ドリル、アニメ、博物館……トレンド続くうんこ、ローマ帝国衰退の原因だった? 人類との攻防を紐解く

■文明一つを滅ぼしかねないうんこの威力

 ここまで見るといいことずくめ、優れた点しか見当たらない古代ローマの水洗トイレだが、やがて限界を迎える。このあたりは容易に想像がつくかもしれないが、原因は人口の増加である。下水道が需要に追い付かなくなり、マラリアやペストなどの疫病が蔓延するようになる。

  一日1000人以上の死者が出ることもあり、ローマ帝国が衰退する一因となった。

  ローマが衰退すると、ヨーロッパは中世暗黒時代に入った。もともと農民はその辺で用を足していたが、都市部の人間もその辺で用を足していた。室内ではチャンバー・ポットというおまるに用を足して、その後、所定の場所まで捨てに行くのがルールだったが、そのルールを守る市民は少数だった。特に共同住宅の2階以上に住む市民はほぼ守っていなかったようである。エレベーターが存在しない時代である。明かりもない暗い階段をうんことおしっこを満載したおまるを抱えて昇降するなど、誰もしたくはなかっただろう。仕方がないといえば仕方ない。

 捨てる時に外を歩いている人への注意喚起で「Gardyloo!」(仏語「Gardez l’eau!」「水が行くぞ」の意味)と声かけするのがマナーだったが、何も言わずにぶちまける不届き物も少なくなかったようだ。イギリス英語の俗語表現で"loo"は「トイレに行く」の意味があるが、語源はもちろん"Gardyloo"である。

  男性側は車道を歩き、女性には歩道を歩いてもらう「レディーファースト」は「馬車の暴走などから女性を守るため」と理屈付けされているが、当時の事情を考えるとはこれは建前だった可能性がある。建物から遠い、車道側を歩いた方が、集合住宅からぶちまけられたうんこを浴びる危険性が低くなる。積極的に人のうんこを浴びたい紳士など存在しないだろう。女性を尊重しているようで、実は男尊女卑的な思考から出発した習慣である可能性がある。中世ヨーロッパの都市部には汚物を水で流す排水溝が設置されていたが、まったく洗浄能力が足りておらず、うんこを2階からぶちまけようと、マナーを守って所定の場所に捨てに行こうと、パリやロンドンがうんこまみれであることに違いはなかった。うんこを踏まないように作られたのがマントであり、ハイヒールであり、臭いをごまかすために作られたのが香水である。

 19世紀後半になると、ようやく近代的な水洗トイレがイギリスで誕生する。1851年、ロンドン万国博覧会の水晶宮(クリスタルパレス)に配管工のジョージ・ジェニングスが近代的な水洗トイレを設置する。"go spend a penny"(直訳すると「1ペニーを使いに行く」)はイギリス英語の俗語表現で「トイレに行く」ことを意味するが、これはロンドン万博の水洗トイレ利用料が1ペニーだったことに由来する。水洗トイレには大規模な下水道が必須だが、追ってロンドンでは大規模な下水道が施設された。

 また、19世紀イギリスで発明された現代的な水洗トイレは正式にはwater closet(トイレの表記でよく見る"W.C"は略語)と言うが、closetは古い英語の表現で「個室」の意味がある。ローマの公衆トイレを思い出してほしいのだが、ローマの公衆トイレは水洗だが個室ではなかった。そういった意味でも古代の水洗トイレと現代の水洗トイレは根本的に別物である。こうして、現代で一般的な「個室の水洗トイレでうんこをして流す」スタイルはやがて世界中に広がっていく。現代の欧米先進国や日本では最もスタンダードなうんこ処理法となっている。

 うんこは不潔だが、人類には「不潔」と似て非なる「不浄」という考えもある。不浄の観点から見てもうんこは汚い。汚いが、これをどれだけ汚いと捉えるかは文化圏によって異なる。ヒンドゥ、イスラムは特に規定が厳しく、たとえばヒンドゥーだと、路上、灰のうえ、牛舎、水中、煉瓦の祭壇など放尿してはいけない場所が細かく定まっている。アラブでは豚が汚らしいものとして忌避されるが、それは豚がうんこを食べるからだ。古代エジプトでは犬、猫をはじめ様々な動物が神として崇拝されたが豚は対象外だった。理由はもちろん、豚がうんこを食べるからである。

  ただ、アラブでは豚を食べないが、豚がうんこを食べる習性を利用した豚便所は存在する。スチュアート・ヘンリ氏は『はばかりながら「トイレと文化」考』で、1971年にアフガニスタンで実際に豚便所を体験したと記している。実のところ、食糞は自然界ではさほどめずらしい行為ではなく、犬も状況によっては食糞する。極夜のグリーンランドを探検したノンフィクション作家の角幡唯介氏はその体験を『極夜行』に記している。角幡氏は犬ぞりを引かせるために犬を一頭連れていたが、ドッグフードが残り少なくなり、食料が不足すると犬が角幡氏のうんこを食べたとのことだ。

 日本には「穢れ(けがれ)」という思想があるが、これも「不浄」の一種である。京都の東福寺に現存する日本最古のトイレがあるが、ここは排便、排尿の際に細かいルールが定められている。東司(とうす。寺院におけるトイレのこと)を利用するのも僧侶にとっては修行の一つであるためだ、食べること(精進料理)が修行ならば、出すのも修行なのである。

  東福寺の東司には以下のような利用方法が定められている。
(1)着衣を竿にかけ、紙に記号を書いて他の人と取り違えないようにする。
(2)入り口で桶に水を汲んで右手で持ち、左手で扉を開ける。
(3)草履をぬいで草鞋にはきかえ厠にのぼり、瓶の両端にまたがって用を足す。
(4)三角形の長さ65cmの木の棒で尻を拭いて水の入った筒に投入する。
(5)桶の水を左手に受けて水を便器にかけ、清める。
(6)右手に桶を持ち、草履にはきかえる。
(7)入り口で桶を戻し着衣を正す。

 これはややこしい。腹の調子が悪い時や、頻尿の人にとっては悪夢のようなルールである。

 排せつ中を見られることに対する恥ずかしさの感情も地域によって異なるようだ。今の感覚では驚きだが、明治以前まで日本では女性が立小便するのは特に珍しいことではなかった。それどころか、昭和の頃はまだ立小便をする女性がいたようで、スチュアート・ヘンリ氏は和服を着た老齢の女性が立小便しているのを目撃したとのエピソードを披露している。明治の文豪、夏目漱石の『こころ』には先生が徐に立ち止まって立小便する場面がある。日本は全体的に大らかだったようだ。

 ごく近い文化圏だが、北海道の先住民アイヌは感覚がかなり違ったようだ。本土の和人に比べ、排せつに対する恥の意識が強かったようで、居住区から離れたところに小屋を建ててそこで用を足していた記録が残っている。アニメと実写の両方で映像化された人気漫画『ゴールデンカムイ』ではヒロインのアシリパはじめ、劇中のキャラクターが「オソマ(うんこ)」という口にしている場面がかなり多かったが、実際のところ排せつ行為への恥じらいの感情は和人である杉本よりもアシリパたちアイヌ人の方が強かったようだ。

 不浄のしそうに基づき、うんこが敢えて人の名前として使われる例もある。『ゴールデンカムイ』では悪しきもの退けるためにアイヌがあえて「祖父の尻の穴」など汚らしい幼名をつける場合があったと描かれている。同じような習慣がチベットにもあり「犬の糞」「豚の糞」などの名前をつける習慣があったとのことだ。そんな汚くて臭いものに、悪魔も悪霊も近づきたくはないだろう。詳しく知りたい方は、岩波書店辞典編集部(編)『世界の名前』をご参照いただきたい。(次回に続く)

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