BiSの現場はなぜ狂っていったのか? 宗像明将『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』インタビュー

宗像明将『BiS研究員』インタビュー

音楽評論家・宗像明将のルーツ

ーー2013年はリアルサウンドがスタートした年でもあり、私もその頃にはじめて宗像さんとお会いしたわけですが、そもそも、どんな経緯で音楽評論家になったのでしょうか。

宗像:もともと1996年からインターネットでサイトをやっていて、それを見た編集者の人から「ムーンライダーズのオフィシャルブックを作るので、書いてみないか」という声がかかりました。それで1998年に『20世紀のムーンライダーズ』(音楽之友社)という本が出たんです。これがライターとしてのデビューですね。1996年にサイトを始めて1998年にデビューですから、早かったと思います。

ーーなぜそんなに早い時期からネットで活動を?

宗像:それ以前は教育系の出版社に勤めていて、国語の教材を作っていたんですよ。毎日ネクタイを締めて電車に乗って会社に行く、堅い仕事をやっていて。その職場にもともとWindows 3.1(マイクロソフトが1992年に発売したOS)を搭載したパソコンがあって、インターネットには接続していなかったんですが、それが面白いと思っていたんです。そんななかでWindows 95が出たので購入して、クレジットカードがなくてインターネットに接続できなかったから、まずはパソコン通信から始めて。通信代5万円、電話代5万円の月額10万円で死ぬほどやっていたんですが、深夜・早朝の利用が安く済む「テレホーダイ」なんかでは収まらないと。とにかく早くインターネットがやりたくて、退社するに至りました。会社で溜まっていた鬱屈もあったんでしょうね。

 鶴見済さんの『無気力製造工場』(1994年、太田出版)という本を古本屋で見つけて、こういう文章が書きたいと思っていたときに、インターネットと出会って、書くことを死ぬほどやり始めたのが、1996年ごろの話です。

ーーもともと音楽が好きだったから、自然と音楽が題材になった感じですか。

宗像:自分がどんな音楽を聴いて、どんなライヴに行っているかということも書いていたので、それを読んでもらって声がかったところがありますね。2000年ごろには『ミュージック・マガジン』で書き始めました。『ミュージック・マガジン』の編集後記について意見をメールで送ったら、逆に「うちで書きませんか」と言われて、書くようになったんです(笑)。そこから『レコード・コレクターズ』でも書くようになって……というのが大枠の流れです。

ーーもともとムーンライダーズやワールドミュージックがお好きだったと思うのですが、そこからどんな形でアイドル音楽を追うようになったのでしょうか。

宗像:子どもの頃から歌謡曲が好きで、家族を静かにさせてテレビにテープレコーダーを向けているような少年でした。そこからFMをエアチェックするようになり、アイドルポップスも好きで聴いていたんです。そして、1999年に広末涼子さんの武道館ライヴを観てーー神との出会いのようなもんですよね。そこで目覚めさせられました。

ーーアイドルカルチャーの盛り上がりを感じられたのはいつごろのことですか?

宗像:盛り上がりというより、むしろ盛り下がりも見ています。2000年代の前半にはモーニング娘。がいて、半ばくらいは「冬の時代」のような扱いだった。その時代に、toutou(トゥートゥー)という姉妹ユニットのリリースイベントを観に行ったら、CDを1枚買うと握手ができる、ということだったのに、みんな別の列を作っているんですよ。何をしているのかと思ったら、みんなCDを2枚以上買って、チェキを撮るんだと。秋葉原の現場で、複数枚買いというものに初めて遭遇したわけです。ハロプロ等とは違う、いわゆる地下アイドル的なカルチャーとの出会いで、これは面白いなと。それからすぐ、2006年にはアイドルの取材を始めました。初取材がPerfumeで、『エレクトロ・ワールド』のリリースタイミングだったんですが、三人ともまだ高校生で、制服姿で来たことを覚えていますね。

 最近、私は白キャン(真っ白なキャンバス)とでんぱ組.incの解散で「アイドルライターは廃業する」と言っていて、そんな中でこの本を書いてしまったんですが、自分の中では「長くやり過ぎてしまったな」という感覚があるくらいです。アイドルライターになろうと思ったことは一度もなく、状況に流された結果というか。2006年頃には『サイゾー』で秋元康さんの取材もしていて、AKB48劇場も完成してすぐに行っていて。2010年代の戦国時代に向かってアイドルが盛り上がっていくなかで、だんだんと巻き込まれて、そういう仕事が増えていって……やりすぎだったなと思います。

ーーそして気づけば、BiS研究員になっていた。

宗像:そうですね。自分の中ではtoutouも面白かったし、Perfumeも衝撃的だった。Perfumeは子どもの頃からアクターズスクール広島でレッスンしてきたメンバーによるハイクオリティーなパフォーマンスが良かったのですが、BiSは踊りもめちゃくちゃだし、正反対ですよね。ただ、BiSの現場は変な方向に偏差値が高くて、研究員が毎回、新ネタをやるとか、ライヴがどんどん変わっていって、フロアとオタクの共鳴みたいなものが面白かった。アイドルシーンは、すごく刺激的に変化していました。

ライヴハウスで泥水をすすっているようなオタクたちがいた

ーー本書では、宗像さん自身の人生がこの10年で大きく変わったことも書かれていて、かなりパーソナルな部分にも踏み込んだ一冊になっています。書き手としての意識に変化はありましたか?

宗像明将『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(blueprint)

宗像:シンプルに、この本には自分が出ていると思いますね。鈴木慶一さんの本(『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』2023年、blueprint刊)を書いたときに言われたのは、第一に「読みやすい」と。それは私が、主語・述語・目的語をあえて省略せず全て書くことを徹底しているというのも大きいんですが、二つ目に「書き手が前に出ようとしていないのがいい」とよく言われたんです。もちろん、どの話題を出すかについては、私自身が鈴木慶一さんの仕事を95%は把握して選んで伺っているので、「私」がいないわけがないのですが、一歩引くというスタイルを採っていて。一方でこの本は「私」が良くも悪くも出っ放しで、「10年前にBiSを観ていた私」という私小説的な部分が図らずも出ていると思います。

 鈴木慶一さんには当然リスペクトがありますし、私が生まれる前からの膨大な資料に当たる必要もありましたが、その点、BiS研究員の話はほんの10年前なので楽で楽で(笑)。登場してもらっているのはすべて私が知っている人間ですし、そこに関してはどうしても温度感が違うところは出てくると思います。

ーー宗像さんは本書で「私的な文章をしばらく書くことができなかった」とも告白しております。

宗像:そうですね。本当に仕事しかしていなかったので、商業的な文章しか書けなくなってしまったんです。2021年に個人的なブログがあってもいいかと思って始めたのですが、Tumaさんが死ぬまでは全くプライベートなことが書けませんでした。Tumaさんが2022年に亡くなってから、堰を切ったように書き始めました。2016年に『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(河出書房新社)を刊行して以来、「次は研究員の本だな」とみんなから言われてきて、それがとうとう実現した形です。Tumaさんという、話を聞くべき筆頭のような人が亡くなり、2024年にBiSは再結成まで果たしたので、今しかないなと腹を括った感じです。

 いずれにしても、この本は私の周りの小さなコミュニティ「Small Circle of Friends」の話で、本にしていただけたのはありがたい話です。一方で、BiSのイメージも肥大化しているなかで、多くの人に読んでいただきたいという気持ちもあります。

ーー2024年のBiS再結成ライヴは宗像さんにとってどんなものだったか、改めて聞かせてください。

宗像:完全に脳がバグった状態で、「楽しい」しか考えられない状態でした。第1期から第3期までのメンバーが観に来ていて、BiSHのメンバーたちもいて、渡辺さんや当時のスタッフの人たちもいて、2014年当時のアイドルたちも観に来たりしていて、もちろん研究員もいるし、「楽しい」しかない。ライヴレポートの仕事なので冷静にならなければいけなかったんですが、一眼レフで撮影もしていて、「nerve」と「Hide out cut」の時だけはしみじみ「エモーショナルな光景だな」と思いました。第1期BiSと同じくリフト・ダイブ・モッシュ・泥酔すらOKの現場だった。観客が一気に前に詰めて、後方に空間ができる光景に「これが10年、みんながイメージしていたBiSなんだ」と。この本では、プー・ルイが「当時の研究員、思ったより活躍していなくなかった?」と、いいオチをつけてくれましたが(笑)。

ーーBiSのライヴのようなアイドルの現場は、もう現れないかもしれませんね。

宗像:単純にもうやれないですよね。第1期BiSは2024年7月の再結成でも、BiSHの前身として扱われたり、ファーストサマーウイカを生んだグループとして扱われるなかで、イメージがデカくなっている。逆にいうと、BiSHはリフト・ダイブ・モッシュを禁止することによってあそこまで知名度・人気を獲得したということは否めない。変なオタクの存在を心配せず、子どもも安心して観にこられるライヴをちゃんと作ったのが大きかった。BiSは2010年代ならではの産物なのかなと思います。

 BiS以降、破天荒を自称するアイドルグループもいくつか出てきましたが、BiSの現場には渡辺淳之介さんのセンスや研究員の偏差値の高さがあったので、それを超えるグループは結局、出てきませんでした。アイドル自身が「破天荒な自分たちが面白い」と思い込み、オタクも「破天荒なアイドルを推している自分たちが面白い」みたいな自意識を抱えている現場が、面白いわけがないでしょう。BiSの現場はバカだったけれど、そこには純粋に面白さを追求する熱があった。圧倒的な物量とセンスによるバカバカしさ。本にも出てきますが、宮城県女川町でのミチバヤシリオ脱退ライヴに、5メートルくらいある研究員のパネルを持ち込んで、五木ひろしさんに「これは誰ですか」と言われたり(笑)。ただ現場に来られないオタクがいるだけで、バカでかいパネルを作って持っていくという、まったく意味のわからないことをやる。そういうナンセンスさも、当時は重視されていたような気がします。

ーー最近はアイドルカルチャー、特に「推し文化」について書かれた本も多く出ていますが、宗像さんはこの「推し文化」をどう捉えていますか。

宗像:「推し活」と言われてもピンとこないというか、何を言っているかわからないですね。2010年代のようなアイドルの応援の仕方、たとえば今やMIXを打つのすら古くなっているし、ペンライトを振るくらいで完結するようなシーンになっていて。K-POPはコールのプラクティス動画もあるくらいだし、それが推し活なんだということはわかる。でも、現場は練習して臨むものではない、という感覚が当時は強かったし、フォーマットが決まっていないのが面白かった。広告代理店が推し活を推奨し、消費が美徳であるとするような昭和的価値観にまた戻るの? という疑問もあります。私は「人が人を消費することが危険ではないはずがない」と思ってしまう。私自身も客観的に見れば同じようなことをしていますし、結局のところ「推し活」というキラキラした言葉に取り込まれていくのかもしれません。しかしその前に、消費する/消費されることの汚い部分にも自覚的で、ライヴハウスで泥水をすすっているようなオタクたちがいたんだ、ということを記録しておきたい。『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』はそんな本ですね。

■イベント情報
『BiS研究員』刊行記念オンライントークショー
出演者:宗像明将、ギュウゾウ
配信サービス:Zoomウェビナーにて配信
配信期間:2025年1月7日(火)19時~2025年1月21日(火)23時59分(アーカイブ視聴可)
参加対象者:blueprint book storeにて書籍『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』を購入した方

■書誌情報
『BiS研究員 IDOLファンたちの狂騒録』
著者:宗像明将
四六判/268ページ(口絵20ページ)
ISBN:978-4-909852-58-8 C0073
定価:2,750円(本体2,500円+税)
発売日:2025年1月7日

■目次
はじめに
BiS研究員  ごっち ん
BiS研究員  越田修
2011年のBiSと研究員
BiS研究員  みぎちゃん
BiS研究員  Kん
2012年のBiSと研究員
BiS関係者  高橋正樹
便器の男
BiS研究員  Kたそ
2013年のBiSと研究員
BiS研究員  がすぴ~
BiS研究員  Tumapai、あるいは田中友二へ
Tumapaiの母
2014年のBiSと研究員
BiS関係者 ギュウゾウ(電撃ネットワーク )
BiS元メンバー  ミチバヤシリオ
2014年7月8日の横浜アリーナ
BiS解散後の研究員
BiS元メンバー  プー・ルイ
2024年7月8日の歌舞伎町シネシティ広場
BiS年表2010-2024
あとがき
BiSオフィシャル&ブートTシャツとBiS研究員

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