ドリル、アニメ、博物館……トレンド続くうんこ、ローマ帝国衰退の原因だった? 人類との攻防を紐解く
■うんこブームから考える文化との接点

うんこがブームである。
昨今の小学生はうんこドリルで勉強し、ネットでアニメの『おはよう!うんこ先生』を鑑賞し、大人はうんこミュージアムで見聞を広め、東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTでは「ゴミうんち展」が開催中である(~2025年2月16日まで)。
人気科学系youtuberのVAIENCE氏はたびたび、自身のチャンネルで「光速でうんこをするとどうなるのか?」「全人類のうんこを一点にかき集めるとどうなるのか?」など思考実験でうんこを取り上げている。同チャンネルは『ゾクゾクしてやみつきになる! もしも科学大全 』として書籍化もされているので、興味のある方はお手に取っていただければと思う。
さて、うんこがブームなど今更な気もするのだが、実際のところ、人類はこれまでどのようにうんこと付き合ってきたのだろうか?
・人類はうんこをどう処理してきたか?
・人類は何で尻を拭いてきてのか?
・人類はうんこをどう利用してきたのか?
この三点を主軸に考察したいと思う。なお、本稿は主にミダス・デッケルス(著)『うんこの博物学 - 糞尿から見る人類の文化と歴史』とスチュアート・ヘンリ(著)『はばかりながら「トイレと文化」考』の二冊に多くに依っていることをお断りしておく。うんこについてダイレクトに言及している書籍は思いのほか少ない。どちらもうんこについて多くを教えてくれる良書である。
「うんこは汚い、臭い」これは全人類が持っている共通認識だろう。
うんこは細菌の塊であり、わずか1g(乾燥ベース)のうんこに、約1兆個もの腸内細菌が含まれている。うんこに含まれる菌の大部分は無害な大腸菌だが、有害なものも含まれる。感染症の一種であるコレラは、19世紀インドのガンジス川河口域を発生起源とし、その後、世界中に広がった。テレビドラマにもなった村上もとか(著)の歴史マンガ『JIN-仁-』にも描かれているが、19世紀の日本でも流行している。
コレラの感染源となるのはコレラ菌に感染した患者のうんこ、または唾液、吐しゃ物などである。他、感染症にかかっていない人のうんこであっても、うんこには大量の悪玉菌が含まれている。うんこはイメージ通り汚いのだ。加えて、うんこはスカトールやインドールなどの臭気成分を含んでいる影響で臭い。汚くて臭いイメージのあるうんこは、事実、科学的に見ても汚いし臭いのだ。
そんな汚くて臭いものは、処理を誤ると大変なことになる。うんこなど、所詮は人間のような矮小な存在の落とし物である。大した量でなければ自然の浄化能力で無へと帰る。小規模な団体で移動生活をする狩猟採集民は、数日から数週間程度でキャンプ地を移動しながら生活するが、去った後に残ったゴミや排泄物は、野生生物に食べられたり、紫外線や空気によって浄化される。

これらから推測できることは、アテネの古代ギリシャ人は表で適当に用を足した後、とりあえず城壁から離れたところに捨てていたということだ。実に不潔である。加えてアテネは城壁に囲まれた密閉空間である。こんな処理をしていたら、感染症が蔓延することは想像に難くない。実際、紀元前431~404年のペロポネソス戦争の際、城壁外の農民たちが戦禍を逃れて市内に集まってきたために、チフス、天然痘、ペストなどの疫病が猛威をふるったとの記録が残っている。アテネ市内は無秩序状態に陥り、アテネがスパルタに降伏する理由の一つになった。
下水道の欠如による不衛生な環境がアテネ敗因の一つになっているのである。アテネの近くには大きな河川が無く、出したものを流そうにも流す先が無いのが痛恨だった。城壁内で持て余していたうんこを下肥(糞尿を腐熟させ、肥料としたもの)として、農地の地力回復に活用する方法もあったはずだが、ギリシャ人にその発想は無かった。ヨーロッパの文明はギリシャに直接、間接的にルーツがあるが近代以降のヨーロッパでも下肥の記録は少数に留まる。後述するが、下肥を最大限活用してきた日本とは大きな違いである、
現代の先進諸国では、うんこを水で流す水洗トイレが一般的だ。水洗トイレの歴史はかなり古く、古代メソポタミアのテル・アスマル遺跡に水洗トイレの遺構が残っている。紀元前2200年に造られた原初の水洗トイレである。古代ローマはギリシャ文明を手本としたが、うんこの処理については幸いにしてギリシャに倣わなかった。紀元前600年ごろ、王政ローマの王タルクィニウス・プリスクスが大規模下水道(クロアカ・マキシマ、「最大の下水」の意味)を作らせたのは有名な話だ。これは今も多くの遺跡が残っている。

今の感覚だと驚きだが、古代ローマの公衆トイレは仕切りが無く、プライバシーが存在しなかった。座ってするのが基本で、トガと呼ばれるゆったりした一枚布の上着を着ていたので座って用足しをしていれば大事な部分は隠れていたのだろう。うんこをしている姿をお互いに見せ合うのだから、おおらかであることに違いは無いが。そんなプライバシーの無い空間のため、プライバシーの代わりにコミュニケーションが発生する。井戸端会議ならぬ便所端会議である。今の感覚では信じられないが、古代ローマ人にとってトイレは自然の欲求を満たす場であると同時に社交の場でもあったのだ。






















