「名探偵らしからぬ物語に」今村昌弘『明智恭介の奔走』インタビュー『屍人荘の殺人』の人気キャラをどう描いた?
明智の多面的な姿を読者に見せたい
——“名探偵らしからぬ物語”と言えば、やはり収録作の中では「泥酔肌着引き裂き事件」が頭に浮かびます。探偵自身に降りかかった事件を描いた作品ですが、「なんだ、この状況は?」と笑いが止まらないお話でした。
今村:「泥酔肌着引き裂き事件」は連作短編を書いていく中で、「会話劇で進んでいく話を一編書いてみよう」という所から思いついた作品です。登場人物は明智と葉村の二人にほぼ限られており、推理のために必要な情報も明智の身辺で起こった出来事のみで構成されるようにしました。そのためか、収録作の中では最も明智と葉村のキャラクターが前面に出ている小説になったと思います。
——キャラクターから小説を作り上げるいっぽうで、本作ではミステリファンの読者へ向けた目配せのようなものも感じられます。特に「とある日常の謎について」は某有名作への言及があるだけではなく、謎解き小説ファンが読むと「そういう風に捻りを入れるのか」と感心する展開が待っています。
今村:この作品の核となるアイディアは、実はだいぶ前に思い付いていたものでした。ただ思いついた当初は「このアイディア一つだけで物語を書くのは難しいな」と考えて、すぐに作品はせず寝かせたままにしたんです。その後しばらくしてから明智が主役の連作短編を書きましょうという話になった際、「このアイディアは明智を登場させて書けば、ひと工夫を加えて形にすることが出来るぞ」と思い至りました。ミステリファンへの目配せというより、本作も明智恭介というキャラクターがいたからこそ成立した作品だと思っています。
——「宗教学試験問題漏洩事件」も同じく有名ミステリに触れつつ、それをさらに発展させた作品になっていますね。
今村:ミステリというのは積み重ねの文芸ジャンルだと思っています。時代が進んで新しい技術が生まれると、それを活かした新たなトリックが生まれる。それだけではなく、先人が生み出したアイディアの見せ方を変えることも出来る。「宗教学試験問題漏洩事件」も、いまの時代に照らし合わせて古典作品の新たな調理法を編み出そうと試みた作品ですね。
——本書のために書き下ろされた「手紙ばら撒きハイツ事件」では探偵事務所でアルバイトする明智という、他の四編とはひと味違う姿を垣間見ることが出来ます。
今村:書き下ろしを加えるにあたって「明智自身が後輩の立場として描かれる物語を書こう」と考えました。これまでは先輩としての明智の姿を書いてきましたが、逆に誰かの後輩になった場合にどうなるのか、という姿を書きたかった。これも明智の多面的な姿を読者に見せたいという全体のコンセプトに基づくものです。
——『屍人荘の殺人』に始まる剣崎比留子シリーズの印象が強いせいか、今村さんに「非現実な設定を持ち込んだミステリの書き手」というイメージを持っている読者も多いかと思います。『明智恭介の奔走』では正反対にリアルな日常にある謎が中心で、謎解きミステリ作家としての今村さんの幅広さを認識させる作品集になっていますね。
今村:正直に言いますと、自分では小さな日常の謎を描いていくタイプの小説は不得手かな、と思っていました。でも、本書を読んでいただいた知人から「今村さんって意外と人情もののようなお話も書けるんですね」という感想をいただくことが多く、それほど苦手意識を持たなくても良いのかなと思っています。「自分は特殊な設定のミステリでデビューして評価されたのだから、その期待に応えていくぞ」と肩ひじ張らずに、もっと色々なタイプのミステリを書いていきたいですね。
■書籍情報
『明智恭介の奔走』
著者:今村昌弘
価格:1870円
発売日:2024年6月28日
出版社:東京創元社