【連載】柳澤田実 ポップカルチャーと「聖なる価値」 第二回:デヴィッド・リンチと21世紀のポップスターたち

ポップカルチャーと「聖なる価値」第二回

  それは著書『夢見る部屋』の公刊に際して『ガーディアン』誌が行ったインタビューでの発言がきっかけだった。当時トランプは一期目の大統領を務めていた最中だったが、リンチが語った「(ドナルド・トランプは)歴史上最も偉大な大統領の一人として名を残すかもしれない。なぜなら、彼は物事を大きく混乱させたからだ」の前半部分が一人歩きをし、リンチはトランプ支持者だという批判が浴びせられることになったのある。この騒動の結果彼は、トランプ不支持を表明するトランプ宛ての公開書簡まで書く羽目になった。元々リンチの作品に、トランプのような暴君が度々登場していたことが、この炎上騒ぎを起こした人々の偏見に作用したのは間違いがないだろう。

  しかし、リンチとトランプを関係づけることは、実は理にかなったことでもあった。共にアメリカ合衆国という国を象徴する彼らは、ベビーブーマー世代(日本で言う団塊の世代)の最初の生年1946年に生まれた完全な同時代人だからである。彼らは幼少期には1950年代の理想的な「アメリカ人的生活(American Way of Life)」を経験し、1960年代以降のカウンターカルチャーを学生時代に経験した。こうした時代背景からか両者には、変革を求める精神がありつつも伝統的な文化への愛着が共通して見られる。共和党大統領のトランプがかつては民主党支持者だったのは有名な話だが、リンチは80年代には共和党大統領のロナルド・レーガンが大好きで、2012年には民主党のオバマに投票し、2016年には共和党のトランプには投票せずリバタリアン党に投票したと公言している。またリンチは、ヒッピーに流行し、ビートルズも実践していた「超越瞑想(TM)」の40年以上の実践者、普及活動従事者だが、同時に自分のプロフィールとして「モンタナ出身のイーグルスカウト(ボーイスカウトの最高位)」と書くなど、保守的な価値観に基づく青少年教育団体を自身のアイデンティティにしていた。

 『David Lynch: Man from the Another Place』(Harvest, 2015)の著者、フィルム・キュレーターのデニス・リムは、『The New Yorker』の記事で、全く同世代であるリンチとトランプの「文化的想像力が何らかの形で交差することは避けられないのかもしれない」と述べている。両者ともに圧倒的に白人的であること、非常に特徴的な話し方をすること、どちらも恐怖の用い方に強い関心を持っていて、この恐怖がおそらく世代的な共通経験として「虐待的な家父長的人物像」、そして核爆弾と結びついていることをリムは挙げている。その上で彼らは、「同じイメージの貯蔵庫から、根本的に異なる、しばしば対極的な効果を引き出している」とリムは分析する。

1986年に公開されたリンチの代表作「ブルーベルベット」。デニスホッパー演じるフランク・ブース(写真中央)とドロシー(イザベラ・ロッセリーニ 写真左中)。『ブルーベルベット 4Kリマスター版』は2025年2月7日より、新宿シネマカリテにて限定公開される。 BLUE VELVET ©1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.

  たとえば「虐待的な家父長的人物像」の例として、リムは「ブルー・ベルベット」を挙げ、女性歌手ドロシーを支配し、彼女に繰り返し暴力を振るうデニス・ホッパー演じるフランク・ブースこそ、トランプが体現するものだとする。これに対して、リンチ作品が生み出す主な効果はと言えば、ブースに怯えつつ、自分が最も恐れているものを自分の内面に見出す主人公、ジェフリーにこそあるとした。

4.怯える子供のシュルレアリスム(超現実主義)と神聖な暴力

  リンチの作品の主眼は、暴力それ自体ではなく、暴力に圧倒され、自らの内面に向かい合う登場人物のほうにこそあるというリムの解釈に私も賛同する。リンチ自身も認めているように、カイル・マクラクラン演じる登場人物、ジェフリーの怯えた眼差しこそがリンチ自身の視点であるのは間違いがない。

 「ジェフリーには自分自身を多く見出すし、『イレイザーヘッド』のヘンリーにも共感した。どちらのキャラクターも世界に対して混乱している。私が世界で目にするものの多くは非常に美しいが、それでも物事がなぜそのように存在し得るのかを理解するのは難しい。それが私の映画がさまざまな解釈を受け入れやすい理由のひとつだと思う。」〔著者訳)(※2)

  リンチが「恐怖」について語る際に、繰り返し紹介するエピソードがある。それは彼が幼少期にアイダホ州のボイシで暮らしていた頃、夜間、兄弟と道路を歩いていたら、暗闇から裸の女性が出てきて衝撃を受けたというエピソードだ。(※3)「口に血がついていて、ミルクのような白い肌で、完全に裸だった」とリンチは語る。「傷ついていたけれど、とても美しかった」とも彼は言うが、その語り口に性的な視線はほとんど感じられない。実際女性であったとしても、暗闇から真っ裸の女性が、口から血を流しながら出てきたら刮目せずにはいられないだろう。それは強度のあるものにただ圧倒されるという、子供の体験、ある意味では世界に何があろうとそれをどうすることもできない者の抽象的な経験なのだ。リンチ作品の神聖性はこのような無力な子供が体験する抽象的暴力と結びついている。(※4)子供の頃に誰もが体験した「圧倒される」経験を思い起こすことができる者は、性差に関係なく、リンチの映像体験に説得力を感じずにはいられないはずだ。リンチ流のシュルレアリスムを継承するテスファイ(The Weeknd)やラナたちもまた、暴力そのものではなく、むしろ、神聖としか言えないような圧倒的な経験、その経験によって生じる恐怖や「圧倒されたい」という渇望にこそ、探求すべきテーマを見出しているように私には見える。

  強度(※5)で世界を見ている者たちは、社会的な正・不正や善・悪の基準では測れない価値判断をしている。だからこそ、リンチがトランプのもたらす混乱に圧倒され、思わず「偉大(great)」という形容詞を使って炎上したように、その価値判断は、同じ暴力的な現象を社会的な文脈で不正や悪として捉えている人たちをしばしば怒らせることになる。先述のリムは、アメリカ社会を混乱させるトランプを「最も偉大な大統領」になり得ると言ったリンチの距離感、つまりトランプの政策の被害者にならないですむ特権的な立場にいるからこそ取ることができる、その距離感が人を怒らせているのだと分析している(リム自身も憤慨している)。この分析は社会という文脈においてはその通りだと思う。しかし、他方でその「距離感」こそ、現実の混乱に圧倒され、怯えた子供の視点を取り続ける芸術家リンチの一貫した姿勢であることを忘れてはならないだろう。大人たちがくだらないことで罵倒し合い、殴り合って血を流す様子(※6)を、子供は、介入することなく、物陰から怯えて、しかし強い関心を持って見つめる。それがリンチなのだ。

  リンチは、自分の視点がどこまで行っても大人の社会のものではない、いくらメジャーの仲間入りをしようが根本的にはマイナーであることを自覚していたように私には見える。人間は常に自分は「正しい」と思いたい心理的傾向を持つため(※7)、リンチのように振る舞うことは、実は全く簡単なことではない。その潔さは本当に立派だった。彼に会ったことのある人たちは皆(彼に捨てられた女性たちまで)、彼が明るく、信じられないくらい優しいと証言しているが(※8)、社会化されていない領域に立ち続けることを決断しているリンチは、明るく、優しく、いつでもバカみたいに振る舞って、同じ文脈で「正しさ」を競い合うことを決してしなかったことだろう。彼の映像作品に繰り返し出てくるような、「正しさ」の光の手前の薄暗がりこそが自分の立つべき場であることを彼は自覚していたように見える。

  シュルレアリスムの系譜で言うならば、リンチは、マルクス主義革命を芸術と結びつけ、『シュルレアリスム宣言』を書いたブルトンではなく、うっかり独裁者のフランコと親しくなりブルトンに追放されたダリの方に近いと言えるだろう。政治や経済活動や学問が社会ですでに認められた価値(正義、利益、真理)の探究であるのに対し、芸術の役割とは、まだ社会化されていない価値の追求だとするならば、ダリやリンチのようなシュルレアリストたちがいかに貴重な存在であるかがわかるはずだ。この系譜が今日のポップスターたちによって継承され、多くの人々に愛され、支持されていることは、規範となる価値観が揺らぎ混迷する社会状況における必然であり、希望であると私は言いたい。

(※2) David Lynch, Kristine McKenna, Room to Dream, Canongate Books LTD., 2018,(Kindle Edition)p.261.
(※3) David Lynch, Kristine McKenna, Room to Dream,(Kindle Edition)p. 39.
(※4) 私見では、この点にこそ、暴力を頻繁に描く他の映画監督たち、つまりスコセッシやフィンチャーやタランティーノが描く、肉体の具体性を感じさせる暴力とリンチが描く抽象的暴力の違いがある
(※5)ジル・ドゥルーズの差異と同義の「強度」という概念を念頭に置いている。
(※6)結果的に遺作となった「ツイン・ピークス Return」(2017年)では暴力の起源が問われるが、これもまた(最良の意味で)子供の視点から語られた神話だったと言えるだろう。この作品では表現においても、顕著な「強度」の探究が見られる。
(※7)人間には、(必然的に独善に至る)正義へのこだわりが一般的な本性として備わっていることについては以下の本が参考になる。ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』高橋洋訳、紀伊國屋書店、2014年。
(※8)David Lynch, Kristine McKenna, Room to Dream,(Kindle Edition)参照。なおこの点については、2025年1月17日の斎藤環氏のXでの投稿によって気付かされた。

*2015年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の研究を支援する運動であるアイスバケツ・チャレンジに参戦した際のリンチ。次の挑戦者としてウラジミール・プーチンを指名している。

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