豪屋大介とは何者だったのか? 先駆的なライトノベル『A君(17)の戦争』復刊に寄せて

 2001年から2006年にかけて、富士見ファンタジア文庫から『A君(17)の戦争』と『デビル17』という2つのライトノベルのシリーズを刊行していた豪屋大介。その後パタリと活動が途絶えてしまったが、この9月6日に中央公論新社から単行本で『A君(17)の戦争』シリーズが復刊された。読めば誰もが驚くだろう。異世界に転移・転生し、そこで才能を爆発させ、逆境をひっくり返すという今のライトノベルで主流となっている設定が先取りされている上に、問題が山積みとなっている人類社会を鋭くえぐるメッセージに溢れた作品だからだ。

 富野由悠季監督のテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』を覚えているだろうか。世界各地から人間が異世界に召喚されて活躍するストーリーだが、そこに登場したショウ・ザマはまずまずの顔立ちで、マーベル・フローズンもなかなかの美女で、ショット・ウェポンに至ってはイケメンな上にロボット工学の天才だった。CLAMPの漫画を原作にしたテレビアニメ『魔法騎士レイアース』の場合は、異世界に召喚された3人はそろって美少女だった。

 何が言いたいかというと、異世界に召喚される者は総じて見映えが良く、何かしらの才能を持ち合わせているものだということ。ところが、2001年11月に刊行された豪屋大介の『A君(17)の戦争1 まもるべきもの』は違っていた。異世界に召喚された小野寺剛士という少年は、およそ物語の主人公と言い難い人物だった。

 「身長は160センチあるかないか。その割りにはころころした体型。顔立ちは……苦み走ったの反対、きりりとした、の反対、整った、の正反対。要するにアレ、女の子にきゃあきゃあとは絶対に言われないタイプ」。そんな剛士がいじめっ子に仕返しをして逆ギレされた際に天抜神社のご神木へと投げつけられ、閃光に包まれて気がつくと見知らぬ場所でなおかつ戦場のど真ん中に現れていた。

 いわゆる異世界召喚という奴だ。今なら伏瀬『転生したらスライムだった件』や暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!』、甘岸久弥『魔導具師ダリヤはうつむかない ~今日から自由な職人ライフ~』に山口悟『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』といったヒット作を幾つも出して、一大勢力を形成しているジャンル。この中には、引きこもりの学生や過労死したOLといった、特に見映えも良くなければ才能も持っていない普通の人物が、異世界に行って大成功する『A君』のような作品もある。

 ただ、21世紀の初頭はまだ、異世界に行くのは『ダンバイン』や『レイアース』のような主人公然とした人物だといった認識が強かった。それが『A君』の登場で変わった。というより意図的にルールを変える作品として書かれた。どういうことかは、単行本版『A君(17)の戦争Ⅰ』の巻末に収録された編集者の菅沼拓三による特別寄稿「豪屋大介は何者か」に綴られている。

 それによると、『A君』は「ファンタジア文庫に欠けている、今一番必要とされている要素が詰め込まれていた企画だった」という。「キャッチ性が分かりやすい、苦境からの大逆転、マイナス要素そのものが武器になる爽快感」。そうした要素を物語にしていった結果、いじめられっ子が異世界に転じて大活躍するという逆張りの作品が生まれた。結果は大当たり。後に続々と登場してくる逆境からの成り上がりを描く異世界転移・転生ものの大流行を生み出し、すっかりフォーマットとして定着した。

 『A君』は、その意味で先駆的な作品だった。なおかつ今も先鋭的な作品だと言える。それは、剛士に転生につきものの女神様なり超越者によるスキルの付与が行われていない点だ。剛士は、『転スラ』のリムルのように、スライムの身に付与されていた結構なスキルを巧く使って成り上がってくことも、長月達平『Re:ゼロから始める異世界生活』のナツキ・スバルのように、死に戻って何度もピンチに挑んで突破していくこともできない。

 見てくれで劣る上に徒手空拳で挑み勝ち上がる。そうした展開の面白さが、『A君』を今もなお目新しさを感じさせる作品として位置づけている。

 どういう話なのか? 剛士が召喚された魔族の国は、なぜか代々の魔王を天抜生まれ住人たちが務めていて、ピンチに陥った魔族の国を救う役割を果たしてきた。先代は経済を安定させ、当代は外交によって平和を実現しかけたが、人間が治めるランバルト王国だけは魔族を敵対視して攻撃を止めなかった。このままでは国が滅びてしまうかもしれない危機に、召喚されたのが剛士だった。

 そこで剛士に求められたのは、剣のひとふりで大群を蹴散らす強さでも、巧妙な傭兵で劣勢を大逆転に持っていく軍師の才でもなかった。攻撃してくる相手に対して的確に、そして徹底的に反撃をする聡明さであり執念深さ。それが、スキルも特別な才能も与えられなかった剛士が元から持っていた資質であり、そして異世界で成り上がる力の源泉になった。

 武力が異世界でものを言う物語なら、柳内たくみ『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』がある。圧倒的な知識で勝ち上がる展開なら、前世で戦史や戦記に通じていた男が、異世界で幼女に転生してからそうした知識を活かして戦場で活躍する『幼女戦記』がある。『A君』は、そうした恩典をなにも持たないどん底から、剛士がどのようにして成り上がっていくかを見守る楽しさを持っている。

 執念深さだけで勝てるのか? そこが設定上の妙味だ。軍隊ならすでにある。軍師なら適任がいる。必要なのはそれらをどう動かし、何を選んで実行すれば魔族の国にとって最善か、あるいは人間の国にとって最悪かを考えに考え抜いて実行に移せる能力だ。剛士はそこが卓越していた。正義だとか勇気だとか人情といったものに一国の命運をかけないドライな思考を持った為政者の姿を、『A君』では見ることができる。

 ここが、数多ある異世界転移・転生をテーマにした作品と『A君』とを、同列には置けない理由になっている。リアルな政治であり経済であり軍事といった要素をしっかり混ぜ込んだ、シミュレーション小説的な深さがあって、快楽や都合では決して動かない現実の世界を思い起こさせる。

 激突すれば魔族と人間の双方に死人が出る。異世界で剛士が親しくなった女性も死んでしまう。現実では当たり前でも快楽に奉仕するエンターテインメントでは避けられそうな状況がしっかり描かれる。サバゲーの最中に召喚されたというだけに、喋ればオタクワードが頻出する田中魔王のようなコミカルなネタキャラを置きながら、その彼にすら外交というリアルポリティクスに欠かせない政策を担わせて行き詰まらせる。こうした芯にあるリアルさが、絵空事に過ぎない異世界に存在感を宿させ、住人たちに対して生きた存在といった実感を抱かせる。

 状況を変えても都合の良いように操作しないスタンスは、歴史の中にありえたかもしれない仮定を持ち込み、あらゆる可能性を精査した上で史実とは違った展開を想像してみせるシミュレーション小説、あるいは架空戦記のお約束に近い。そして『A君(17)の戦争』の成り立ちには、実際に架空戦記作家の存在を避けて通れない。それが佐藤大輔だ。

 何者かについては言うまでもないだろう。ゲームデザイナーとして活躍した後、作家として『征途』『レッドサン ブラッククロス』『皇国の守護者』といった作品を発表し、日本が分断統治されるようになった世界なり、ドイツがアメリカ合衆国に侵攻した世界なりを描いて、社会に起こる変化を浮かび上がらせた人物だ。2017年に死去した後、中央公論新社から『征途』『信長伝』『レッドサン ブラッククロス』といった著作群が単行本で復刊されている。

 そんな佐藤大輔が、「豪屋大介とは何者か」を寄稿した菅沼と共に、富士見ファンタジア文庫で出渕裕のイラストを表紙絵にしたようなライトノベルを出せないかと画策し始めたのが発端。検討を進めていった中で、「ファンタジア文庫に欠けている、今一番必要とされている要素」として、先に挙げた「キャッチ性が分かりやすい、苦境からの大逆転、マイナス要素そのものが武器になる爽快感」を持った作品が構想された。それが『A君(17)の戦争』だった。

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