤:完全に自分と同じクローンを作るアリというのも実はいるんですよ。

――そうなんですか。

古藤:ただそうやって近親交配であったり、クローンを作っていくと、遺伝的な多様性が失われます。するとたとえば何か伝染病のアタックにあったとき、全員が死滅してしまう可能性があり、種を繋いでいく法則とは全く逆のことが起きてしまいます。ですからアリにおいては完全にオスがいらないといったことは起こる可能性が低いのではないかなと。次の世代でオスとメスの新しい遺伝型を持った子孫が生まれるということは、彼らの社会にとって絶対に必要な仕組みだと思います。なのでちょっと切ない存在にも感じるオスですが、その命は繋がれていくというか、なくなることはないんじゃないかなと思います。

写真中央のひときわ大きなアリが女王アリ

――それから知らなかったのですが、女王アリは一度の交尾で体に取り込んだ精子を、少しずつ何十年にも渡って使っていくのですか?

古藤:精子を蓄えるための貯蓄袋のようなものが体の中に備わっていると言われています。そこに精子がたくさん詰まっていて、そこから少しずつ少しずつ、受精させて産卵していきます。

――すごすぎます。体内における精子凍結保存のようなイメージでしょうか。

古藤:常温で何十年も。不思議ですよね。

――アリの集団でいうと、2割は何もしていないアリが必ずいるとも聞きます。その2割も必要なんだと。

古藤:働いていない個体がいるというのは、他の機関の研究で発表されていますね。ただ私たちの研究ではよく分かっていません。というのも子育てしている個体の中ではほとんど動かないこともあるようなんです。幼虫の上に覆いかぶさって幼虫を守っている個体がほとんど動いていない場合も、働いていないわけではないですよね。だからよく分からないんです。

――言われてみると「働いていないように見える」だけの可能性もありますね。

古藤:そうですね。仕事の定義はもっと細分化されているのかもしれませんし、何も意味を持たなさそうな行動がアリの社会では意味をもつのかもしれません。私たちが外で見ているものや、目で見ているものとは違う景色が、ここにはあるのだと思います。

――改めて、研究の題材に「アリの社会性」を選んでよかったと感じていることを教えてください。

古藤:一番面白いなと思うのは、決まったルートがないことです。私は、虫は興味どころか、むしろ好きじゃありませんでした。そんな私にとっても、知れば知るほど、アリは宝箱みたいな生き物。最初に二次元バーコードによる行動解析のお話をしましたが、アリの全部の遺伝子の発現量を調べるなんて技術は、私が留学した時代にやっと普及し始めたような段階でした。できたとしてもお金もものすごくかかる。それがこの10年で大きな変化が起きていて、より簡便に一つ一つの遺伝子を一網打尽に調べ、細胞の中で起きていることを覗きこめるようになりました。まだまだ分からないことだらけですが、だからこそワクワクする。その一例としても、本書に興味を持っていただけたらいいなと思っています。

つくばセンターにある研究棟の入り口にて

■書誌情報
『ぼっちのアリは死ぬ ――昆虫研究の最前線』
著者:古藤日子
価格:924円
発売日:2025年4月10日
出版社:筑摩書房

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